「ゲノムトラベラー」
蛙鮫
「ゲノムトラベラー」
「不安ですか? まぁそんなに硬くならなくていいですよ?」
どこか楽しげにそれは話しかけてきた。ヘルメット状の機械から流れた陽気な声に
「Alが知った口を」
ため息をつきながら、ヘルメット状の機械を頭に装着した。
この機械は『ゲノムトラベラー』自分を形成している遺伝子の記憶に意識を投影する事が出来る機械だ。
投影先が気に入った場合は『選択』と宣言するとそこに意識が完全に投影されて、二度と現実に意識が戻ることはない。
投影先で亡くなった場合は機械に知らせが入り、現実での彼の体はそのまま処分される。
ただ、開発段階のため、まだ時代の設定は出来ない。
しかし、彼自身そんなことは気にもとめていなかった。ただ、現実から離れたい。その一心なのだ。
彼自身、今までろくでもない人生続きだった。勉学も人間関係も全て、上手くいかなかった。
自暴自棄になり、両親と揉めた末、喧嘩別れで家を出た。
それから一人暮らしを始めて社会の荒波に揉まれて、今まで何度も命を絶とうと思った。
しかし、そんな勇気はなかった。そんな時に偶然、ネットの広告で『ゲノムトラベラー』の存在を知った。
彼は心の底から歓喜した。死ねないのならいっそ過去に行ってしまおうと思ったのだ。誰も自分を知らない世界に行こう。そう決心したのだ。
「ああ、一応もう一度伝えますけど--」
「三回までだろ? 知ってる」
AIの言葉を制して、応えた。この遺伝子旅行が出来るは三回までそれ以上はまだ、不可能だという。
でも今の彼にとってそれ以上の長旅は必要ない。ただ、安息の地の欲しいだけなのだ。
「ダイブ!」
光が口に出して、叫ぶと意識が遠のいていく。
しばらくして、ゆっくりと目を開けた時、彼は愕然とした。目の前が森なのだ。
木々が生い茂っており、何より視線が異様に低い。
草木をかいくぐって移動していくと、川が流れていた。
恐る恐る姿を確認した瞬間,光は目を見開いた。
ネズミだ。ネズミがいたのだ。つまり彼は今、ご先祖がネズミだった頃にいるのだ。
落胆していると、地鳴りが聞こえた。その揺れは徐々に大きくなっていく。
何かがこちらに近づいているのだ。
近くの木々が揺れて、ソレは姿を見せた。
びっしりと敷き詰まった小さな鱗。大きな口から見え隠れする牙。そして、攻撃的な雰囲気を漂わせる鋭い目。
恐竜だ。光自身、映画以外で初めて見た。その様はまさにかつて地球上を支配していた存在にふさわしい姿だ。
見つからないようにゆっくりと去ろうとした瞬間、目が合った。
最悪。この言葉が頭に浮かんだ。
「ギャオオオオオオオオ!」
恐竜が叫び声を上げた瞬間、光が走り始めた。
振り返る事なくただ進み続ける。後ろからは絶えず地鳴りが聞こえる。
死を悟り、別の遺伝子に投影しようと考えていると突然、凄まじい爆発音が後ろから聞こえた。
「オオオオオオオオ!」
振り返ると恐竜が叫び声を上げて倒れていたのだ。顔に何かが当たったのか、焼け爛れており、顔も燃えている。
突然の出来事に驚いていると空がやけに明るいのに気がついた。
視線を上に向けると、空から無数に何かが降ってきているのだ。
それぞれが炎のように赤く、凄まじい勢いでこちらに向かってきている。
間違いない。隕石だ。
隕石は次々と地上へと落ちていく。海や森、大地。そこら中に直撃してその度に鼓膜をつんざくような凄まじい物音が聞こえた。
彼は今、一つの時代を終わりを見ているのだ。よく見ると隕石の群れの後ろから巨大な隕石が降ってきた。
おそらくあれが恐竜を絶命させたものの正体だ。あんなもの受けたら間違いなく終わりだ。
「ダイブ!」
光は逃げるように叫んだ。意識が途絶える直前、隕石が凄まじい勢いで降ってきたのが見えた。
目を覚ますと田んぼが広がっていた。
恐る恐る田んぼの水面で姿を確認した。
今度は人間だ。しかし、今度はその格好に驚いた。ちょんまげと赤い甲冑。
侍だ。その証拠に腰には刀が携えられていた。
かつて父から一族が武士の家系だったと聞いたことがあったのを思い出した。
侍か。ネズミとは違い、格好良い姿に思わず頰が緩んだ。
光はあたりを探索する事にした。戦国時代ということもあり、所々自然が残っている。
しばらくすると町が見えた。木や竹、藁で作った家。時代劇で見たことのある建物ばかりだ。
内心、気持ちが高ぶりながら散策していると、ある光景が見えた。
男三人が女性を囲んでいたのだ。
女性は怯えたように男達を見ている。男達の腰元には刀が合った。
周囲にも人はいたが皆、少し見てすぐ目をそらすのみだ。自分に火の粉が及ばないよう見て見ぬ振りをしている。
彼らの気持ちもわかるがこのままでは彼女が危ない。とっさに足をそちらへ向けた。
「おい。二人から離れろ!」
「なんだあ、てめえ?」
「おうおう。お侍様じゃねえか」
「こいつらが先にぶつかったんだよ! だから詫び代を請求してんのさ」
「どう見ても元気そうだけどな。それにあんな華奢な女性とぶつかって怪我するなんて随分と貧弱なんだな」
光は口角を上げると男達の顔が一気に赤くなった。耳をすませば火山活動の音でも聞こえるのではないかと思うくらい、男達の顔は露骨に苛立っていた。
「この野郎」
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって」
「まずはてめえから詫び代を巻き上げるか」
男達が刀を引き抜いて、彼に向けた。頭の中にテレビで見た時代劇が浮かんだ。
「てりゃあ!」
男の一人が切りかかっていた。光はひらりと躱した後、刀で男を斬った。
「がはっ!」
「おのれ!」
「この野郎!」
続けて来た二人も光は瞬く間に斬った。ため息をつくと辺りから拍手が湧いた。
「よくやったよ!」
「やるな! あんちゃん!」
周囲の人から浴びる喝采。これほどに気持ちが良いものとは思わなかった。
浴びせられる喝采に頰を緩ませていると助けた女性にこちらにやって来た。
「ありがとうございました!」
「とんでもない」
「私、
「
彼の意思とは別に口から名前が出た。
「平蔵様。あの、この後、時間ありますか? よろしければ一緒にお茶でもいかかですか! 是非、お礼がしたくて」
突然の女性からの申し出。平蔵がそのまま承諾した。
女性が行きつけだという茶屋で串団子を口にした。記憶とはいえ、団子特有の甘みが口の中に広がる。
現代技術の素晴らしさを感じつつ、椿に目を惹きつけられる。艶がかかった黒い髪と白い肌。
彼女は彼の好みの女性だった。おそらく彼のご先祖様もこういう特徴で惹かれたのだろうと思いながら、茶を啜った。
しばらく椿と話し込むうちに夜を迎えた。
月明かりの下、彼女を家まで送り届けることにした。
優しい夜風が肌を撫でる中、椿の方に少し目を向ける。彼女は白い頰をほんのりと赤くしていた。
この記憶で良いかもしれない。
『選択』すればきっと彼女と過ごすことが出来る。
完全に平蔵となり彼女と時間を共にできる。
現実の惨めな自分は終わり、ここで彼女と平和なひと時を送る。
そんな事を考えていると前方から数人の男達がやって来た。
男達は手に刀を持っており、なんとも不気味な笑みを浮かべている。
その近くには昼間、斬りつけた男が一人いた。
「兄貴。あいつだ」
「おう。そうか」
その中で一際、体格の良い男がこちらにやって来た。真横では椿が肩を震わせている。
「てめえか。俺の弟を斬りやがった奴は」
「そうだ」
「そうか。なら」
リーダー格の男が手を挙げると周りの男達が、光と椿を取り囲んだ。
「失せろ!」
一斉に男達がこちらに向かって来た。光は椿を手を取りながら、真っ先に襲いかかって来た男を斬った。
一人、また一人を斬り伏せていく。
「椿、逃げろ」
「ですが平蔵様」
「早く!」
声を張り上げると椿はゆっくりと足取りを早くして、走って行った。
「残っている奴ら。かかれ!」
ならず者の残党が彼の元にやってくる。この蛮族のせいで彼女とのひと時を奪われた。彼は怒りに身を任せて蛮族達と斬り倒した。
「クッ、俺が、やら、れたと分かったら、他の仲間が来るぞ。お前の情報は事前に伝わっているからな。お前はおし、ま、いだ」
男がそう言って倒れた。仲間が来る。男は確かにそう言った。
自身といると椿が危険になる。早々にその場を離れた。幸せになれると思っていた。
周囲から尊敬されて、好きな女性と恋をする。そんなものは存在しなかったのだ。
「ダイブ」
夜の森の中、虚しさを胸に口ずさんだ時、光の意識が薄れ始めた。
次で最後だ。彼はもうどこでもよくなっていた。原始時代でも縄文時代でもなんでも良い。
幸せになれる場所へ連れて行って欲しいと願った。
ゆっくりと意識がはっきりしていく。周りに目を向けるとブランコやシーソーが見えた。
どこかの公園にいるようだった。
戦国時代とは違い、随分と近代的だ。
腕や足元を確認しても衣服が僕達の時代のものだ。
ポケットの方から音が鳴り始めた。手で探ってみるとそこにはガラパコス携帯が入っていた。
そこには一通のメールが届いており、相手を確認した時、彼は驚愕した。相手の名前には明美と書かれていた。
彼の母の名前だ。
『もうすぐつきます』
母からのメールにはそう書かれていた。
その時、光の脳内に電流が走る。母がここに来る。
彼は今、自分が誰の遺伝子に投影しているこか理解した。
「
父の名前を口にしながら、女性が駆け寄ってきた。母だ。そして、今、彼は父の記憶の中にいるのだ。
「
「ごめんなさい。待った?」
「いいや。僕もついさっき来たばかりだから」
母からの問いかけに父がなんともテンプレートな返しをする。
父と母の馴れ初め。彼は見ていてなんとも歯がゆい気分になった。
公園を出て、辺りを見渡しながら街へ向かった。
それから喫茶店やカラオケ。映画館などを行き来していた。
そして、二人は夜景の見える綺麗なレストランに行った。
テーブルには小さな蝋燭が置かれており、あたりが暗いせいか、夜景だけではなく、星の光もはっきりと見えていた。
目の前には頰を紅潮する母。ワインを口にしていたせいか、少し気だるげな様子に見えた。
「朱美さん」
父が懐から小さな黒い箱を取り出した。ゆっくりと開くとそこには小さな指輪が入っていた。光はその指輪に見覚えがあった。
「結婚しよう」
父の言葉を発した後、母の目が徐々に潤んでいく。
「はい」
母が優しく微笑みながら、頷いた。
そこから色々な事があった。同棲したり、二人の両親に顔を合わせたりととにかく見ていて大変そうだったのが、見て取れた。
すると徐々に視界の所々にノイズが入っていく。機械の故障だろうか。その間も二人が会話している。
「本当ですか!」
「ええ」
母が優しく腹部を撫でた。
その時、彼は理解した。ノイズが走っているのは自分という存在が確実なものになっているからだ。
父と母が日々を重ねていくたびにノイズが大きくなる。
しばらくすると最早何も見えなくなった砂嵐の中、声だけが途切れ途切れが聞こえた。
「そう言えば、名前どうしようか」
「名前か。どんな名前がいいかな」
「光というのは?」
「光? どうして」
「あなたが指輪をくれたあの日、夜景が綺麗だったんだけど、何より星の光がすごく綺麗だった。あの日がなければこの子は生まれなかった」
「そうか」
何も見えなくなった中、父の泣き声だけが聞こえた。光も泣いていた。自身は愛されていた。
分かっていたはずだった。しかし、いつも反発して心無い言葉で傷つけた。
後悔で胸が締め付けられる。やがて画面も音もなくなり、全てが黒く染まった。
光はゆっくりと機械を頭から外した。
数時間前に見た光景が広がる。
「よろしかったのですか? 選択しなくて」
数時間前の楽しげな声とは打って変わり、AIがかしこまった声で話しかけてきた。
「うん」
自分が今ここにいる。それまで多くの遺伝子の物語がそこにはあった。
彼自身もその物語の一つになのだ。人生という名の途方も無い旅の途中にいるのだ。
「久しぶりに実家に顔出すか」
軽くため息をついて、彼は数年ぶりに両親の連絡先に目を向けた。
「ゲノムトラベラー」 蛙鮫 @Imori1998
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