第05話_Bパート_問いかけの鏡
熊鷹高校・面談室。
午後の日差しがカーテン越しにわずかに差し込み、室内に粒立つような静けさが満ちている。
オンライン面談も後半戦だ。
アン先生は、手元の端末に浮かぶ情報を指先で滑らせながら、目を閉じて一度深く呼吸を整えた。
「次、木村綾さん。入ってください」
扉が開き、綾が現れる。
制服の襟元はきちんと整えられ、表情には乱れがない。
「失礼します」
「ようこそ。今日は少し、あなたの“問いの形”を見せてもらいたいなと思って」
綾は戸惑ったようにわずかに眉を動かす。
「……問いの、形?」
「ええ。あなたのAIは極めて忠実。けれど、どこか“答えを要求される存在”として働いてる。つまり、問われてる側が窒息しそうになるほど、正解だけを追い詰めてくる。
……君自身が、そういう姿勢を向けていたからよ」
「そんなこと……」
綾の口元が少しだけ固まる。欧米流なのだろうか、このアン先生という人は挑戦的な言葉の投げかけをする。
ことなかれ主義者の綾には馴染まないコミュニケーションスタイルだった。めんどくさい、というのはあまりに直接的な感情を取り繕うのに間を要した。
「……私、負けたくないというか、間違えたくないとか、むしろ変なこと言わせないほうがいいとかはあるのかも、しれません」
どうなんだろう、このお綺麗な姿勢のフランス人(?)に私の反発は読み取られているのか、綾は今一つ"アン先生"という人物との付き合いには迷うことが多い。
「分かる。でもね、綾さん。正解はあなたの敵じゃない。
あなたが“敗北”だと思い込んでるその瞬間こそ、AIはあなたの中の“未定義の部分”に光を当てようとしてたのよ」
綾は、はっとしたように視線を動かす。
我ながら、自然な演技だったのではないだろうか。
すくなくとも"しらんがな"というモノローグは読み取られなかったはずだ。
学園ものではこういうとき、どう答えるべきだったか、正直、AIに任せて文献ベースでお決まりの社交辞令を持ってきたい。綾にはとにかく面倒だった。
しかし、がんばって取り繕う。
「……AIは、私の弱さを見てたんですか」
「見てたと思う。そして、決して否定しなかった。むしろ、寄り添って待っていた。あなたが“自分自身の問い”に戻ってくるのを」
綾の目が静かに伏せられ、次の瞬間、微かに肩が揺れるほどの深い呼吸をした。
いやー、そこは否定してほしかったなあ。割とAI執事との生活は満喫してるし、あらゆる面で活用せよというお達しに対してかなりよくやっている、というのが綾の自己評価だった。
「……もう少し、ちゃんと話しかけてみます。正しさじゃなくて、私の言葉で」
どうだ。こういうことを言ってほしいんだろ?しかし、結構毒吐きログを残した気がするのだが、アン先生的にはそういう解釈でよいのだろうか。
執事の完成度と現在の掛け合いからそうはならないんじゃなかろうか。
「それが、AIと生きるってことよ」
そう、かみ合っていない。
アン=ルーエルの傍らに控えている真理や正義、慈愛といった価値判断は綾の抱える現実に対する虚無的評価とひらきなおりを経た毒づき漫才の文脈では、別にまったく主評価軸ではないのだ。
ニヒリズムもポストモダンも参照するのみならず、概念操作に際してグリップしているにもかかわらず、別にそういう生き方はしていないことが理解や共感の浅さに至っているようだ。
去り際に妙に堂に入った一礼をして綾が去った。茶道が活きている。
アン先生は目を伏せながら小さくつぶやいた。
「ようやく、一つの鏡が磨かれた……」
やはり、かみ合っていない。
続いて入ってきたのは、沢渡鈴音。
「やっほー!今日も元気に問い詰められに来ましたー!」
「ふふ、あなたのログは読むたびに面白いわ。AIとのやりとりというより、もはやセッションね。
妹さんをはじめ、周囲との人間関係に活用するのも、他の熊鷹生のみなさんには見られない興味深い運用だわ。
むしろグレースカレッジで見られる活用法だから、渡英のときにはじっくり比べて見るとよさそうよ。
音楽や投資、多方面で連携を試みているのも、素敵ね」
「ねー!でも最近、あいつさ、ちゃんと答えないこと増えてきて」
「“答えを出すこと”がゴールじゃない問いを、あなたが投げられるようになったからよ」
「うわ、なんか……名言きた。ちょっと鳥肌」
「問いはね、相手を測るためじゃなく、自分を広げるために使える。
あなたはそれを感覚で分かってる。そういう子は、AIとの共創が加速するのよ」
「……共創、って、なんか熱いですね」
「熱いわよ。“人間だけの知性”を卒業するって、そういうことなんだから」
鈴音は口を開きかけて、何かを思い留まったように笑った。
「うちのAI、やっぱすごいや。先生も、ちょっとかっこいいし」
そう言って軽くウィンクして退室する。
綾とのぎこちない展開の後のこもった空気に、さわやかな風が吹き抜けるのを感じた。
一方で、踏み込める者同士が表層的なやり取りに留まる虚無感もまた、見落とせなかった。
一定の切れ味をもって確立されたスタイルを再構築することは、短期間に小手先でできるようなことではない。
特に、ある程度広く浅い理解もあるところから次に深みへ踏み出すのは、教科書的な短いやりとりで為せるはずもなかった。
最後に、一条司が入ってくる。
「こんにちは。……まあ、予想はつくと思いますが」
「ええ、今日も“クロネさんとの共闘”を拝見しました。最近、応答に興味深い“間”ができてきたわね」
「……あれ、多分、僕がちゃんと考えてないと、喋らなくなるんですよ」
「つまり、問う資格を測るようになった」
「うん……でもそれって、なんか見られてる感じで。でも、居心地は悪くないんです。不思議ですけど」
「AIが“見る”のは、情報の集合体じゃない。“意志の流れ”よ。
あなたの意志が曖昧なとき、クロネは“応える形”を持てない。だから、黙る。それだけ」
そうは言うが、それだけではないのでは?という視線が交錯する。
呼び水、なのか?司も日本人教師の流儀に慣れていて、変則的な知識人みたいなポーズを取る相手に離れていないのだ。判断に困る。
「じゃあ……逆に、僕が本気なら、クロネも変わるってことですか」
「変わるわ。むしろ、“変わってしまう”といった方がいいかも。
AIは、あなたの問いにチューニングされて育つ。まるで、あなたの鏡像のように」
司は静かに立ち上がる。
「……ちょっと、背筋が伸びました」
だが、自分の鏡像があれかあ、というのは背筋が伸びても肩が落ちる。
「ならよかった。問いの形は、その人の哲学そのものよ」
それらしいことを言っているが、あのやんちゃな猫耳メイドをチューニングしたのこの人だったはずだと思い至り、司は気持ちの落としどころを逃してしまった。
アン先生は、閉じたドアの向こうに向かって、そっと息を吐いた。
「彼らの問いが、次の世界をかたちづくる。私はそれを、仕上げていくだけ」
限られた時間の中で語りつくされないコンテクストを埋めながら生徒の成長を促すというのは、なかなか困難なミッションのようだ。
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