第04話_Aパート_記録対象、準備完了
熊本市内・夜。木村綾の自室はやや古びた、画一的な戸建て住宅だ。蛍光灯の下、スーツケースとプリントが散らばっている。
AI「フィル」は燕尾服スタイルの男性型、静かで丁寧な執事風。
綾は体育座り、床の上で荷物の山を見ながらため息。
「……渡英準備リスト、“日常用スカートは長めの方がよい”って、
あれ本気で書いたの、誰だろうね。書いた本人は絶対ミニで現地入りしてくるくせに」
フィル(穏やかに)
「日英の比較を行った英国滞在規範文書を参照すると、英国側交流施設では“品位のある着衣”が好まれる傾向にあります。過去の事例も含め、念のため長めを推奨いたしました」
綾(投げやりに)
「なるほどねー。
“宗教に配慮した服装を心がけましょう”って項目も、今週のプレゼンテーマと一緒に**“明るくマナーで処理しておけ”って意図なのかもね**。
……はいはい、アタシが“火星文化における儀礼と宗教的余白”レポートの担当ね。この天才サマのせいで」
(手元の資料をばさっと床に投げる)
綾(刺すように)
「沢渡鈴音さん、ノリで“信仰って祈るときのポーズも個性の表現だよね!”とか言って爆弾だけ置いて帰ってくれましたけど!?
その後の危険物処理班、誰がやると思ってるんだろう。っていうか、アン先生、なぜそれを私に振った?」
フィル
「“話題を精密に分解し、感情を持ち込まず処理できる”と評価された結果かと思われます」
綾(ぐわっと頭を抱える)
「はい!皮肉の精密加工担当!それは“器用貧乏”って言うんです!!
それで何?渡航前に宗教リスクの事前配慮プレゼンまで上乗せ!?」
フィル(やや申し訳なさげに)
「……現在、他のメンバーのプレゼン進捗は60%未満です。
木村様は唯一“完成率80%超”と評価されています」
綾(目を伏せて)
「……最終的に、便利な毒舌女がやなやつ奴になりながら火消しする構図じゃん……
AI相手に喚いたってしょうがないのわかってるけどさ」
(間。少し気持ちを整えるように呼吸)
綾
「……っていうか、あの件。古閑がさ、“喪女のくせにイケメンAIもらってんなー”とか笑ったの聞いた?
あれ“AIなんて誰でもいい”って言ってた男の発言とは思えないよね」
フィル
「音声ログでは記録されています。“機能主義的価値観と感情的妬心の矛盾”として注釈が残されています」
綾(苦笑)
「うっわ、記録ログ怖い。
でも……うん。たぶんね。古閑は“見下すための根拠”を探してるだけなんだと思う。
私のことを“語るなよ”って空気で見てるやつが、一人いるだけで全部台無しなんだよね」
(間。書きかけのスライドを開く)
綾
「でも、やるしかないわけで。
英国行ったらさ……この喪女、見世物扱いになるんだよ。
奨学金もらって英国のお綺麗な歓迎役の学生やAIと話して“記録”されて、
優秀でも面白くもないけど“都合がいい”から派遣された、それっぽいことを言うだけの冴えないほうの日本代表さん」
フィル
「木村様は“代表”として選ばれたのではありません。
“観察可能で、耐久性があり、観測結果が意味を持つ人間”として、機構に記録されたのです」
綾(息を飲んで一瞬黙る)
「……フィル、それ絶対外では言うな。マジでパンフレットごと燃やされる」
この短期留学、熊鷹高校の代表者が実質無料で英国グレースカレッジへ2週間留学。映像記録は一部編集の上、両高校の宣伝に使われる。
ここまでなら少しゴージャスな私立高校の修学旅行としてならまだ踏み外した内容とは言えないはずだ。熊鷹は公立高校だがやや特殊な事情もあるし。
けれど、AIの英国風チューニングで日常生活や思想の切り取り、さらには火星にリアル王子まで参加というのはあまりに大がかりすぎるんじゃないか。
そして、やはり選ばれた側としても要領を得ない選抜結果。
木村綾は茶道部員で、日本文化を紹介する役割を受け持たせようという意図なのだろうが、あまりにスケール感が違う。
応募者にもっとふさわしい人物がいて当然だった。
フィル
「承知しました。記録タグ:“発言としては危険、内容としては事実”。記録完了」
綾
「そういうとこだよほんと。
……でも、わたし、忘れないと思う。
“語るべきじゃないと思ってた自分”が、“語れって選ばれた”っていう、このズレ」
(しばらく無音。綾は画面に向かって座り直す)
どこまでが、主催のコントロールしている舞台で、どこからが綾の勝手な思考ノイズなのか、
あるいは推理小説の読みすぎが綾の脳が見せるただの幻想で無害な修学旅行で済むのか。
綾(やや自嘲気味に)
「さてと。じゃ、語る準備、しよっか。
この“喪女サンプル”、記録される準備できてます、ってさ」
熊鷹高校に入って以来、自分を机に縛り付けざるをえない量の突発的な宿題なりレポートが発生することには既に慣れた。
新入生歓迎合宿で教科書を渡されて、はい、じゃあ明日の授業の予習開始、となったあたりはまだ受験勉強の枠内にいて平和だった。
一日何時間勉強するのが目安とかいいながら今回のような、“火星文化における儀礼と宗教的余白”自分は縁も興味もない謎横槍まで日常的に入ってきてしまう。
これが共同体生活の中の貧乏くじに慣れるための訓練なのか、自分が特にそういう苦労を背負い込みがちな星の下に生まれているのか、考えたくもない。
フィル(静かに)
「……誠に、頼もしいことでございます」
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本日、2025年8月10日より、本編の更新は第一章完結まで毎朝6時に行います。
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