第五話 ″消えた香り″の謎②
「テイスティング過程が始まる前……ちょうど二年生の終わりごろに、私、ロコナウイルスにかかって……
そのあと、香りが分からなくなったんです。完全に失われたわけじゃないけど、花や果物の香りがすごく曖昧で……」
「ずっと……みんなの反応を見て、それっぽいコメントを合わせてました。
“白い花”とか、“柑橘の皮”とか、分かったふりをして……」
「でも……リースリングの香り、私、一度も分かったことがなくて。
だから、私の感じる“香りのないワイン”を、みんなにも感じてほしかったんです。香りに癖のない葡萄、セミヨンなら私と同じように“分からない”って言うかなって……」
誰も言葉を挟まないなか、アルネがそっと言った。
「……わたし、香りが強すぎて、逆に全体の形がつかめなくなることがあります。
鼻が利くって言われるけど、それでも分からないときがある。
だから……実沙さんの感じたことも、きっと“本物”だと思います」
実沙が顔を上げた。目が、かすかに潤んでいた。
タカヒコはセミヨンのグラスを手に取り、
くるりと回す。
「ワインってのはな、
“まだ出会ったことのない香り”を探す旅なんだよ。
グラスの中にじゃなくて、自分の中にさ。
朧げに感じたその香りを、素直に受け止めて自分の言葉で語れば良い。
……いつか、その語りが詩になり、響きになる」
その日、実沙の行為は処分されなかった。
「これは実験のひとつだった」
そうタカヒコが言った。
「彼女は、香りのないワインで、学園全体の感性を揺さぶってみせた。
……充分、価値あるテイスティングだったと思うよ」
そして最後に、静かに続けた。
「皆がセミヨンの中にあるはずのないリースリングを探し、なんとかしてリースリングの要素を掴み取ろうとした。
それが幻影だとしても、“ある”と信じたがる気持ちが言葉を産み出す。
……良い経験だったよ」
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