第3話 もふもふさんに報告する回

 かがみ文月ふづきの現在の住まいは、母方の祖父・とどろき源次げんじが持つマンションの六階だ。


 祖父と祖母は七階に住んでいて、一階には源次が経営するアイスクリーム屋の『シックスティーンアイス』が入っている。七月三十一日の誕生日には、源次と青嵐が企画してバースデーパーティーが開かれた。


「太った?」

「えぇっ!?」


 玄関先でおすわりをして待っていた白くて大きな犬(※本当はオオカミらしいが、犬とする)に指摘されて、文月は腹の肉をつまんだ。


 この犬は、文月がいつか標準体重を超過してしまうのではないかと、常日頃から警戒している。特に、青嵐と知り合ってからの文月は、犬が来られない学校や青嵐の家といった、犬に監視されないような場所でカロリーを摂取していた。今日もそうだ。


「オレはさ、できないことを要求しているんじゃないんすよ。文月のためを思って、言っている」

「うん……」

「どうなってもいいやつには言わないすからね」


 ローファーを脱いで、洗面台で手を洗い、部屋着に着替える。その間、犬はぐちぐちと喋り続けていた。


「でも、ブルーがせっかく用意してくれたのだから、残しちゃうのは悪いよお」


 スクールバッグの中には、食べきれなかった料理が入っている。青嵐は用意周到で、あとから合流した『マンガ研究部』のメンバーの分まで、持ち帰り用のタッパーを準備していた。電子レンジで温め直せば美味しく食べられそうだ。


「多いな……」

「そうかも……」


 常温で放置しておくのは怖いので、文月は冷蔵庫にタッパーをしまっていったが、どう見ても一週間分はある。文月の自宅での食事は、七階で祖父母とともに取ることが多い。


「おばあちゃんに相談しようっと」


 文月は、ついでに麦茶を取り出して、冷蔵庫の扉を閉めた。冷蔵庫の横に貼った時間割表で明日の時間割を確認して、コップに麦茶を注いでから、座布団に座る。


「今日は、何をしてきたんだ?」


 ローテーブルの向かい側に犬が座った。


 この犬の名前は、もふもふさんという。体長は一八四センチメートル。文月が小学校五年生のときに、実家の文月の部屋にやってきた。文月の実家はペット禁止のマンションだが、もふもふさんには『大人には姿が見えない』という特性があり、両親にはバレていない。


 天助高校への進学を機に『自宅からよりも祖父母の家からのほうが通学時間は短くなる』というもっともらしい理由を得て、ペット飼育可のこちらで暮らしている。


 もふもふさんは元々は香春かわら隆文たかふみという名の成人男性だったので、通常の犬とは違い、日本語でのコミュニケーションが可能だ。この付き合いもかれこれ六年目となり、年の離れた兄妹のような関係性となっている。


「ん? ああ、部活でパーティーをしてきたよ」

「部活っていうと、あの『侵略者討伐部』か?」

「うん。去年の二学期の最初に、一学期の活動が生徒会に認められて、わたしとブルーの『侵略者討伐部』が立ち上がったじゃない。だから、一周年記念」

「そうかそうか。部としての結束を強める意味では、いいことすね」


 もふもふさんには、自らを犬の姿に変えた女神サマとの約束で、善行を積む必要があった。善行を積んでいけば、いつか、人間の姿に戻れる、らしい。


「本当に戦うのかなあ?」

「女神サマがおっしゃっていたことは、間違いないすよ」

「十二月二十一日、かあ」


 文月は卓上のカレンダーを三回めくった。十二月二十一日には、二重丸が描かれている。


「人類滅亡の日」

「実感湧かないなあ」

「じゃあ、なんすか。女神サマがウソをついているとでも言うんすか」

「そうじゃないよお。スケールが大きすぎて、ピンとこないの」

「文月にはしゃんとしてもらわないと困るんすよね。人類勝利のカギを握るのは、文月なんすから」

「そうかな……」


 カレンダーを九月に戻した。


 もふもふさんを人間から犬の姿に変えてしまうような不思議な力を持っている女神サマ曰く、文月が、人類を滅亡させようとする侵略者と戦い、見事に撃退するのだとか。


 もふもふさんが文月の元に来たのは、文月をサポートするためなのだとか。


「あと三ヶ月しかないんすよ?」

「わかっているけれども、その、侵略者がどこにいるかがわからないからなあ」

「わからないから『侵略者討伐部』で探して見つけてボコるんすよね?」

「今のところ、ぜんぜん手がかりがないのよねえ」


 文月はテーブルに突っ伏した。


 文月には特別な力があるわけではない。成績は平凡で、運動は苦手。戦うのだとしたら武道の一つや二つ、習得しておいたほうがいいのかもしれないとは思うが、心も体も動かない。


 もふもふさんが体調面や健康面で支えてくれているが、不健康にならないようにコントロールしてくれているのであって、たくましくはなっていない。


 相手は地球を侵略してくるような敵だというのに、このだ。せめて不意を突いた先制攻撃で奇襲を仕掛けられたらいいものの、敵の居場所が掴めていない。


「新学期始まって、どうすか。パーティー以外で、何か変わったことは?」


 落ち込む文月に対して、もふもふさんは話題を変えてくる。何か変わったこと。あった。


「転校生が来たの」

「へえ。わざわざ天助高校に?」


 もふもふさん、もとい、隆文は天助高校の卒業生だ。自らの卒業校がこれといって特筆すべき点のない公立高校だというのを踏まえての発言である。


「うん。しかも、あのさきがけ泰斗たいとだよお」


 魁泰斗のことを、もふもふさんは知っている。文月とともに毎週のテレビ放送を見ていたからだ。


 役者の名前を言えば『仮面バトラーフォワード』の主人公の望月もちづき勝利しょうりを演じた俳優だとわかる。一年間見続ければ覚えてしまうものだ。


「ふーん?」

「びっくりだよねえ」


 文月は本棚からインタビュー記事の載った雑誌を取り出す。保健室のベッドで寝たおかげで、好きな俳優としての魁泰斗と新しいクラスメイトの魁泰斗で、区別が付くようになった。今は『そっくりさんが現れた』というスタンスだ。


「魁泰斗は地元の高校を卒業して、仲間たちと東京へ遊びに来たとき、事務所にスカウトされている」


 インタビュー記事の内容を読み上げた。つまり、二〇一二年現在に高校二年生となるはずがない。


「そっくりさんって、どのぐらい似てるんすか?」

「え、ほんと、この写真のそのまま。名前も『魁泰斗』らしいよお」


 文月はもふもふさんに雑誌を見せた。もふもふさんはクラスメイトの魁泰斗に会ってはいないが、もちろん、魁泰斗の“その後”は知っている。


夭逝ようせいした俳優のそっくりさん、すか……」


 もふもふさんは左耳の裏をツメで掻いた。ひっかかるものがある。


「ブルーに相談されたのだけど、もふもふさんの考えも聞きたいから、聞くね?」

「何すか?」

「そっくりさんが『侵略者討伐部』に入りたがっているらしいの」


 耳をピンと立てる。青嵐と文月だけ、戦力としてすこぶる不安な『侵略者討伐部』に新メンバー。


「らしい、というのは?」

「ブルーが入部希望を聞いて、わたしに相談してから答えるねって言ったんだって。わたしとそっくりさんは直接お話をしていないし、正式に入部していないからパーティーには参加していない」

「なるほどなるほど」

「なんでも『侵略者討伐部』があるって知って、天助高校に来たんだってよ?」

「部活目当てか。……しかし、ヒーローを演じた人間のそっくりさんが『侵略者討伐部』に入りたい、と」


 クラスメイトの魁泰斗は俳優の魁泰斗本人ではない。これが文月ともふもふさんの共通見解となった。本人の個人情報と照らし合わせると、相違点がある。顔と名前だけが一致しているそっくりさん。


「わたしは、いいと思う。十二月二十一日に向けて、本格的に『侵略者討伐部』の活動をしていかないといけないもの。やる気のあるメンバーは欲しいよねえ」


 これまでの『侵略者討伐部』は、ボランティア活動をしていた。もしくは、青嵐が主催しての記念日を祝う会。このどちらか。


 地域の清掃やお祭りの手伝いは、生徒会へのアピールでもあった。名前だけで大した活動実績のない部活よりも、精力的に活動している同好会を部活として認定したほうがいいのではないか、という青嵐の戦略である。


 この『侵略者討伐部』の名前に沿った活動内容かといえば怪しいが、十二月は迫っている。


「オレも見てみたいすね。その、そっくりさんを」

「うん。いいよ?」


 天助高校に犬は連れて行けない。だが、もふもふさんは、一時的に『文月の肉体を借りる』ことができる。


 入れ代わっている間の文月の記憶はなくなってしまうが、この交代によってさまざまな困難を乗り越えてきた。高校に入学してからは、初だ。


「青嵐は、入ってほしくないんじゃないすかね」

「そうかな?」

「入ってほしかったら、入部させてから文月に紹介するだろう。青嵐はそういう性格すよね」

「そうかも」

「文月は青嵐に流されるだろうから、オレがなんとかして、そっくりさんを入部させるとするか」

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