FORGIVELOVE

AYANA

第1話

青い空・・・白い雲・・・。どこにでもある風景なのに、空気が違う。これが初めて訪れたサイパンでの印象だった。綺麗に咲き誇った南洋桜が小さい島を赤く染めていた。


「思ったよりも近かったね。」

 恋人の涼介は大きいキャリーバックを引きながら、そう言った。

「・・・うん。」

 私は涼介の目も見ずに返事をすると、ホテル行きのバスに乗り込んだ。

 

 私の名前は神田真奈。今年で二十六歳になるOLだ。今回は恋人の涼介と初めての海外旅行に訪れた。場所はサイパン。日本からたったの三時間半で着く楽園・・・。光り輝く海。真っ青な空。常夏の香り・・・。でも私はこの旅行に悲しみまで一緒に連れてきてしまったのだった・・・。


 バスに乗り込むと、涼しいクーラーが私の体をひんやりと包んだ。

「では、出発します。」

 バスは沢山の日本人を乗せたまま出発した。各ホテルを回って、人々を下ろしていくらしい。

 私は窓際の席に座り、無言のまま景色を眺めていた。空港の近くには、まだ海らしきものは確認出来なかった。

 私は、キラキラと輝く海を心待ちにしながらも、隣の涼介にイライラしていた。

 こんなにも素敵な場所なのに・・・こんな気持ち。

 私は冴えない気持ちにため息をつきながら、外の景色を眺め続けた。

 こんなはずじゃなかったのになぁ・・・。


涼介と初めて出会ったのは、今から三年前の事だった。

 たまたま友達と一緒に飲んでいた居酒屋で、隣の席に座っていたのが涼介だった。

 半分ナンパみたいな形で出会った私達だったけれど、すぐに意気投合し仲良くなった。

大手の企業で働く涼介は、スーツを着ていると、すごく凛として見えた。そして、その優しい笑顔は度々私の胸をキュンと高鳴らせた。

 人生で初めて起きた、素敵な彼の存在に私は有頂天だった。

 彼と一緒に歩く道はいつだって輝いて見えたし、彼の素敵な容姿に振り向く女の子も多かった。

 格好良い彼・・・。そして性格も温厚で優しい。涼介はまさに私にとって、かけがえのない大切な存在だった。それに涼介も私の事をとても大切にしてくれた。

 それなのに・・・。まさか、涼介との恋が終わりかけているなんて・・・。私はそんな事を思うと、サイパンの景色を見つめながら涙がこみ上げてきた。



「・・・うわぁ・・・。」

 私達は、リゾート感たっぷりな綺麗なホテルの前で下ろされると、その高級あるホテルにため息をついた。

「・・・綺麗だな。」

 涼介は私に向かって、声をかけたが、私はその感動を隠すように涼介の事を無視した。

「・・・。」

「・・・部屋行こうか?」

 涼介は、諦めたようにそう言うと、私も小さく頷いた。

 

「部屋も綺麗だね。」

 部屋のドアを開けると、そこには掃除が行き届いた部屋に二つのベッドが置かれていた。

「海見えるよ!」

 涼介ははしゃぎながら、カーテンを開けると、そこにはキラキラと輝く海が広がっていた。

「もう少ししたらサンセットだね。下に見に行く?」

 涼介は優しくそう言うと、私は小さく頷いた。

 こんなにも綺麗な海・・・初めて見た。私は涼介越しに海を見つめながら、嬉しさと悲しさを感じていた。

 大好きな海なのに・・・こんなにも綺麗なのに・・・。私は海をじっと見つめながら今の自分の気持ちが悲しみの方が勝っているのを感じていた。


 涼介と旅行を決めたのは、今から三か月前だった。

 少し遅い夏休みをどこに行こうか?そんな話をしていた日々・・・。今思うと、何て平和で暖かい日々だったのだろう。大好きな涼介と旅行に行ける。私はそれだけで嬉しかった。そして、行き先は涼介のお母さんが住んでいるサイパンになった。

 涼介のお母さんは、涼介が小さい時に旦那さんに先立たれてしまった。それから一人で涼介と弟を育てあげた素敵なお母さんだ。そんなお母さんは昨年、サイパンに旅行に来た際に現地の人と恋に落ち、そのままサイパンに移住する事を決めたそうだ。

 私はそんな波乱万丈な人生を生きていた涼介のお母さんに会うのも楽しみにしていた。でも・・・。今はあまり会いたいと思わない。だって、会ってしまったら・・・涼介と別れるのをまた迷ってしまいそうだから・・・。


「真奈、見て夕日が落ちていくよ。」

 サイパン用に持ってきた、マキシワンピースに着替えた私は、涼介に連れられるがまま、ホテルにあるプライベートビーチに佇んでいた。

「・・・綺麗だね・・・」

 涼介は夕日を見つめながらうっとりと言った。

「・・・うん。」

 私は涼介と十センチ以上距離を開けて、夕日を見つめていた。

 オレンジ色に輝く夕日・・・。東京にいるとあっという間に時間が過ぎて・・・夕日なんて見る時間なかった。

 私はキラキラ輝く夕日を見つめながら、また涙がこみ上げてきた。

 海も・・・空も・・・風も・・・全て私に優しいのに・・・。

 私は全然優しくなくて・・・人を許す事、それが出来ないでいる。だからこんなにも苦しいんだって分かっているの。でもどうしようもない思い。こんな思い、知りたくなかった・・・。



 それは忘れもしない。金曜日の夜だった。

 私は仕事が終わると、いつもみたいに涼介に電話をした。

「プルルル~・・・プルルルル~・・・」

「カチャ・・・。」

「あっ・・・もしもし。涼介?今なにしているの?」

 私は涼介が電話に出ると、嬉しくなって飛び跳ねそうになった。約束はしていないけど、涼介に会いたい。そんな期待を抱いて、電話を掛けたから。

「うん。今日は仕事の仲間と飲んでいるよ。」

 電話越しにざわざわと楽しそうな声が聞こえてきた。

「そっか・・・。分かった。」

 私はその思いをすぐに摘み取られ、少しだけシュンとした気持ちになった。

「早めに帰れたら、会いにいくよ。」

 涼介は優しくそう言うと、私は嬉しい気持ちがこみ上げてきた。

「分かった!」

「じゃあ、また連絡するね。」

 涼介は優しくそう言うと、私は安心したまま電話を切った。

 三年も付き合ってきたのに不思議・・・。今でも私は涼介の事が大好きだし、いつでも会いたいと思っている。

 涼介とデートの日はいつだって、幸せに包まれるの・・・。

 人を好きになるって・・・こんなにも暖かい気持ちになる事なんだね・・・。

 私は素直に涼介に感じた思いを抱きしめながら家路に着いた。

 もしかしたら、涼介が来るかもしれない。そう思うと、部屋を掃除するのも嫌じゃなかった。

 

しかし・・・その日はいつもとは違っていた。

 いつもなら、さっきみたいな会話の後、涼介はちゃんと連絡をくれて、終電で私の家に来てくれる。それなのに・・・。私は時計を見てため息をついた。

 時刻は午前二時・・・。さすがに今日は来られないかな?私は残念な気持ちのまま、眠りに就こうとした。

 ・・・でも・・・胸がざわめく・・・。いつもならちゃんと連絡くれるのに・・・。涼介に電話しようか・・・どうしようか・・・。私は眠れないまま、ぐるぐると不安な気持ちに包まれていった。

 どうしよう・・・電話・・・してみようかな・・・。

 私はいても立ってもいられなくなり、携帯を手に取った。まだ飲んでいるだけだよね?それか、疲れて寝ちゃったとか?

 私はドキドキしながら、涼介にコールした。お願い・・・電話に出て・・・。安心させて欲しい。

「カチャ・・・。」

「・・・あっ涼介?」

 私はコールが切れたのを確認すると、すぐに愛おしい人の名前を呼んだ。

「・・・。」

「・・・涼介?まだ飲んでいるの?」

「・・・あのぉ・・・。」

 その瞬間に私の体中の血の気がさっと引いていった。

 電話越しに聞こえてきたのは、女の人の声だったから。

「・・・誰ですか?」

 私は眉間にしわを寄せながら、震える声でそう言った。

「・・・あの、今、涼介先輩私の家で寝ちゃって・・・。」

 女は勝ち誇ったようにそう言った。

「・・・えっ?」

「・・・そういう事なので・・・。」

 女はそう言うと、そっと電話が切れた。

 ・・・一体・・・どういう事?

 私は頭が真っ白になった。涼介が他の女の家にいる?えっ?どういう事なの?


 電話を握り締めたまま私は呆然とその場に立ち尽くした。

 涼介が・・・浮気?私は信じられない出来事に身動きも取れずに、頭の中も真っ白だった。どういう事なの?今の女はいったい誰?

 私は、涼介が他の女の子の部屋で今寝ているのかと思うと、胸が苦しくなって、だんだんと悲しみが襲ってきた。嫌だ・・・。嫌だ・・・。嫌だよ・・・。

 大好きな涼介が、他の誰かと一緒にいるだけでこんなにも苦しいなんて・・・。私は知らなかった。今までずっとそばにいたのは私だったのに・・・。涼介・・・。どうして?

私は悲しみの涙を流しながら、今度はだんだんと怒りがこみ上げてきた。

 信じていた涼介が私を裏切るなんて・・・。ありえない。どうしてそんなひどい事が出来るの?いつも言ってくれていた言葉全部・・・ウソだったの?

 私は涙を流しながらも、どんどん溢れ出てくる感情に身を預けていた。テレビでよく見かける浮気シーンも全部・・・自分には無関係だと思っていた。でも・・・本当にあるんだね。涼介が私を裏切っていたなんて・・・。

 私は悔しくて、悔しくて・・・。息さえできない程だった。

そして、その時に頭に浮かんでしまった。

(もうダメだ・・・別れよう。)

 悲しみと怒りと悔しさから・・・私はその選択肢しか思い浮かばなかった。

 涼介とこれ以上一緒にいられない。明日電話が来たらすぐに別れを切り出そう。

 そう思いながらも、一人涙を流し続けた夜だった。



「じゃあ乾杯。」

 ホテルから少し歩いた所にある、ステーキハウスに入ると、人々が楽しそうにお肉を食べていた。

 私達は注文したお肉が来る前に、アメリカのビールで乾杯しながらお肉が届くのを待っていた。

「ここの肉うまいってネットで書いてあってさ。真奈肉好きでしょ?」

 涼介は私の機嫌を取るように、いつもよりニコニコしながら言った。

「・・・うん。」

 私はビールをちびちびと飲みながら涼介から視線を逸らして言った。

「でもさ、アメリカのビールも美味しいね。」

「・・・うん。」

「俺、真奈とサイパンに来られて良かった。」

「・・・うん。」

「・・・あっ・・・ほら、見て?あっちの席の肉でかいなぁ・・・。」

 涼介は私の態度にめげる事なく、一人で楽しそうに話していた。私はそんな涼介の態度に大きくため息をついた。

「・・・もういいよ?」

「・・・えっ?」

「そんなに頑張らなくても。どうせ、帰ったら私たち別れるんだから。」

 私は無情な事を言っているなぁと自分で思いながらも、そう言った。せっかくサイパンに来て、楽しいはずの食事なのに・・・。私の言葉一つで台無しだ。

「・・・真奈。」

「・・・もう仕方ない事でしょ?」

「・・・分かった。でも・・・」

「・・・うん?」

「・・・それなら、今だけでも楽しもうよ。」

「・・・。」

「どうせ別れるなら・・・ねっ?」

 涼介は寂しそうにそう言うと、私はその言葉に小さく頷いた。



「・・・もしもし?」

「・・・あっ・・・真奈?」

 翌日、案の定涼介から電話が掛かってきた。私は不機嫌なまま電話に出ると、涼介はすぐに私に謝罪した。

「・・・連絡遅くなってごめんね。」

「・・・。」

「・・・昨日は飲み過ぎちゃってさ。携帯、無くしちゃったんだよね。」

 涼介は不思議な事を言い出した。

「・・・えっ?」

「いや・・・皆でわいわい飲んでいたら、俺寝ちゃったみたいで、五時頃店で起きたら携帯が無くなっていて・・・。」

「・・・何言っているの?」

 私は浮気した事を隠そうとしている涼介に腹が立った。

「・・・それでね、電話を探したら、後輩が間違って持って帰っていたみたいなんだよね。」

「・・・涼介?どうしてそんな嘘つくの?」

「・・・えっ?」

「・・・昨日、電話したら、女の子が出たよ?今、涼介は自分の部屋で寝ているって。」

 私は感情的なまま、涼介にキツく言った。

「・・・えっ?」

「浮気したんでしょ?もう隠さなくていいよ。」

 私は怒りのまま涼介にそう告げた。

「・・・真奈何を言っているの?」

「・・・だから浮気したんでしょ?もういいよ。私、涼介とはもう付き合えない。」

「・・・何言っているんだよ。頼むからそんな事言わないでくれよ。」

「・・・浮気して何言っているのよ。」

 私は呆れながら、涼介の電話を叩き切った。もうこれ以上話したくない。私は電話を握りしめながらまた涙がこみ上げてきた。もう嫌だ・・・。こんな感情に振り回れるのは・・・。

 いつもなら一緒に過ごす楽しい週末も・・・。一人きりで・・・涙に濡れて・・・。苦しいよ。辛いよ・・・。でも私の考えは、きっと変わらないだろう。だってこんな思いをするのは、初めてだから・・・。



「美味しかったね。」

 ステーキハウスを出ると、私達は夜の街を歩き始めた。

 夜風が頬にサラサラと流れていく。サイパンの夜は心地よい気温だった。

「やっぱり夏の夜は気持ちいいね。」

 涼介は風に吹かれながら嬉しそうに言った。

「・・・うん。」

「真奈ってさ、夏好きだよね?夏が好きな真奈を見ていたら俺もさ、夏が好きになったんだよ?」

「・・・そうなんだ・・・。」

 私は呟くように言った。

 本当は・・・こんな事思いたくないけど、涼介はこの別れ話が持ち上がってから、いつもよりもずっと優しくなった。

 今までももちろん、優しくしてくれていたけど、それ以上に気を遣ってくれているのが目に見えて分かる。それはきっと・・・私の事を本気で愛してくれているから・・・。そんな事は分かっている・・・。でも・・・。

「・・・今年の夏も楽しかったよね。」

 涼介はしんみりと空を見上げながら言った。

「・・・。」

「花火大会でさ、場所取り出来なくて、歩くように見たけど、それも何か良かったよね。」

「・・・。」

「それにさ、プールも行ったよね。スライダー楽しかったね。」

 涼介は照れたようにそう言うと、悲しそうな笑顔で私を見つめた。

「・・・やっ・・・やめてよ。」

 私はその表情を見て、すぐに涼介から視線を逸らした。

「・・・そんな思い出話しないで・・・。私はもう全部忘れたいんだから・・・。」

 私はムキになってそう言った。だって、思い出話なんてされたら・・・別れると決めた心が揺らいでしまいそうだったから・・・。

「・・・ごめん。」

 涼介があまりにも悲しそうな顔で謝るので、私の心はさすがに傷んだ。

「それよりさ、明日はどこに行くのよ?」

 私は涼介の表情を見て、慌ててそう言うと、涼介はすぐに笑顔になった。

「うん。明日ね、明日は泳ぎに行こうよ。母ちゃんが言っていたんだ。すごく綺麗な海があるから絶対に泳いだ方がいいってさ。」

「・・・ふーん・・・。」

「・・・明日、一緒に行こう。」

「・・・分かった。」

 私は涼介の言葉に頷くと、不思議と気持ちは晴れ渡っていた。サイパンの空気が・・・少しずつ私の心を解きほぐしていってくれている。そんな気がした。


 晴れ渡った明るい空・・・。光輝く海。サイパンでの朝は最高だった。

「おはよう。」

 私がベッドで身動きをすると、涼介は嬉しそうに言った。

「・・・おはよう。」

 私はボサボサの頭で、キャミソール一枚というだらしない格好で起き上がった。しかし頭はスッキリしていた。

「・・・朝ごはん食べに行く?」

「ふぁぁぁぁ・・・うん。」

 私はあくびをしながら生返事をすると、涼介は嬉しそうに笑った。


「俺さ、実は六時に目が覚めちゃって・・・早速海に行ったんだよね。」

 ホテルの朝食バイキングを食べながら涼介は嬉しそうに言った。

「・・・へぇ・・・。」

 私はシェフが作ってくれたオムレツを食べながら、涼介の話を聞いていた。

「最高に綺麗だったよ。キラキラしていて。俺、こんな綺麗な海、初めて見てかも。」

「良かったね。」

「うん。母ちゃんが移住しちゃった気持ち分かるわ。」

「・・・そっか・・・。」

 私はニコニコと嬉しそうな涼介にまた少し怒りがこみ上げてきた。

 浮気しておいて・・・楽しそうにしないでよ。

「でも、今日行く海はもっと綺麗なんだろうな。」

「・・・。」

「真奈と南国の海に行けるなんて夢みたいだ。」

 涼介は心から愛おしそうにそう言った。

 私はそんな涼介の言葉にまた胸が苦しくなった。


 

浮気が分かってから、私は涼介からの電話を取ることを避けていた。きっと涼介は言い訳をする。そして言うんだ。別れたくないって・・・。

 でも、楽しみしていたサイパン旅行は目前に迫っていた。キャンセル料を考えると、あまりにも勿体ない事をしているように思えた。


「・・・もしもし?」

 一日に何回もかかってくる電話・・・。私は旅行の事だけは話しておかなければならないと思い、涼介からの電話を取った。

「・・・やっと出た。」

「・・・言い訳はいいの・・・。何も聞きたくないから。」

 私は涼介が言葉を発する前にそう言った。

「・・・真奈。」

「・・・それより旅行どうするの?」

「・・・えっ?行ってくれるの?」

「・・・だって・・・キャンセル料ほぼ全額だよ?」

「・・・そうだよね。」

「本当は行きたくないけど・・・。」

 私は複雑な気持ちを涼介にぶつけた。

「・・・ごめん。」

「・・・これで最後にしよう?」

「・・・えっ?」

「旅行には行く。でもこれで最後にする。」

 私は自分の言葉にだんだんと涙がこみ上げてきた。だって・・・本当は別れたくない。でも仕方ないじゃない・・・。それしか私が浮かばれる方法がないの。

 私は悲しみをぐっとこらえて、涼介にそう告げた。

「・・・分かった。」

 涼介は言い訳もせずに、小さくそう言った。

「じゃあ、当日の午前七時に成田空港で。」

 私は息を飲み込んでそう告げると、すぐに電話を切った。

私達が別れる。そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。そしてそれを言い出したのが自分なんて・・・。

 私はまた涙を流しながら、涼介を思った。

 大好きな涼介・・・。私を裏切っていたなんて・・・今でも信じられない。

 もしも私が彼を許す事が出来たら、二人はまた前みたいに笑い合えるのに・・・。

 私はそんな事を思うと、自分の小ささに涙が止まらなかった。

 でも・・・信じていた涼介に裏切られたショック・・・。あの電話越しの女の子の声が耳から焼きついて離れない。あの勝ち誇った声・・・。私はその瞬間にこの世界で一番怖いものを見たような気がしたの。本当に怖いものは・・・人の思いだったんだね。

 そんな事を思うと、全てを捨てたくなる。だって自分にもそんな感情が眠っていて、人を傷つけてしまうくらいなら・・・全てを手放したい。

 私は涼介の為だとしても・・・戦えない。こんなにも彼の事を好きなのに・・・。結局は自分の全てを曝け出すのも怖いの。涼介ごめんね・・・。

 私は自分の小ささを感じながら涙を流し続けた。

 別れが目前に迫っている・・・。その悲しみは・・・身が避けるほどの思いだった。



「うわぁ・・・。」

 サイパンにある、その島はまるで天国のようだった。

 本島から船で十分。エメラルドグリーンに透き通っている海には、希望が溢れていた。

「綺麗だね。」

 輝く海にテンションが上がった涼介は嬉しそうに言った。

「うん。」

 私もその美しさに一瞬、悲しみを忘れていた。

「母ちゃんが言っていたんだけど、海の中、魚がいっぱいいるんだって。」

 涼介はニコニコと嬉しそうに言った。

「へぇ・・・。」

「俺さ、水中用のカメラ持ってきたから魚と真奈を一緒に撮ってあげるよ。」

「・・・涼介・・・。」

「ほらっ・・・真奈魚好きでしょ?」

「・・・食べるのはね。」

「ふふふ・・・。」

 涼介はそんな私の反応に嬉しそうに微笑んだ。

「あっ・・・もうすぐ着くよ。」

 私達を乗せた船は、島に着くと、すぐにキラキラした太陽が私達を照らしつけた。

 日本よりも五倍も紫外線が強いと昨日、バスの中でガイドさんが言っていた。

 私はキラキラ輝く太陽を見つめながら、すぐに海へと視線を落とした。

 本当だ・・・。私は桟橋から覗いた海に驚いた。肉眼でも魚が見える。こんな透き通った海は初めてだ。

 私はその美しさに、体中が喜んでいるのを感じていた。

この島は・・・私の悲しみや怒りを全て溶かしてくれるのかもしれない・・・。


「真奈!行こう。」

 涼介が嬉しそうに私を手招きすると、私も涼介の元へと駆けていった。まるで、幸せだったあの頃みたいに・・・。


「じゃあ泳ぎますか!」

 しっかりと日焼け止めを塗って、水中メガネを装備して・・・私達はエメラルドグリーンの海に潜った。

 シュノーケルをするのはこれが初めて。私はドキドキしながら海の世界へとダイブした。

「・・・うわぁ・・・。」

 透明な海の中には、色とりどりの魚がゆらゆらと泳いでいた。

 そしてその姿を隠すように、たまに岩陰に隠れる小さい魚がとても可愛かった。

 私達は持ってきていた、魚のエサを海に撒くとその瞬間・・・沢山の魚が私と涼介を囲うように群がってきた。

「すごい・・・。」

 私はキラキラした眼差しでその様子を見つめていた。海にはこんなにも綺麗な世界が広がっていたなんて・・・。

「・・・すごいね!」

 海から顔を出すと、私は思わず笑顔で涼介にそう言っていた。

「すごいね!マジで。俺、感動した。」

 涼介もニコニコと嬉しそうにそう言うと、私たちは微笑みあって、また海の世界へと戻った。

 これを・・・なんて表現すればいいのだろう。

 光差し込む海に・・・のんびりと泳ぐ魚。そして七色に輝く珊瑚礁。あまりにも美しい世界にため息が出る。

 私達は魚を追ってどこまでも泳ぎ続けた。見たこともない魚もいっぱいいた。

 

魚を追って泳いでいると、ニコニコした涼介が私の肩をトントンと叩いた。そしてその手には旅行の為に買ったと言っていた水中でも撮れるカメラを持っていた。

「真奈!笑って。」

 海の中で、涼介がそう言っているのが分かったので、私は涼介の言うとおり笑顔でピースをした。

 魚と一緒に写真を撮るなんて・・・初めてだ。

 私は最高の笑顔をカメラに送ると、また海の世界に夢中になった。


「綺麗だったね!」

 私たちは休憩の為に海から上がると、髪の毛がびしょびしょの涼介は楽しそうな笑顔で言った。

「うん。最高だった。」

 私も笑顔のまま、髪の毛をかきあげた。

「・・・海ってすごいね。」

「・・・えっ?」

「だって、真奈の笑顔見られたもん。」

「・・・。」

「・・・魚と撮った写真見る?」

 涼介は嬉しそうにそう言うと、デジカメを見せてくれた。

「うん。」

 私は涼介に近寄って、さっき撮ってもらった写真を見た。

「・・・うわぁ・・・。」

 光が差し込む海に、色とりどりの魚。そして、ゴーグル越しに笑う私・・・。すごく綺麗な写真だった。

「綺麗に撮れたでしょ?」

「うん。水中カメラってすごいね!」

「他にもいっぱい撮ったよ。」

 涼介はそう言うと、眩いばかりの海の写真を見せてくれた。

「・・・来てよかった。」

 私は涼介が撮った写真を見ながら、思わずそんな言葉を口から発していた。

「・・・えっ?」

「・・・あっ・・・いや・・・知らなかった世界が知れて嬉しいの。魚がとっても可愛かったから。」

「そっか。なら良かった。」

 涼介は優しい表情でそう言うと、私はその笑顔から視線を逸らすように、海を見つめた。


 本当は知っているの・・・。こんなにも今、楽しいと感じるのは海の世界が綺麗なのはもちろん・・・隣に涼介がいてくれるから。私と同じように泳いで・・・感動を分かち合う事が出来る事・・・。奇跡だって思えるの。でもね・・・私はそんなにも大切な人さえも許すことが出来ないんだよ。

 私はまた、頭にそんな考えが浮かぶと、悲しみと怒りが湧き上がってきた。

 こんなにも綺麗な海には似合わない。この感情は・・・狂おしいほどの嫉妬・・・。分かっているの。


「楽しかったね。」

「・・・うん。」

 海で沢山泳いだ私達は、心地よい疲れと共に船に乗り込んだ。

 日差しがギラギラと照らしつける。海はその光を浴びてキラキラと光輝いていた。どこまでもブルーな海・・・。私は沢山の感動をくれた島に感謝の気持ちを込めた。

「何か・・・子供の頃みたいじゃない?」

 涼介は風に吹かれながらぼんやりと言った。

「・・・子供の頃?」

「うん。ほら・・・プールの授業の後みたいな・・・。心地よい眠気。」

「・・・うん。そうだね。」

「次の授業はさ、やたらあくびが出て、窓から気持ちいい風が吹いて、気づくと寝ちゃっているんだよね。」

「・・・うん。」

「疲れているからぐっすりでさ。幸せだったなぁ・・・。」

 涼介はしみじみと言った。

「・・・今日も帰ったら寝たいね。涼しい部屋で。」

「気持ちいいだろうね。」

「うん・・・。」

 私達は船に揺られながらそんな会話を交わした。

 なんだろう・・・。この島での時間の流れは・・・ゆっくりでもあり、あっという間でもある。でも、不思議と焦る気持ちは一つもなくて。旅行に来ているからって無理に行動しようという気にもならなかった。

 したい事をしよう・・・本能のままに。そんな感じだった。


「ふぁぁぁぁ・・・・。」

 ホテルに着くと、私はシャワーを浴びてすぐにベッドに横になった。

 心地よい疲れ・・・夢中になって遊んだ証拠だった。

 私がベッドに横たわると、涼介はそっとカーテンを閉めてくれた。

 薄暗い部屋・・・。私はすぐに眠りに着いた。

 

「・・・ふぁふぁふぁ・・・・」

 あくびと共に目が覚めると、私は一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなっていた。

「・・・寝ちゃった・・・。」

 私は重い体を起こすと、携帯電話で時間を確認した。

 もう六時だ・・・。涼介は?私はすぐに隣のベッドを見ると、そこには布団も掛けずに熟睡する涼介がいた。

「・・・涼介も寝ちゃったんだ。」

 私は自分の子供を見守るような気持ちで涼介を見つめると、不思議と優しい気持ちがこみ上げていた。

 風邪引いちゃう・・・。私は涼介のお腹に布団をかけてあげると、急に愛おしい気持ちがこみ上げていた。

 この寝顔を・・・ずっと見ていたい。そう思っていたのに・・・。

 細身だけどしっかりとした体も、筋肉の付いた二の腕も、細い足も・・・その全てが大好きだった。そして何よりも、時より見せてくれる無邪気な笑顔。何度その笑顔に元気をもらったか分からない。涼介のそばにいると、いつも暖かい気持ちになった。いつも幸せだった。こんなに人を好きになった事はない・・・。

 私は一人、涼介の寝顔を見つめながら、胸が苦しくて、だんだんと息さえするのも辛くなっていった。

 この大好きな涼介と・・・本当に別れるのかな?別れていいのかな・・・。いつも私に沢山愛をくれていた事・・・ちゃんと分かっている。今日だって、私の事を大切に思ってくれているって感じていた。涼介の思いは痛いほど・・・分かるの・・・。でも・・・。

 私は大好きな涼介を見つめながら、胸の痛みと戦っていた。本当はこれからも一緒にいたい・・・。出来れば結婚だってしたい。そう思っていたのに・・・。

 私はもう叶う事のないかもれない願いを思うとまた涙が溢れてきた。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。こんなにも愛していたのに・・・。

人を愛する事は・・・誰かが辛い事だと言っていた。その言葉の意味がやっと分かったの。人を本当に愛する事は、その人の全てを受け入れる事なんだね。そんな難しい事、私に出来るのかな?全てを受け入れてもまだ、愛し続ける事が出来るのかな?

 私は涼介の寝顔を見つめながら、ひたすらに自分の内側と戦っていた。


「・・・おはよう。」

 完全に日が沈み、暗くなった部屋で涼介はむくっと体を起こした。

「・・・おはよう。」

 私は慌てて涙を拭うと、すぐに視線を背けた。

「・・・電気もつけないで・・・。」

 涼介は真っ暗な部屋を見て、ぼんやりと言った。

「・・・あまりもぐっすり寝ていたから、起こしちゃ悪いと思って・・・。」

 私は視線を逸らしたまま言った。

「・・・そっか。ありがとう。」

 涼介は優しい声でそう言った。

「・・・うん。」

「・・・前にもこんな事あったよね。」

「・・・えっ?」

「付き合ってすぐの頃・・・。仕事帰りでさ、俺がすごく疲れていて、ご飯の途中で寝ちゃって・・・。」

「子供みたいだった。」

 私はまだ幸せだった頃を思い出しながら言った。

「真奈はそのまま俺の事寝かしておいてくれたよね。今みたいにそっと毛布かけてくれて。」

「・・・うん。」

「どうして思い出でってさ、こんなにも綺麗に思えるんだろうね。」

「・・・。」

「俺さ、最近、真奈との思い出ばかり思い出すんだよね。」

「・・・涼介。」

「思い出せば出すほどに、真奈が恋しくて、大切な人だったんだって、気づかされる。」

 涼介はベッドの上で暗闇を見つめるように言った。

「そういう話はもういいよ・・・。」

 私はそんな涼介の言葉に胸が傷んだ。だって・・・私も一緒だったから・・・。

 涼介との思い出を思い返すたびに胸が痛んで、後悔しそうになるの・・・。

「・・・真奈ごめんね。」

「・・・だから・・・。」

「真奈が一番辛いって分かっている。」

「・・・もういいよ。」

「でも一個だけ言わせて?」

 涼介はベッドから降りて、私の目の前に立った。

「・・・何?怖いよ・・・。」

 私は真剣な表情の涼介から視線を逸らして言った。

「・・・真奈・・・。俺。」

 涼介は苦しそうな表情をした後、すぐに・・・。

「・・・ちょっと!」

 私の事を思いっきり抱きしめた。

「俺・・・信じて欲しいんだよ。俺・・・本当に何もしてないんだよ。」

「・・・涼介。」

 肩ごしで・・・涼介が悲しそうにそう言った。私はすぐに胸がいっぱいになった。

 久しぶりに触れる涼介の温もり。全然嫌じゃない。

 ・・・でも・・・。

「・・・やめて!」

 私は涼介の腕から逃げるように、体を突き放すと、すぐに横を向いた。

「・・・真奈。」

「・・・もう決めたんだよ。別れるって。だって、あの日の夜の彼女の声が耳から焼きついて離れないんだよ?私がどんなに苦しいか・・・涼介は分かっていないよ。」 

 私は震える声を精一杯に出して、自分の気持ちを伝えた。

「・・・そうだよな・・・。」

「・・・もう嫌なの。怖いの・・・。背筋が凍るほどに怖かった。忘れられない。」

 私は自分の内側にあった思いを全て吐き出した。

 そう・・・涼介の事は好き・・・。でも彼女の声が頭から離れない。思い出すたびに苦しくて、悔しくて・・・嫉妬という感情に飲み込まれそうになる。

「・・・ごめん。」

「・・・もういいよ。別れたら・・全部忘れる。」

 私は取り乱していた感情を抑えて、冷静に言った。

「・・・後、二日だね。」

 涼介は寂しそうにそう言うと、顔を落として下を向いた。

「・・・うん。」

 

 真っ暗な部屋に・・・・希望の光が差し込む事はなくて・・・。私と涼介は悲しみのどん底を彷徨っていた。

 でも・・・私は知っているの。この世で一番怖い感情が嫉妬だって・・・。だからこの思いが消えない限り涼介と一緒にはいられない。嫉妬に狂った私が何をするか・・・その方が怖かったんだよ?


「じゃあ行こうか?」

「うん・・・。」

 翌日、私達は暗い気持ちを抱えたまま、涼介のお母さんに会いに行く事になった。別れる人のお母さんに会うなんて・・・なんだか変な気分だけど、お母さんは今回の件に何の関係もないし・・・。涼介に聞いた話だけど、お母さんは私に会う事をとても楽しみにしていたらしい。


 サイパンの果てにある、お母さんと恋人が暮らす町は、私達が泊まっていたガラパンという都市よりもずっと田舎だった。


「・・・ここか・・・。」

 涼介はレンタカーを降りながら、そっと辺りを見渡していた。

「・・・大自然だね・・・。」

 私も涼介に続いて、車を降りると、目の前にはジャングルを思わせる程の木々に囲まれていた。

「・・・あっ・・・海も見える。」

 森の奥にキラキラと輝く海が見えると、私は感激の声をあげた。

 家からすぐに海が見えて・・・こんな綺麗な自然に囲まれていて、素敵な場所。こんな所なら私も迷わず移住してしまうかもしれない。

 私は心地よい海風を浴びながらそんな事を思っていた。


「・・・涼介?」

 私達が海を眺めていると、背後から、中年女性の声がした。

「・・・母ちゃん!」

 涼介は振り向くと、嬉しそうにそう言った。

「よく来たね。」

 お母さんは嬉しそうにそう言うと、視線を私に移してくれた。

「・・・あっ・・・神田真奈です。」

 私は慌てて挨拶をすると、お母さんはふわっとした暖かい笑顔を見せてくれた。

「涼介の母です。真奈ちゃんの事は涼介から聞いているよ。よろしくね。」

 お母さんは嬉しそうにそう言うと、私はその魅力的な笑顔に引き込まれそうだった。

 南国に住んでいる人独特ののんびりした雰囲気・・・そして、少し焼けた肌にムームーが良く似合っていた。

 私は年齢を感じさせないお母さんの明るさにすぐに好感を持った。

「良かったら中で話しましょう?外は暑いから。」

 お母さんは日差しを手で遮りながら、のんびりとそう言った。

「・・・はい。お邪魔します。」

 私と涼介は、ジャングルみたいな庭にポツンとある風通しの良さそうな平屋を目指して歩いた。


「はい。」

 私達は部屋に入ると、お母さんがすぐに冷たいマンゴージュースを出してくれた。

「頂きます。」

 私はお母さんが出してくれたジュースを飲みながら、辺りを見渡した。

「綺麗なお家ですね。」

「・・・そう?」

「南国って感じで素敵です。」

 私は広くも狭くもない、その家の風通しの良さとあまり物のない感じを素敵だと感じだ。

「いい所だよ。」

 お母さんは嬉しそうにそう言うと、ジュースを飲みながらしみじみと言った。

「朝には、綺麗な朝焼けを見る事が出来るし、昼間は気持ちいい風が吹くし、夜は満点の星空が見える。」 

「・・・素敵。」

「自然の素晴らしさを毎日感じる事が出来るの。私はこの島が好き。」

 お母さんは心から愛おしそうに言った。

「・・・いいなぁ・・・。」

 私はのんびりと流れる時間に身をゆだねているお母さんの生き方に憧れを抱いた。

 色々あった人生の・・・最終地点に選んだ土地・・・。私もそんな人生を歩みたい。

「色々あったけどね、思い切って移住してきて良かったって今は思っている。」

「・・・そっか。なら良かった。」

 涼介はお母さんの言葉に安心したように笑った。

「ジョージも優しいしね。」

 お母さんは新しい旦那さんの事を嬉しそうに話してくれた。

「そう言えば、ジョージは?」

「うん。今は海辺で釣りしているよ。」

 お母さんは海を指さしながら言った。

「・・・俺、ちょっと行ってきていい?」

 涼介は私とお母さんの様子を伺うように言った。

「いいよ。行ってきな。すぐそこの海だから。」

 お母さんはあっさりとそう言うと、涼介は嬉しそうにお母さんの旦那さんの所へと行ってしまった。

「・・・。」

「・・・。」

 お母さんと初めての二人きり・・・。私はドキドキしたまま、ジュースを口にした。どうしよう・・・何か話さなきゃ・・・。

「どう?サイパンは?」

 お母さんは話題を探す私とは裏腹にのんびりとした口調で言った。

「・・・あっ・・・はい。もう最高です。昨日は涼介さんと一緒に海で泳いできました。魚がいっぱいいて・・・とても感動しました。」

 私は昨日の事を思い出してうっとりと言った。

「そっか。良かったね。」

「お母さんも泳いだりするんですか?」

「うん。泳ぐよ。魚が可愛くってね。気づくと夕方まで泳いでいる事もあるよ。」

 お母さんは嬉しそうに言った。そしてその表情は子供みたいで可愛かった。

「いいなぁ・・・。」

「サイパンの人は皆泳ぐ事が大好きだし、仕事でもあるからね。」

「そっかぁ・・・。」

「日本も日本で住みやすいけどね、私にはこっちでの生活の方があっていたみたい。」

「・・・。」

「朝が来て・・・起きて、夜が来たら眠る。自然の流れのまま、生きているとね、自分の小ささに気づかされるよね。あぁ・・・私達は生かされているんだって。」

「・・・そうですよね・・・。」

「だから、毎日感謝しているの。太陽にも海にも魚にも・・・。」

「・・・はい。」

「日本にいると、忘れてしまうんだよね。便利すぎて・・・。何も不自由がなくて。でも人間は少し位不自由な方がいいのかもね。その方が色々な事に感謝できるから。」

「・・・本当・・・そうだと思います。」

 私はお母さんの言葉に、胸が詰まる思いだった。確かに、私達

が暮らす毎日は・・・便利すぎて、何もかもが当たり前だと思ってしまう。だからこそ、大事な人に対しても、必要以上な事を求めてしまうんだ。笑顔で向き合えるだけで幸せだって思えていたのに・・・。

 私は自分の傲慢さを感じると、少しだけ気分が落ち込んだ。

「・・・でもさ、人は失って初めて気づくものだから・・・。」

 お母さんは笑顔でそう言うと、そっとジュースをまた一口飲んだ。

「・・・失って?」

「そう。私もね、日本にいる時はその便利さを当たり前だと思っていたよ。サイパンはね、水道水が使えないの。石灰が含まれているから、飲んだりしたら大変。顔も洗えないし、洗濯も出来ないんだよ。だから、水はとても貴重なの。日本なら蛇口を捻れば使えていたでしょ?そんな当たり前の事に感謝できるようになったんだよ。」

「・・・そっか・・・大変なんですね。」 

「だから、失ってみて初めてその価値に気づくんだなぁって・・・最近学んだの。」

 お母さんはしみじみと言った。

「・・・それは人も一緒でしょうか?」

 私は意を決し、そんな質問をしてみた。

「・・・涼介の事?」

「・・・はい。」

 私は自分の悩みを正直に打ち明けてみる事にした。涼介のお母さんなら・・・私の気持ちを話しても理解してくれるような気がしたから。

「実は私・・・涼介さんと別れようと思っていて・・・。」

「・・・。」

「初めてお会いして、すぐにこんな事を言うなんて可笑しいのかもしれないんですが。」

 私は下を向いて言った。

「・・・全然可笑しくないよ?何か理由があるんでしょ?」

「・・・はい。」

「おばさんで良かったら、話聞くから。話してみて?」

「・・・はい。」

 私は涼介のお母さんに全てを打ち明けた。電話の事も、涼介の言い分も全て・・・。


「・・・そっか・・・。」

「・・・正直、どうしていいか分からないんです。気持ちはまだ残っているから・・・。」

「・・・うん。」

 お母さんは私の話を静かに頷きながらも、真剣に聞いてくれた。

「・・・お母さんはどう思いますか?」

 私は色々な事を経験してきたお母さんの意見を素直に聞いてみたかった。

「・・・うん。おばちゃんはね・・・。」

 涼介のお母さんは、何かを考えた後で、真剣に私の目を見つめた。

「・・・まずはごめんね。」

「・・・えっ?」

「涼介のせいで、真奈ちゃんに悲しい思いをさせて・・・。」

 お母さんは申し訳なさそうに私に謝った。私は突然の出来事に、慌てて、首を振った。

「・・お母さんが悪いわけじゃないですよ。」

 私は頭を下げるお母さんの肩を掴んで、頭を上げさせた。

「・・・でもね・・・。」

 お母さんは、顔を上げると、真剣な眼差しで私を見つめた。

「・・・本気で好きになれる人と出会える事ってね、おばちゃんは奇跡だと思うの。」

「・・・お母さん・・・。」

「おばちゃんは一回、大切な人を失っている。そう・・・涼介達のお父さん。すごくいい人だった。」

「・・・。」

「一緒の時はね、そりゃ、嫌な事もあったよ。別々に生きてきた二人が一緒に暮らすんだもんね。当たり前だよね。でもね、彼を失った時、おばちゃんは本当に悲しかった。彼にイライラした小さい事なんてどうでもいいと思えるほどに・・・どんな事でも許せば良かった。仲よくすれば良かったって・・・。だって生きているだけで奇跡だったんだから。」

 おばちゃんは目に涙を浮かべながら言った。

「・・・そばにいる苦しみもあるのかもしれない。でもね、そばにいない苦しみの方が辛いよ。それは絶対に・・・。会いたくても会えないのは、もう生き地獄みたいだった。毎日泣いて、泣いて自分も死にたいと思った。何度も・・・。」

「・・・そんなに・・・。」

「生きていれば、失敗もある。過ちもあるかもしれない。ましてや人間は完璧じゃないから・・・。でも大切な人と出会う意味が、幸せになる為だけじゃなくて、お互いに成長出来る為だとしたら?私ね、許せる事ってすごく素敵だと思うの・・・。それを学ぶ為に生きているって思っていいほどに・・・許す事は最大の愛情表現だと思う・・・。」

「・・許す事・・・。」

「許す事が出来たら、二人の絆はもっと深くなる。絶対に・・・私ね、真奈ちゃんに同じ悲しみを感じて欲しくないの。目の前にいる時は気づかない。でも離れたら絶対に後悔する。好きな気持ちを抱えたまま、忘れるなんて出来ないんだよ。」

「・・・。」

「・・・自分の息子の幸せを願って言っているわけじゃないんだ。真奈ちゃんが・・・涼介をちゃんと好きでいてくれているって分かるから。」

 涼介のお母さんはそう言うと、涙を拭って笑って見せてくれた。

 私はその笑顔を見たら、自分も涙が出てきてしまいそうになった。それくらい・・・涼介のお母さんの気持ちが伝わってきたから・・・。


 私は初めての恋愛で彼と出会った。ほとんど彼以外の人を知らない。失恋も知らない。だから・・・別れてもすぐに好きな人が出来ると思っていた。

 でも・・・涼介のお母さんの涙を見ていたら、こんな素敵な人ともう出会う事なんて出来ないんじゃないかと思った。

 一緒に笑いあった日々も・・・愛し合った日々も全て・・・今は宝物みたいにキラキラしている。この日々を求めても、もう出会えない事は知っている。だって過去は過ぎ去った日々・・・。私は前に進むしかない。彼を許して、新しい一歩を踏み出すか、それとも全てを清算して一人で新しい日々を歩むのか・・・。その答えはきっと、私の内側に眠っている。そして自分に素直になれば見えてくる。それは分かっているけど・・・。

 

「ありがとうございました。」

 涼介と旦那さんが海から戻ってきて、私達は楽しく昼食を食べた。旦那さんはやっぱり明るくていい人だった。

そして別れの時・・・お母さんはそっと私に近づいて、私の手を握った。

「真奈ちゃん、今日はありがとう。おばちゃん真奈ちゃんに会う事が出来て良かった。どんな答えを出そうと、おばちゃんは真奈ちゃんの幸せを一番に願っているからね。私はいつもここにいるから・・・もしも会いたくなったらいつでも来てね。もちろん、一人でも友達とでもいいからね。人はね、きっと会う事に意味があると思うんだ。だから、この出会いを大切にしようね。そしてまた会おうね。」

 涼介のお母さんは優しくそう言うと、私はその暖かい手のぬくもりに思わず涙が溢れそうになった。

「・・・私こそ、ありがとうございました。初対面で色々な話をしてしまって・・・でも親身になって聞いてくれて、本当に嬉しかった。ありがとうございます。また必ず会いに来ます。」

 私はお母さんの手のぎゅっと握りしめながら笑顔でそう言った。

「・・・ありがとう。」

 お母さんは優しい目でそう言うと、今度は涼介の手を取った。

「涼介、今日は会いに来てくれてありがとう。お母さん本当に嬉しかった。逞しくなった涼介が見られて本当に良かった。省吾にも今度おいでって言っておいてね。それと、人間はいつも一人だけど、家族はどこにいても一つだから・・・。お母さんはここで元気で暮らしているから、涼介も自分の夢に向かって頑張ってね。何も心配しなくていいからね。」

 お母さんは笑顔でそう言うと、涼介も力強く頷いた。

 親子の絆・・・暖かい愛がそこには溢れていた。

「じゃあまた!」

 私達は車に乗り込むと、お母さんと旦那さんに手を振って別れた。

 旅につきものの、寂しくも暖かい別れ。私達は車の中でその余韻を感じていた。


「・・・素敵なお母さんだね。」

 私は運転する涼介の横顔を見つめながら言った。

「うん。今日は一緒にきてくれてありがとう。」

 涼介は真っ直ぐに前を向きながら言った。

「・・・うん。いいよ。私も会えて嬉しかった。」

「母ちゃんってさ、見ての通り、すごく芯の強い人でね、決めたらとにかく真っ直ぐだった。でも優しさの柔軟性はあるから、俺も弟も母ちゃんの暖かさをいつも感じていたんだ。」

「・・・そうだったんだ。」

「父ちゃんが死んじゃった時も、俺達の前では一切泣かなかったよ。でも、たまに夜中に泣き声が聞こえてきたけど・・・。」

「・・・うん。」

「でも、朝には笑っているんだよね。だから、昨日の母ちゃんは夢だったのかな?なんて思っていた。」

「・・・うん。」

「でも、母ちゃんのあんな幸せそうな笑顔、初めて見た。」

「・・・幸せそうな笑顔?」

「うん。旦那さんと一緒に笑っている時、本当に満たされた笑顔をしていたから・・・。」

「そうだね。」

「母ちゃんが言っていたんだよね。昔、結婚なんて、本当に好きな人と以外する意味なんてないって・・・。打算や寂しさでしたって、本当の結婚とは言えないって・・・。」

「・・・そうなんだ。」

「命を掛けても相手と一緒に生涯を生きると決める事。そんな相手と出会えるのは奇跡だって・・・。」

「・・・。」

 さっきお母さんが言っていた言葉だ・・・。私はお母さんの言葉を思い出して胸がキュンと苦しくなった。

「だから、結婚は心から愛せる人としなさいって・・・もしもそう思える相手に出会えなかったらする必要もないよって・・・。俺達は結婚する為に生まれてきたワケじゃないし、子孫を残すために生きているわけじゃないからって・・・。」

「・・・そっか・・・。」

「俺もさ、そう思えるかもしれない相手に出会えたんだ・・・。でもね、それはもう失ってしまうかもしれない。」

 涼介は切なそうに笑うと、私の胸はキュンと苦しくなった。

「・・・言わないでよ。そんな事。」

 私は視線を窓に移すと、二人の間に重い沈黙が流れていった。

 涼介の気持ち・・・痛いほどの分かるよ。私だって・・・やっと見つけた大切な人を今、失いかけているんだもん・・・。

 でもまだ分からないの。どうやったら、彼を許す事が出来るのか・・・。

 私は窓越しにサイパンの美しい景色を見ながら一人涙を堪えていた。


「ただいま~・・・」

 私達はホテルに戻ると、綺麗にベッドメイキングがされていた。

「どうする?夕飯までに時間あるし、お土産でも買いに行く?」

 涼介はベッドに腰掛けながら、普通のトーンで言った。

「うん・・・。」

 私もベッドに腰掛けると、窓からそっと西日が差し込んできた。

サイパン最後の夜が近づいている。最初は二人で楽しく過ごせるか自信がなかった。でも、今日涼介のお母さんと話して、少しだけ気持ちはすっきりとしていた。

そして何よりもサイパンの気候や自然が私の心をほどよく癒してくれていた。

「・・・買い物行こうか。」

 私は疲れた体を起こすと、視線を上げて、立ち上がった。


「乾杯!」

「乾杯!」

 私達は買い物を終えると、最後の夜にふさわしく、ギリギリに予約出来たディナーショーを見ることにした。

 開放的なホテルの外にあるテラスには、後でショーが行われるであろう、舞台が設置されていた。

「ショーが始まるまで、お食事をお楽しみ下さい。」

 司会者が丁寧な日本語でそう言うと、私と涼介はビールを一口だけ飲んで、綺麗に盛られたバイキングを取りに行くことにした。

「・・・あっ・・・真奈見て?」

 バイキング会場の先にキラキラと輝く夕日が光っていた。

「・・・綺麗だね。」

「やっぱり海に沈んでいく夕日は最高だね。」

 私と涼介・・・二人の顔がオレンジ色に照られて・・・私は思わず、愛おしい人の顔を見つめた。

 胸が高鳴る・・・私はまだこんなにも涼介が好きなのに・・・。これが最後の夜なんて・・・。私は切なさを感じるとすぐに涼介から視線を逸らして、料理に夢中な振りをした。

「・・・あっ・・・見て?これってテーブルにあった鉄板で焼くのかな?」

 私は生肉が置かれているコーナーを見つけると、涼介に問いかけた。

「うん。そうじゃない?食べる?俺焼いてあげるよ。」

 涼介は優しくそう言うと、私はまたその優しさに胸が苦しくなった。

「・・・ありがとう。」

「あっ・・・野菜もあるよ。焼こうか。」

 涼介は私の切なさになんて、一つも気づかずにただ楽しそうに笑っていた。

「・・・じゃあそれも・・・。」

「うん!」

 食べきれないくらいの料理・・・。私と涼介はお皿にてんこ盛りに盛ると、茶色と赤を基調としたテーブルに料理を運んだ。

「早速肉から焼こうか?」

「うん・・・。」

 テーブルの前に置かれた丸い鉄板で涼介は楽しそうに肉を焼きだした。

 これぞ、海外って感じだ・・・私もそんな涼介を見つめながら嬉しさがこみ上げてきた。

「はい。どうぞ。」

 涼介は分厚い牛肉のステーキを私のお皿に置くと満足気に笑っていた。

「美味しそう・・・。」

 私は熱々に焼かれたお肉の匂いを嗅ぐとすぐに食欲に火が付いた。

「頂きます。」

 私は丁寧にお肉に感謝を込めると、涼介が焼いたお肉を一口頬張った。

「・・・うん。美味しい!」

 私は口の中いっぱいに肉汁を感じると、その柔らかさにすぐに笑顔になった。

「本当?良かった!」

涼介はナスを焼きながらニコニコと嬉しそうに言った。

「・・・涼介も食べる?」

 私は焼いてばかりの涼介を不憫に思い、そんな言葉をかけた。

「うん。」

 涼介はそう言うと、当たり前のように、大きく口を開けた。

 私はそんな涼介の口にお肉を入れてあげた。

「うん!うまい!」

 涼介はお肉をもぐもぐと食べながら嬉しそうに言った。 

「・・・良かったね。」

 私はドキドキしながら、席に戻ると、すぐにビールを飲んで気持ちを落ち着かせた。

 久しぶりにカップルみたいな事をしてしまった。あれ以来涼介にほとんど触れていないし、昨日だって突き放してしまったし・・・。 

 私はドキドキしている事を悟られないように、冷静を保ちながらもう一口ビールを飲み込んだ。


「では、ディナーショーの始まりです!」

 お腹がいっぱいになった所で、ついにディナーショーが始まった。

 南国のディナーショーと言えば、イメージするはやっぱりファイヤーショーだ。 

 私と涼介は暗くなった、ホテルの庭でその時をドキドキとしながら待ちわびていた。


 ズンチャ・・・ズンチャ・・・

 南国っぽい音楽が会場に流れると、ステージから可愛い衣装を来た女の子達が腰を振りながら、楽しそうに現れた。

 輝く笑顔・・・そして、練習を積んだであろうダンスがとても美しかった。

「イエーイ!」

 女の子達は、可愛く腰を振りながら音楽と一体になっていた。

「・・すごいね。」

 夜に映える素晴らしいダンスと笑顔・・・。私と涼介は直ぐにそのステージの虜になった。

 ズンチャ・・・ズンチャ・・・

 音楽と共に今度は筋肉がしっかりと付いた男性が木の棒を持ってやってきた。

 それと同時に女の子達は舞台袖へと下がっていった。

「イエーイ」

 男性は木の棒の先にガソリンをかけると、慣れた手つきで火を付けた。

 会場中に湧き上がる歓声。男性はその火に向かって、口からガソリンを豪快に吹きかけた。すると、火はさっきの何倍にも膨れ上がり会場中を昼間みたいに明るくした。

「すごーい!」

 私は拍手しながらも、火を操るその人に釘付けだった。

「イエーイ!」

 技が決まると男性は嬉しそうに笑った。そして次々とファイヤーショーを見せてくれた。


「すごかったね!」

 ディナーショーが終わると興奮気味に涼介を見つめた。

「とってもすごかった。」

涼介も興奮気味にそう言うと、私達は顔を見合わせて笑った。

「これを見られただけでもサイパンに来た甲斐があるよね。」

「本当だね。」

「すごく楽しかった。」

 私達は残りのビールを飲みながらそんな感想を言い合った。

 そう・・・これが最後の夜だって事なんてすっかり忘れて・・・。

「・・・ねぇ?真奈?」

「・・・うん?」

「せっかくだから、夜のプール入らない?」

 涼介がテーブル越しにキラキラと輝くプールを指差して言った。

「・・・プール。」

 私は夜なのに、大勢の人が楽しそうにはしゃぐプールを見つめて、少し迷った・・・。

 でも・・・。

「・・・いいよ?」

「本当?」

 涼介はそう言うと、嬉しそうに笑った。

南国の気分にほだされて・・・。こんな素敵な夜には、何かしたくなるよね。そう・・・こんな非日常的な事を・・・。

「じゃあさ、着替えてこようか!」

「うん!」

 私と涼介は上がったテンションのまま、月明かりが差し込むプールに向けて歩き出した。


 まるで外国のドラマのようだ・・・。

 私は月夜に光るプールに入りながらそんな事を思っていた。

 大人用の深いプールと子供用の小さいプール。そのどちらにも人が溢れていた。

 夜の八時・・・。普段なら絶対にプールになんて入れない時間・・・。

 それをこんなにも沢山の人が泳ぐ事を楽しんでいる。そう思うと、やっぱり海外っていいなぁと素直に思った。

「真奈!」

 涼介はプール用のバスケットボールを私にパスしてきた。

「うわぁ!」

 私は目の前にバシャンと落ちる、ボールに顔を濡らされながら、ボールを手にした。

「シュート!」

 涼介が嬉しそうにそう言うので、私はプールの端っこにあるバスケットゴールに向かってシュートを放った。

「あぁ・・・。」

 ボールはわずかにゴールに届かずに、プールに落ちた。

 というか・・・プールにバスケットゴールがあるなんて・・・とても外国っぽい。私はその景色だけで、胸がわくわくと高鳴った。空を見上げれば月明かり・・・。プールの下からはキラキラと輝くライトが差し込んでいてとても綺麗だ・・・。

 私は冷たくもない水の中に潜ると、シーンとした静寂を感じた。夜に泳げるなんて・・・気持ちよくて最高だ。

 そして、隣には涼介がいる・・・。ただそれだけでこんなにも幸せを感じるなんて・・・。

 私は自分がいる場所を夢みたいだと感じると、そっと月明かりを見上げて、お月様に感謝した。

 涼介と過ごす最後の夜を・・・最高に楽しい夜にしてくれてありがとうございます。と・・・。


「・・・いやぁ・・・楽しかったね。」

 私達はビールを何本か買って部屋に戻ると順番にシャワーを浴びた。

「最高だった。」

 私はバスタオルで髪の毛を吹きながら、ベッドにそっと腰掛けた。

「・・・じゃあ乾杯しようか!」

「うん!」

 私と涼介は、お互いにベッドに腰掛けるとビール片手に小さく乾杯をした。

「うまーい!」

「冷えているね!」

 プールで心地よく疲れた体にビールが染み渡って、本当に美味しかった。

「サイパン楽しかったね。」

 涼介はさっぱりとした顔でそう言った。

「うん。本当に・・・来てよかった。」

「あっという間だったね。」

「・・・明日には日本だね。」

 私はあっという間だった、サイパンの旅を振り返り、少しだけ寂しい気持ちがこみ上げてきた。

「真奈と過ごす夜もこれで最後なんだね。」

 涼介は少し寂しそうに言いながら、ビールを一口飲んだ。

「・・・そうだね。」

 私は涼介の言葉を噛み締めながら聞いていた。

「・・・こんなにも楽しいのにね。これで最後なんて俺、信じられない。」

 涼介は困ったように笑いながら言った。

「・・・涼介・・・。」

「・・・ねぇ真奈?最後にわがまま言ってもいい?」

 涼介が真剣な眼差しで私を見つめた。

「何?」

 私はその視線に胸がドキドキと高鳴った。

「俺達、まだ付き合っているんだよね?」

「・・・一応・・・。」

 私はドキドキしながら言った。

「・・・隣に行ってもいい?」

 涼介は丁寧にそう言うと、私はその誠実さに断る事なんて出来なくて・・・。

「・・・いいよ。」

 そう言って、ベッドの横半分を開けた。

「・・・ありがとう。」

 涼介はそう言うと、ビールをそっとテーブルに置いて私の隣に腰掛けた。

 視線をずらせば・・・すぐに涼介の顔がある。私はドキドキしながら、前だけ見続けた。だって、今横を向いたら・・・。

「・・・真奈?」

「・・・うん?」

「・・・こっち向いて?」

「・・・やだよ。だって・・・。」

 ドキドキして死んでしまいそうだった・・・。こんな気持ちは付き合って最初のキス以来だよ。

「・・・お願い。」

 涼介は切実なお願いをするように言った。

「・・・涼介・・・。」

 私は隣にいる涼介の声のトーンに胸がはちきれそうだった。

 心から私を思ってくれている事も分かる。そんな誠実な思いを私は・・・無視する事なんてやっぱり出来なくて・・・。

「・・・分かった。」

 私は緊張したまま涼介の方へと振り返った。そしてその瞬間に涼介は私の事を暖かい手で抱きしめてくれた。

「・・・涼介・・・。」

 私はその温もりに胸が痛み、涙が次から次からへ涙が溢れ出てきた。

 こんなにも近くにいるのに・・・離れなくちゃいけないなんて・・・。別れを選ばなくちゃいけないなんて・・・。

 私が未熟だから・・・涼介を許してあげる事が出来ないから・・・。

「・・・真奈・・・ずっとこうしたかった。」

「・・・涼介・・・。」

「・・・キスしてもいい?」

 涼介は肩ごしにそう言うと、私は自分の気持ちに嘘をつく事に疲れて、小さく頷いた。もういいや・・・。今日まで・・・今日までは私達は恋人だから・・・。

 涼介はそっと私の肩を掴んで、一旦離すと、私はすぐに瞳を閉じた。

 暖かい涼介の唇の温もり・・・。私は懐かしい温もりに愛おしさがこみ上げてきた。

 そう・・・いつだって、当たり前のように交わしてきたキス・・・。これからも何万回と交わすはずだったキス・・・。

 私は暖かいキスに涙が溢れて止まらなかった。

 これが最後のキス?そう思うと、胸が苦しいほどに傷んだ。

「・・・真奈・・・。」

 涼介は顔を離すと、切なそうな顔で笑った。そしてまた、暖かい手で私の事を抱きしめてくれた。

 こんなにも好きなのに・・・。好きで、好きで仕方がないのに・・・。

「・・・ごめんね。」

 涼介は私を抱きしめながら、小さい声で言った。

「・・・いいよ・・・。」

「好きな女が目の前にいるのに、触れないなんて・・・どうにかなってしまいそうだった。」

「・・・涼介・・・。」

「・・・俺・・・本当に真奈の事が好きだから。」

「・・・。」

「・・・本当は別れたくないよ。これが最後なんて思いたくない。・・・でも」 

「・・・でも?」

「もう言わない。真奈の事、困らせたい訳じゃないんだ・・・。俺と別れて、真奈の傷が少しでも癒えるなら俺はそれでいいと思っている・・・。」

「・・・。」

「真奈と一緒に過ごした時間・・・全部楽しかったから。俺はいつも真奈に愛をもらっていたから。だからね、俺、真奈には幸せになって欲しいんだ。それが例え俺じゃない奴とでも・・・。真奈が笑っているならそれでいいって思いたい。」

「・・・涼介・・・。」

「・・・ありがとう。今まで・・・きっと明日は言えない気がするから・・・。」

 涼介は肩ごしに涙を堪えているようだった。私はそんな涼介を感じたら・・・。胸がはちきれそうになった。

「・・・最終日楽しもうな。」

 涼介はそう言うと、そっと体を私から離して、ベッドに入っていってしまった。

 私はそんな涼介を見つめながら、号泣しないように涙を堪えるのに必死だった。


人を信じる事・・・。人を許す事・・・。生きていると色々あるね・・・。

 私は今回の事で沢山の事を学んだの。当たり前にあった涼介の温もりが当たり前じゃないと知った。触れ合うには、心も体も通じ合っていないと触れ合えない事を知った。心の痛みも悲しみも・・・そして何よりも涼介の事をこんなにも想っていたという自分の想いを・・・そして涼介の想いを・・・。

 本当に好きな人と出会えた奇跡が、私にもまた喜びを与えてくれる日が来るのだろうか?

 でも・・・これが恋愛なら、これが人を好きになる事なら・・・全て受け止めていかないといけないのかもしれないね・・・。


 最後の朝はとても静かだった。

 私達は別々のベッドで起きると、小さく「おはよう」と挨拶を交わした。

 私達と同じように冴えない気持ちの空・・・サイパンは曇り空だった。

「・・空港に十二時だっけ?」

「うん。」

 私と涼介はキャリーバックに荷物を詰めながらそんな会話を交わしていた。

 楽しかった旅行もあと僅か・・・。私と涼介の別れもあと少し・・・。飛行機に乗って、成田空港に着いたら別れる。

 私はその瞬間が来るのを少し怖く感じていた。

「・・・あのさ、俺ね、あと一泊してこうかと思って・・・。」

 涼介は荷物をカバンに入れながら、さりげなく言った。

「・・・えっ?」

 私は涼介の言葉に耳を疑った。もう一泊していく?

「・・・どうして?」

「うん。せっかくだから、母ちゃんの所に泊まっていこうと思って。明日も有給とってあるし。」

「・・・そんな・・・。」

 私は急な別れに驚いた。一緒に日本に帰れると思っていたから・・・。

「・・・真奈もその方がいいでしょ?」

「・・・それは・・・。」

 私は散々別れたいと言ってきた。さすがの涼介も私の言葉に飲み込まれて、完全に別れるのだと思っている。

 でもそうだよね・・・。日本に着いたら別れようと思っていた。でも・・・こんな突然の出来事は予想外で・・・。

「・・・分かった。」

 私は自分で決めた事の重さを今、初めて実感していた。これが本当の別れ・・・そして、現実・・・。

「・・・空港には送るからさ。」

 涼介はそう言うと、私は困惑したまま頷いた。

 別れたい・・・そう思っていた私・・・。だけど、こんな風に手のひらを返されると、どうしてだろう・・・。別れたくない。そう思ってしまう自分勝手な自分がいるの。


「・・・じゃあ行こうか?」

 涼介が手配してきたレンタカーに乗り込むと、私達は空港を目指して走り出した。

 サイパンの景色・・・これが最後なんだ。

 私は英語で書かれた可愛いお店や、免税店を見つめながら、四日間の思い出を噛み締めていた。

 あそこで涼介と一緒に買い物をした・・・。可愛いぬいぐるみがあって、二人ではしゃいだっけ・・・。

 あっ・・・あそこでは一緒にアイスを食べた。私はまだ怒っていたけど、涼介が優しかった・・・。

 私は知らなかった風景がもう、知っている風景に変わっているのを感じると、帰るのが寂しくて仕方なくなっていた。気づけば私はサイパンが大好きになっていた。この爽やかな風も、心地よい気候も全て・・・。

「・・・あっ・・海だよ。」

 町中を過ぎると、今度は右側に海が見えてきた。

 キラキラ輝く海・・・。サイパンで一番感動したのはやっぱり海だった。

「・・・楽しかったね。」

「・・・うん。俺も、最高の旅行だった。」

「・・・ありがとうね。」

「ううん。こちらこそ・・・。」

 涼介は優しくそう言うと、私は何故かまた涙がこみ上げてきた。

 あぁ・・・この坂を上ったら、空港に着いてしまう。そしたら私達はもうお別れなんだ。

 私はしっかりと前を向いて、顔を上げた。これから一人になるのに・・・泣いてばかりいたら前には進めない。せめて、最後は笑って別れたい。だって、涼介の願いは私が幸せになる事だもん。

 だから私が悲しんでいたら、涼介も悲しんでしまうから・・・。

 私は曇り空から、だんだんと広がった青空を見つめながら、強い気持ちでそう思った。


「・・・ありがとう。」

 車が空港の駐車場に着くと、私はシートベルト外しながら涼介にお礼を言った。

「・・・うん。」

 涼介もいつもとはどことなく様子が違っていて・・・。

 私達はなかなか車から降りられずにいた。

「・・・楽しかった。」

「うん。」

「もう会うこともないかもしれないけど・・・。」

「うん。」

「・・・元気でね。」

 私は最後まで、全然優しくなれなくて・・・涼介の顔も見られずにいた・・・。

「・・・中まで送るよ?」

「・・・うん。」

 私達は諦めるように、車から降りると、トランクから一人分の荷物を取り出した。

 これからは一人分の荷物だけ・・・。思い出が増える事もなくて、二人で共有するものもなくて・・・。

 私は悲しみをぐっと堪えて、サイパンの空港の中に入った。

 荷物を預けたら、すぐに搭乗口に向かう。それが私達の境目・・・。家も知っている。電話番号だって暗記している。

 でも・・・今日、ここで別れたなら、私はきっと彼に連絡をしないだろう。

 そしてそれは涼介も一緒で・・・。本気で相手を思っているからこそ、相手を振り回したくないと思うの・・・。相手が幸せになれるように、自分の気持ちにちゃんとけじめをつけて・・・。

「・・・荷物だけ預けて来ちゃうね。」

 私は日本に比べると、閑乱とした空港で素早く荷物を預けた。

 搭乗口に入るまでは、お土産屋さんもカフェも何もない。

 私は荷物を預け終わると、困った笑顔で涼介の元へと駆け寄った。

「・・・預けてきたよ。」

「うん・・・。」

 私達の間に、気まずい空気が流れていく。もう・・・ここにいる理由はなくて・・・。他の人達は楽しそうに搭乗口に向かって歩いて行っている。

 楽しい旅が終わる・・・。それはもちろん寂しけど、でもまだ楽しくて・・・。そんな感じだった。

 私はそんな若者を見つめて、羨ましい気持ちを感じた。

「・・・真奈もそろそろ行かなきゃ。」

 涼介はどんどんと搭乗口に入っていく人達を見つめながら、寂しそうに言った。

「・・・うん。」

 私はそわそわしながら言った。

 ここで・・・涼介に見送られて、搭乗口に入るのは・・・どうしてだろう。あまりにも悲しすぎて嫌だ・・・。

 私は瞬時にそう思うと、ある提案をした。

「・・・もう見送らなくていい・・・。涼介が先に空港を出て?」 

「・・・真奈。」

「・・・嫌なの。いつまでも見送られるのなんて・・・寂しくて・・・。」

「・・・うん。分かった。」

 涼介は私の提案に頷くと、困ったように笑った。

「・・・じゃあね?今までありがとう。楽しかった。」

 私は最後までクールを装い、必死に笑顔を作った。

「・・・うん。」

 涼介も必死に笑顔を作って頷いた。

「・・・元気でね?」

「・・・うん。真奈も・・・。」

 涼介も私も・・・涙をぐっと堪えて笑顔を作ると、痛む胸を抱えて見つめ合った。

「・・・さようなら・・・。」

「・・・さようなら・・・。」

 涼介は私と同じように、最後の言葉を吐き出す様にそう言うと、じゃあ・・・と小さい声を振り絞って、空港の外に向かって歩き出した。

 一歩・・・一歩・・・離れていく私と涼介の距離・・・。

 私はその後ろ姿を見つめながら、どんどん涙が溢れ出してきた。大好きな・・・大好きな涼介の背中・・・。

 これが最後なんだ・・・。これで最後なんだ・・・。私は涼介の背中を見つめながら、楽しかった思い出・・・幸せだった思い出・・・。その全てを感じていた。涼介と過ごした日々全部・・・夢のように楽しくて・・・。もう戻れないと分かっている。だけど、どんどん浮かんでくる。二人の笑顔が・・・。

 涼介が見えなくなると、私はその場に蹲り、嗚咽を吐きながら、泣き崩れた。

 涼介・・・涼介・・・涼介・・・。

 別れがこんなにも辛いなんて・・・涼介がいない人生がこんなにも悲しいなんて・・・。

 今・・・走って追い掛ければ追いつける。でも・・・私から言い出してしまった。別れようって・・・涼介はそれを受け止めて・・・傷ついて・・・前を見ようとしているのかもしれない。

 そう思うと・・・怖くて動けない。

 そして次の瞬間、涼介のお母さんが言っていた言葉を思い出した。


「・・・そばにいる苦しみもあるのかもしれない。でもね、そばにいない苦しみの方が辛いよ。それは絶対に・・・。会いたくても会えないのは、もう生き地獄みたいだった。毎日泣いて、泣いて自分も死にたいと思った。何度も・・・。」

 私は見えなくなった涼介ともう二度と会えなくなるのかと思うと、身が避ける想いだった。

 お母さんが言っていた言葉の意味が・・・今分かった。こんなたったの数秒でも・・・涼介と離れてしまう事が辛い事なら・・・。私は耐えられない。



「・・・真奈!」

 私が泣き崩れていると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 その声は・・・たった一人・・・七十億人もいる人の中から見つけ出した、本気で愛している涼介の声・・・。

「涼介?」

 私は泣き顔のまま顔を上げると、涼介はすぐに私の事を強く抱きしめた。

「・・・やっぱりダメだ・・・。俺、真奈がいない人生なんて考えられないよ。」

「・・・涼介・・・。」

「・・・俺、これからも真奈の事、傷つけてしまうかもしれない。泣かせてしまうかもしれない。でも・・・信じて欲しい。俺、一生真奈の事を大切にするから・・・。」

「・・・涼介・・・。」

「・・・許して欲しい・・・。」

 涼介の言葉・・・。私は弱くて、優しくなくて・・・。許す事なんて絶対に出来ないと思っていた。

 でも・・・。

「・・・分かった。」

「・・・えっ?」

 私の言葉に涼介は驚いて、すぐに私の顔を見つめた。

「・・・許す・・・。だって私も涼介が好き・・・。離れたくない。涼介のいない人生なんて考えられないから・・・。」

 私は自分の気持ちに素直になると、今まで抱えていた重い痛みがすっと消えていくのを感じた。

「・・・真奈・・・ありがとう。」

 涼介はそう言うと、もう一度私の事をぎゅっと抱きしめてくれた。

 暖かい愛・・・。私はその温もりに幸せを感じた。

 人を許す事って簡単じゃない・・・。でも誠実な人の言葉は真っ直ぐに胸に響いて・・・。私を変えてくれたの。完璧じゃない私達だから失敗する事もある・・・その一回の失敗で諦めていたら、何も手に出来ない。きっと人は失敗を乗り越えて成長していくんだ。そう思うと、失敗する事は悪い事なんかじゃないよね・・・?

 私は今・・・大好きな人の腕に抱かれて、幸せの涙を流した。

 人を本気で好きになると、悲しい事も辛い事もある。でも・・・もういいの・・・。その倍以上にきっと幸せや喜びが溢れているはずだから・・・。そして本物の愛ならどんな事でも乗り越えていける事が出来ると思うから・・・。


「プルプルプル・・・。」

「電話だ・・・。ちょっとごめんね。」

 涼介はそう言うと、すぐに電話に出た。

「・・・うん。うん・・・。分かった。真奈?」

 涼介は電話を私に手渡すと私は、いったい誰かの電話か分からなかった。

「・・・誰?」

「・・・後輩の子・・・。」

「・・・あの時の・・・。」

 私は全ての始まりの日を思い出して、恐る恐る電話に出た。

「・・・もしもし?」

「・・・あの・・・涼介先輩の彼女さんですか?」

「・・・はい。」

「・・・私・・・ごめんなさい。」

「・・・えっ?」

「・・・あの日・・・涼介先輩、居酒屋で寝ちゃったんです。だから私・・・つい先輩の携帯電話を持って帰って・・・嘘ついたんです。涼介先輩の事・・・好きだったから。いつも楽しそうに彼女さんの話をするんです。だから悔しくって・・・。」

「・・・そんな・・・。」

 私は涼介が話していた事が本当だったという事実に驚いた。涼介を信じてあげられなかった。その方がショックだったから・・・。

「・・・本当にごめんなさい。あれから涼介先輩、会社で悲しそうな顔ばかりしていて・・・。私、なんて事をしてしまったのだろうと後悔して・・・。許してもらえないかもしれないけど・・・。本当にごめんなさい。」

 電話越しで、彼女が精一杯謝っているのが伝わってきた。

 私はやっぱり・・・そんな誠実な人を無視する事なんて出来なくて・・・。

「・・・もういいよ・・・。」

「・・・えっ?」

「でも、もう二度とそんな事をしないでね。人を傷つける嘘は誰も幸せになれないから。」

 私ははっきりとそう言うと、気持ちがスッキリとしていた。

「・・・許してくれるんですか?」

「・・・うん。もういいよ。」

「ありがとうございます・・・。」

 電話越しで泣き出した彼女・・・。私はそんな彼女の事を心から許そうと思った。だって人間は完璧じゃないから・・・涼介が教えてくれたの・・・。許すことの大切さを・・・。

「・・・はい。」

 私は電話を涼介に渡すと、気持ちが晴れ晴れと明るかった。

 これで・・・いいんだ・・・。良かった。涼介を許す事が出来て・・・これでまた一緒にいられる。

「・・・真奈?」

 涼介はすぐに電話を切ると、優しい瞳で私を見つめた。

「・・・うん?」

「・・・俺と結婚してくれる?」

「・・・涼介・・・。」

「今回の事で気づいたんだ・・・。真奈が俺にとってどれだけ大切か・・・。本気で好きな人だから・・・これからも一緒にいたい。死ぬまでずっと・・・。」

「・・・。」

「・・・一緒に母ちゃんの所に挨拶に行こう?」

 涼介は強く・・・そして優しい眼差しで私を見つめた。

 私はその温かい思いに応えるように、笑顔で頷いた。涙を堪えながら・・・。


 荷物を受け取って、外に出ると、サイパンの空はキラキラと輝いていた。

 まるで私達の結婚を祝福してくれているかのように・・・。

 最初にここに来た時よりも・・・景色が綺麗に見えるのは、きっと自分の気持ちに素直になったから・・・。

 人は自分に嘘をついて、幸せになんてなれないんだ・・・。格好悪くても、みじめでもいい・・・。自分に素直になろう。そうすれば、きっと大好きな人と結ばれる事だって出来る。

 そして、人を許す事が出来たのなら・・・また新しい可能性が生まれてくる。

 全ては自分次第なんだ・・・自分次第で未来はどこまでも光り輝く・・・。

 私は今日からまた、大好きな涼介と一緒に歩んでいく。もちろん楽しいことばかりじゃないかもしれない。大変な事もあるかもしれない。でも、自分と同じように相手の幸せを願えたのなら・・・全てを受け入れる事も出来るようになるかもしれないね。相手も自分と同じ人間なんだと・・・。そして信じていたい・・・輝く明日を・・・。


 もう完璧を求める事はやめて・・・失敗してもいいから。許し合って、笑い合って生きていたい。

 私は大好きなサイパンの空を見上げて、一人満面の笑を作った。

 そして、涼介のお母さんが言っていた言葉を思い出した。

「許す事は最大の愛情表現だと思うよ。そして本当に好きな人と出会える事は奇跡なんだよ。」と・・・。

 大切な言葉達・・・温かい愛情と共に抱きしめて・・・。これからも歩いていこう。私達らしく・・・。

                          

 終わり

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FORGIVELOVE AYANA @ayana1020

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