雷鳴【カクヨム公式特集掲載作】

100chobori

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 開け放たれた窓の外からは、浜辺ではしゃぐ子供達の声に混じって潮風が吹き込み、窓の両端からはレースのカーテンが、部屋の中にゆっくりと持ち上がるようになびく。志太平野から駿河湾をはるばる渡り、ようやくこの陸地にたどり着いたばかりの風は、あと半年で築三十年を迎える小さな「村井旅館」の一室を最後の場所に選んだ。風は最後のひと吹きを祐哉に浴びせ、この部屋の中で行き場を失い、消えた。

 八畳の和室に隣合って並べられた二組の布団は、片方だけが激しく乱れていた。掛け布団は壁の脇に蹴散らされ、敷き布団に掛かるシーツには大きな皺が寄っていた。

 部屋に足を踏み入れた祐哉は風の正面に立つなり苦笑いした。何度も見た光景だった。敷き布団から勢いよくシーツを剥がし取ると、掴んだシーツには、ついさっき数十分前まで、確かにここに人がいたということがわかる湿り気を、手の指から感じ取ることができた。

 つい三十分ほど前に黒塗りの真新しい四輪駆動車でこの旅館を後にしたばかりの、どちらも二十代後半位と思われる男女の姿を思い返した。ナンバープレートに練馬の文字があった。彼らはTシャツに短パン、ビーチサンダルというラフな服装ではあったが、いざ、彼らが着ていたのと同じものを揃えようとすれば、この辺りでは買えそうで買えないということが、それほど着るものに凝っているわけでもない、まだ高校生の祐哉にもすぐにわかった。

 シーツと掛け布団のカバーを外して廊下に放り投げた。テーブルの上の空き缶や菓子の包み紙、ゴミ箱の中のゴミを片づけ、部屋の中を掃き終えた。あと一部屋片づけば今日の作業は終了だ。

 隣の部屋の扉は既に開いていた。布団は敷かれていない。ついさっきまであったはずの人の匂いは半分ほど洗い流された後だった。祐哉の足下に海からの風が流れ込んだ。

「これ先に下持ってって」

 祐哉が声に振り向くなり、明日香は布団のシーツを押しつけた。彼女の背後の押入には布団が畳まれていた。

「遅いよ、私もう四部屋目だよ。祐哉の分じゃんここー」

「隣の部屋バカ汚かっただもん、しょんねえじゃん」

「どこの部屋だってみんなそうだよ」

「先に終わったなら待ってりゃいいのに」

「そんなの時間もったいないじゃん」

「まだ夏休み半分以上あるじゃん」

「もう! わかってないんだから……早くこれ!」

 明日香は手にしていた布団のシーツをさらに強く祐哉に押しつけた。祐哉は背後によろめきつつ、とっさに明日香の手を掴んでいた。そのつもりはなかった。畳の上に仰向けに転がり込んだ祐哉に明日香が覆い被さるような姿勢になった。

 明日香の髪が祐哉の頬をくすぐった。彼は知っている。明日香は髪を束ねる時、決まって耳の横を少し残す。

 祐哉は明日香を抱き寄せた。

「何やってるの、もうっ」

 そう言いつつも、明日香の表情からは笑いがこぼれる。彼女は知っている。次に祐哉は額と額を互いに合わせようとするだろう。彼がそうする前に彼女がそうした。

 祐哉が驚いて間の抜けた目の見開き方をしたので、明日香は声をあげて笑った。

 祐哉の左右の手のひらは明日香の背中を肩から下に這っていく。

「……だめ」

 急に弱々しくなった明日香の声に、祐哉は言葉を返さなかった。彼の手はさらに下がり続けた。

「ダメだからねっ!」

 祐哉を突き放して明日香は立ち上がった。

「なんだよ、もうー」

「早く片付けなきゃ、ね。早く早く」

 さっきシーツを押しつけられた時よりも、明日香のテンションが高いように祐哉には思えた。

「だめなの? おれっちもうそろそろそういう関係でもなくね?」

「いいから早く片付けて!」

 祐哉の表情が一瞬曇る。察した明日香は、諭すような口調で言った。

「さっき階段の音したから。祐哉のお母さんが上がってきたのかと思ったの。まずいでしょ」

「そんな音しなかったけど……まあいいか」

 明日香は祐哉に背を向けてからほっと一息なで下ろした。

「祐哉と明日香ちゃん、掃除終わったら朝食の食器洗いお願いねー」 階下から祐哉の母親、晴美の声が響いた。

「えー今日は父ちゃんがやるんじゃなかったのー」

 祐哉が投げやりに叫び返す。

「それは昨日でしょ」

 明日香が小声で祐哉の肩をつつく。

「父ちゃん今日は釣り船行ってるから。お願いねー!」

「だって。ほら、祐哉いい?」

 明日香は小声で促す。

「せーの」

「はーい」

 二人は声を合わせて晴美に返事をした。

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