第七話 涙に濡れる筆箒
村を遠く離れ、レオナは川沿いの木の下にいる。グリフをゆっくり下ろし、川の水で血を洗い流した。冷たい夜風が、レオナに吹き付ける。レオナは血に染まった手を洗い流す。何度洗っても、血は滲み出ていた。ふと、レオナは木に立てかけてある筆箒に目をやる。筆箒は、レオナの感情を読み取っているのか、静かに佇むままだ。この筆箒は次の魔法を待っている。魔法さえ無ければ、グリフは村人に助けられたのかもしれない。魔法さえ無ければ、村人に受け入れられたのかもしれない。そんな思いがレオナの頭を駆け巡る。やり切れなくなり、レオナは筆箒を握り、力一杯折ろうとした。だが、非力なレオナの腕では、筆箒はせいぜい軋むだけだ。
「こんなものがなければ…….。こんなものがなければ……っ!」
レオナの目に涙が溜まる。その時、グリフの苦しそうな寝息が聞こえてきた。レオナの潤んだ視界に、師匠の最期が重なる。グリフも自分を置いて行ってしまうのかもしれない。このまま動かなくなって、話すことも手を握ることも無いのかもしれない。頭に浮かぶ不安を振り払うように、レオナは首を振る。助けてと縋るように、レオナは筆箒を抱えた。やりきれない気持ちに満たされ、レオナは筆箒をグリフの背中に乗せる。無駄だと分かっていても、レオナは筆箒に祈り続けた。
「お願い、一度だけでいいんだ。僕は、グリフさんを助けたいんだ」
絞り出したような声のレオナ。グリフは今までに何度も危機を救ってくれた。だから、今度は自分がグリフを助ける番だ。お願いだ、応えて欲しい。レオナの思いが胸の底から溢れる。
その時、レオナの思いに呼応し、筆は淡く輝く。レオナは目を開け、自分が生み出した光を瞳に映した。白い光はグリフを覆う。折れ曲がっていた前足は元に戻り、羽毛も艶がかる。下半身の橙色の獅子の後ろ足も力強く地面を踏み締めた。
「こ……これは……?」
「よかった……グリフさん……」
驚き自分の身体を見回すグリフを見て、レオナは安堵する。安心すると同時に、レオナは全身に強烈な疲労感がどっと押し寄せた。瞼が重くなり、足がもつれていく。頭が重くなり、レオナはその場に崩れ落ちた。
「お、おい! レオナ!?」
レオナはグリフの声に反応する気力も残っていなかった。元気なグリフの姿を思い浮かべながら、レオナの意識は暗闇に消えていく。
どれぐらいの時が経ったのだろうか。レオナの耳には誰かの声が聞こえる。誰だろう? レオナは目を開けてその姿を見ようとするが、瞼は固く閉ざされて開かない。
「……きろ……」
さっきとの声だ。一体誰なんだろう? ぼんやりと霞んだ意識の中では、レオナは考えることが出来なかった。これは夢なのか。レオナは再び眠りの中に落ちそうになる。
「起きろ。レオナ」
レオナの視界は一気に明るくなる。木漏れ日が眩しい。眩しさを瞳に受け、レオナの意識はレンズのピントが合うように覚醒した。グリフは……グリフは無事だろうか。レオナはしきりに見回す。気のせいではない。さっき確かに、グリフの声が聞こえたのだ。
「しっかりしろ。吾輩はここだ」
グリフがレオナの肩を前足で揺らす。グリフの顔には生気が戻り、虚ろだった青色の瞳にも光が戻っていた。レオナは涙目になってグリフに抱きつく。
「グリフさん! よかったぁ!」
「お前こそ無事でよかったよ。また、誰かを死なせてしまうのはごめんだからな」
いつもなら邪険にするグリフだが、レオナを全力で受け止めた。グリフのタキシードの中で、レオナは泣き続ける。
「村はどうなったんだ? あのゴーレムは?」
「…………」
グリフの言葉に、レオナの胸が重くなる。脳裏には淡々と村を破壊するゴーレムと、腫れ物扱いする村人達の姿が交互に浮かんだ。
「……ねぇ、グリフさん。魔法って本当に必要なのかな……?」
レオナは苦しげに口を開く。俯くレオナに、グリフは何も言えないでいた。レオナの唇が震える。
「僕、ゴーレムを倒してやるって思ったんだ。そしたら、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって……。それで……」
言葉を口にする度に、レオナの胸は苦しくなった。震える手で、レオナは筆箒を握る。グリフは黙ったまま、レオナの手に前足を優しく重ねた。
「村の人は僕の魔法を怖がって助けてくれなくて。その時、僕……村の人がすっごく嫌いになっちゃったんだ。……そんな事思っちゃいけないのに……」
筆箒に涙が垂れる。顔をくしゃくしゃにして、レオナは咽び泣いた。
「ねぇ、魔法っていらないの? 僕……もう分かんないよ……」
川のせせらぎに消えてしまいそうな声で、レオナは呟く。レオナは手にした筆箒を落とした。グリフは筆箒を咥え、レオナに握らせる。
「レオナ、確かに魔法の力は強大だ。使い方によっては人を傷つけ、恐れられもする」
普段の厳しさは抜け、穏やかにグリフはレオナに言い聞かせる。レオナは涙を浮かべながらグリフを見た。
「だがな、魔法を必要としている者もいるのだ。それを忘れてはならぬ」
「う……うん」
グリフの言葉に、レオナは頷く。だが、筆箒を握るレオナの手は震えたままだ。魔法に対する恐れが、筆先まで伝わっていく。
「さあ、行くぞ。どのみち魔王を止めなければ、人々に安寧は訪れぬ」
グリフは翼でレオナを押す。レオナは躊躇いつつも、一歩ずつ踏み出した。ひどく重い一歩だ。暗い面持ちで、レオナは前に進む。レオナの背負った筆箒が、身体を押し潰してしまいそうだった。
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