第15話「名前で呼ばれる日」




📖 side:Rin「この気持ちに、嘘をつきたくない」


 


 体育祭前日。

 空は、まるで気持ちを映したように曇っていた。


 


 放課後の校舎裏。

 夕焼けにはまだ染まりきらない、灰色の空気。


 


 私はふたりに、それぞれ「会いたい」と伝えていた。

 そして今、先にやってきたのは――奏だった。


 


 「凛……来てくれて、ありがとう」


 


 少しだけ、うつむいた顔。

 だけど、迷いのない声だった。


 


 「俺は、君のすべてを知ってるわけじゃない。

  それでも、知りたいと思う。

  これからの時間を一緒に過ごして、何度だって笑わせたいって思う」


 


 胸がきゅっと締めつけられた。

 どれだけ彼が真剣に、私を見てくれていたか――痛いほど伝わってくる。


 


 私は小さく息を吸って、答えようとした――そのとき。


 


 「……遅れて、ごめん」


 


 神谷くんの声が、背後から響いた。


 


 私は、静かに振り返った。

 彼の目は、まっすぐ私を見ていた。


 


 「俺は、凛の過去を見てきた。

  でも、今の君に“寄り添いたい”って思ってるのは、過去じゃなくて今だ。

  選ばれなくてもいい。それでも――君の笑顔を守りたい」


 


 ふたりとも、すごく優しい言葉をくれる。

 でも、私は決めていた。


 


 迷って、揺れて、傷ついて――

 それでもこの気持ちに、もう嘘はつきたくなかった。


 


 私は、一歩前に出て。

 奏の方をまっすぐ見つめた。


 


 「奏」


 


 彼の目が、少しだけ揺れる。


 


 「……ずっと、私のことを見てくれてありがとう。

  優しくしてくれて、言葉をくれて、涙を止めてくれて……

  私、気づいてた。全部、ちゃんと」


 


 奏は黙って、でも強く頷いてくれた。


 


 「名前で、呼びたい。……呼ばせて」


 


 私は震える声で言った。


 


 「……奏」


 


 その瞬間、奏の目に、涙がにじんだ。


 


 「凛……ありがとう。俺も、ずっと言いたかった」


 


 「……もう、やめてよ。泣かせないでよ……」


 


 気づけば、私のほうが泣いていた。

 でも、それは“悲しい涙”じゃなかった。


 


 過去でも未来でもなく、

 いま、この瞬間の答え。


 


 「……神谷くん、ありがとう。あなたの言葉に、救われたこともいっぱいある。

  でも、私は――“今を生きる私”が、好きになった人を、選ぶ」


 


 神谷くんは、少しだけ目を閉じて、ふっと微笑んだ。


 


 「……わかった。

  君の決めた答えなら、俺はそれを守るよ。……奏、おめでとう」


 


 彼の背中が、夕焼けに染まって消えていく。

 私は、そっと隣に立った奏の手を、握った。


 


 指先が、あたたかかった。

 今も、生きていることを、強く実感させてくれる体温。


 


 「これからは、ちゃんと“名前”で呼ぶから」


 


 「うん。……俺も」


 


 こうして、私は“この世界”で、

 もう一度、生き直す選択をした。


 


 彼の隣で、これからを歩くために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る