マホロバ日記

小湊

第1話節分

古びた社に、誰も知らぬ神が棲んでいる。

名を「霧島」。姿は子供、面は狐。

人はそれを親しみを込めてこう呼ぶ。――お稲荷ちゃん、と。


冬が去ろうとする節分の夜、

里に降る雪は静かに積もっていた。

豆をまき、鬼を追い払う人々の声が山にまで届く。


「……ふうん。今日は“神々の境界”が一番薄れる日、か」


お稲荷ちゃんは、誰もいない社の奥で独り言をつぶやいた。

膝の上には古びた巻物。そこに記された祝詞は、もう読む者もいない。


「もう一度、人の願いを叶えに行こうか。

でも、次に境を越えたら、戻る場所はきっと……なくなるね」


彼女の肩にかかる狐面は、今日は斜めに外されていた。

可愛らしい子供の顔に、凛とした何かが宿る。


「……だけど、あの人に、もう一度だけ会いたいの」


そう言って、お稲荷ちゃんは立ち上がる。

春の足音が、雪の下から、そっと聞こえた気がした。


――これは、一柱の神が恋をした罰として

春の始まりと共に、再び人と交わる物語。

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マホロバ日記 小湊 @darumahoushi

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