第05話_Dパート_旅立ちのコンコース

 福岡空港・国際線ターミナル。


 搭乗ロビーのガラス窓の向こう、ヒースロー行きの機体がゆっくりと補給車に囲まれていた。小さな飛行機雲が千切れ、陽射しだけが夏の空港に満ちている。


 熊鷹高校の短期留学チームが、最終集合点呼の前にそれぞれの時間を過ごしていた。


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 女子の四人──日野葵、秋月エリナ、木村綾、沢渡鈴音──は、ロビー端のベンチで並んで腰を下ろしていた。


 会話が始まったのは、誰からともなく、というには少しだけ、誰かの沈黙が長すぎたからだった。


「……共通課題、全然進んでないや」


 と最初に呟いたのは鈴音だった。キャリーバッグのハンドルに肘を乗せ、ストローで氷の解けた薄いアイスティーを啜っている。


「私も。テーマ、教育なんだけど……自分が通ってきた道が、正解だったって自信、なくなってきてて」


 綾が静かに応じる。目は遠く、何かを計測するように、滑走路の空を見ていた。


「うちらの宗教観なんてさ……正直、“たいして考えてないんだから別によくない?”って思っちゃうんだよね。ないからこそ聞いてるのに、って」

 鈴音が、軽く言ったつもりの言葉に、誰も笑えなかった。


「……私はキャリア形成のレポートが全然で。でも、日本の沈み具合と、投資とかFIREとか言ってる風潮が、正面から向き合うと書き進められなくて」


 エリナの声は平坦だったが、その言葉にはわずかな苛立ちと、焦燥がにじんでいた。


 鈴音は若干視線を逸らしていた。エリナの父、エリオットがそのFIRE組である以上、うっかりしたことを言えないのも当然だと思った。


 鈴音だってそのおこぼれであれこれ教えてもらったわけで、エリナ目線ではそうした人間関係の広まりまで包括されてしまうとなれば、立ち止まるのも無理もない話だ。


 数秒の沈黙。葵が、手元のログ画面を閉じて、ぽつりと言った。


「私のは、AI倫理。……だけど、倫理って、結局“人間がどう生きたいか”って話でしかないんだと思ってて。今、AI利用にはいろいろな制約があるけれど、

 一方ではそれを踏み越えたAIによる支配を目指す動きもあって、開発に制約をかけた結果AIに支配される側に回ったらそれは倫理的には失敗なのか、正しい敗北なのか、もうわからなくて」


 四人のあいだに、新しい静けさが広がった。だが、それは気まずさではなかった。


 葵の言葉の先に、誰もが自分の問いの根っこを見たような、そんな呼吸の間。


「さ、さすがに……考えすぎじゃない?」


 と鈴音が少し照れ笑い混じりに切り返すが、誰も否定しなかった。


「たぶん、全部つながってるんだと思う。宗教、教育、キャリア、AI。ぜんぶ、どう生きるかの話」


 綾がそう言うと、エリナがそれを受けて静かに言った。


「どう生きるか……じゃなくて、どう関わるか、かも。自分の未来と、世界と。人とAIと」


 そして葵が最後に言った。


「……“どう問いかけるか”。かもしれない」


 それは、誰の答えでもなかった。けれど、あの場所にいた誰にも、響いていた。


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 一方、男子の面々は、空港地下の売店エリアに散っていた。


 大垣ユウトは、売店横のプロモーションスタンドでアイスクリームを手に、別の若い旅行者たちと笑顔で話していた。


「いやー、向こうでは試合とかないんですけどね、俺のAI、現地での練習メニューも学業スケジュールも完璧にしてくれて!」


「すごいですね、っていうか、そういうAIって本当に役に立つんですか?」


「立ちます立ちます!……ていうか、連絡先教えてください!」

 笑い合って交換されるスマホが夕日を強く反射した。


 背後では古閑遼がサンドイッチを持ったまま、レジで女子高生らしきバイトと目が合っていた。

「えっ……あの、あなた、英国短期留学の……?」

「うん。ああ、もしかして見てました?」


 遼は普段こうした業務から逸脱する行為を職業倫理でうるさく正すタイプだが、思春期らしいブレのなせる業か、つい乗ってしまう。



「妹が配信のファンで。すごい、本人……」


 気をよくした遼は得意げに応じたが、それ以上は何も起きなかった。彼女は微笑み、礼を言い、レジを打ち続けた。


 司と大介は、荷物を見守りながらゲート近くのベンチに寄りかかっていた。


「……一条は海外ん行ったこと、あると?」


 大介は熊鷹生の大半が標準語を使う中では珍しく、ローカルートなイントネーションが明確に出ていた。


「ない。けど有名な博物館に、日本ものが結構あるらしいんだ。根付はどれま一点ものだから、気になってて」


「ああ」


 大介の、続きを急かさない反応に安堵の息を小さく吐き出した司。短く頷き、視線は上げなかった。


 売店のほうからは微妙にぎこちない表情の遼と、荷物番をしていた二人分の冷えたお茶を持ったユウトが来た。


「イギリスではさ、緑茶にも砂糖入れるんだって。今のうちに甘くない冷えたやつ、飲まないとな」


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 出発時刻が近づき、搭乗ゲート前に教員とチームメンバーが集合していく。


 それぞれが、それぞれのペースで歩み寄り、輪ができる。


 エリナは無言で鈴音の隣に立ち、葵は少し遅れて合流した。綾は一歩離れた位置から、ふっとため息をついて加わった。


 ただの気まずさではない距離感。


 それでも、何かを越えて、踏み出したという感覚。


 上空で静かに音を立てる離陸機。日が沈むというよりは、夜が始まることを告げるような照りつける夕日。


 そして、画面の先で──火星の空もまた、曙光に滲んでいた。

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