正義の公安魔法科にスカウトされたけど、敵の方が正義に見える件
@KOTETUKOTETU
第1話 唐突な災い
「おい啓介起きろよ」
肩を揺らされてゆっくり目を開けた
「当てられたぞ」
啓介は石川先生が担当する古典の授業中、通称『
啓介は頭をもたげて周囲の状況を確認する。事情を知らない誰かが見たら、早く答えろ!と言いたくなるようなシチュエーションではあるが、こうするには理由があった。
「お前また嘘ついたな?」
「バレたか」
夕日差し込む教室に石川先生の姿は既になく、クラスメイトたちは荷物を鞄にしまって一人、また一人と教室を後にしていく。
その光景は間違いなく授業後であり、大地は嘘をついていると確信した。
「残念。また慌てふためく啓介を観れると思ったのに。なあ?」
大地は悪びれることなくそう言って、啓介の隣の席の
靏音響――整った容姿に絹のように白い肌。先まで手入れされたプラチナブロンドの髪には肩のあたりから緩くカールをかけてある。まさに絵に描いたような美少女。
その上テストでは毎回上位で、運動神経も抜群。本人は軽音楽部に所属しているが、運動部にも負けない体力と初めてやる競技でもすぐ適応してしまう天性のセンスは一級品。
そんな才色兼備な自分をを鼻にかけることなく、誰とも分け隔てなく接し、常に笑顔を忘れない彼女は男どもが裏で投票して作った毎月更新の『
女子を順位付けしちゃダメだろという建前を口にしつつ、啓介も常々響に入れている。
「大地、そんなに啓介君をからかっちゃダメだよ?」
「分かってるよ。もうしない」
「絶対分かってないでしょ」
もうしない、というまだする発言に響は少し呆れながら、授業で凝り固まったであろう背中をほぐすために大きく伸びをした。
夏服の半袖から伸びた白い二の腕が視界に飛び込んでくると同時に、啓介的に丁度いい大きさ、形の双丘が心臓をドクンと波打たせる。
推定C。もし着痩せするタイプならそれ以上……?
天は人に二物を与えず、とはよく言ったものであるが、正直嘘なんじゃないかと思い始めている今日この頃の啓介。
「ほら啓介君、これ授業ノート」
「いつもありがとう」
響は机の上のノートを滑らせて啓介に渡す。
啓介は今回の授業のページを素早く探し出し、あたりをキョロキョロ見渡して先生が居ないことを確認すると、鞄からスマホを取り出して写真を撮る。
学校でスマホを出すことは禁止されているからだ。先生に見つかったら没収されてしまう。
それから再度ありがとうと言ってノートを返すと、響は丁度あくびをしていたらしく、慌てて口を閉じると恥ずかしそうに啓介から目を離しながらノートを受け取った。
流石にいけないと思ったのか、響は啓介に視線を戻すときまり悪そうに頬の辺りを指でかきながら、
「私も啓介君の可愛い寝顔見てたら眠たくなってきたかも」
「……気をつけろよ?これも響の通常運転なんだからな?」
耳の近くで響に聞こえない程度の声量で囁いた大地の言葉に啓介は小さく頷く。
何も知らない人が聞いたら卒倒しそうなセリフを響はことなげに言ってのける。
靏音響の魔性――それは相手に好意があると捉えられてもおかしくない言葉を平気な顔で言ってしまうところ。そして何より本人にはその自覚がないところ。
これで入学式以来何人が騙されてきたことか。
響の甘い言葉に乗せられて、運動会でみんなの前で告白というギャンブルに高校生活を全ブッパした生徒もいたほどだ。彼は今もそのネタを擦られ続けているのはいうまでもない。
その点響と幼馴染の大地の助言は本当に助かっていた。
「あの〜響さん、私も見せていただいてよろしいでしょうか?」
そう丁寧に声をかけたのは響の後ろの席、つまりは大地の隣の席の
「あれ?柚ちんも寝てたの?」
「寝ていたわけでは無いのですが、ちょっと書きそびれてしまったところがありまして……」
「確かに石川先生消すの早いもんね」
響がノートを渡すと、柚葉は推し頂くようにそれを受け取って素早く(そんなに速くない)書き写していく。
この白い髪の少女も響と幼馴染。物腰柔らかで、心の中にストンと落ちて染み込んでいくような彼女の声色は彼女が纏う『深窓の令嬢』っぽい雰囲気と寸分違わずマッチしている。
身長は同じ高校一年生女子と比べると大分に小柄であり、普段はまるでのどかな日のお花畑で寝転がって空を見ているようなポケ〜とした顔をしているが、時折キリッと真剣な顔をすることもあって、そのギャップが一部の男子高校生の癖にクリティカルヒットしたらしく、響までとはいかないまでもこちらも男子人気は相当高い。
「あの靏音さん、ここって……」
「ん?どしたぁ〜?」
柚葉が響から貸してもらっていたノートのある一部分を指差し、それを響が覗き込む。
今日やった(らしい)『宇治拾遺物語』の品詞が書かれている箇所だ。丸い字でつらつらと原文が書かれていて、その隣に現代語訳と品詞の意味が書かれている。
「ここの『しむ』って使役ではなく尊敬なのでは?」
「え?そうなの?」
「ん〜どれどれ〜」
「大地が見たってわかんないでしょ。でも先生たしか使役って言ってたと思うんだけどなあ」
一見分かりにくい部分ではあるが前後から判断するに尊敬でとるべきだろう。
頬杖をついてそう考えていた啓介の鼻腔にシトラスの香水の匂いが漂ってくる。
視線を上げると、通路を挟んで啓介の隣の席の
「あ、ゆーちゃんはどう思う?」
それに気づいた響が尋ねるが、優奈は何も答えずチラリと啓介を見下ろす。
啓介と優奈の視線がかち合い、静かに火花を散らした。
少し眉が吊り上がっていて口角も僅かに上がっている。
ああ……これは試されてるなと啓介は直感した。
君はどう思う?そんな生優しいものではない。
私は分かったけどあなたには分かるかしら?どちらかといえばこっち。
そして先に目を離した方の負けだと本能が告げる。
「うわーバチバチだね」
「無声放電だなこりゃ」
「オゾンでも作る気でしょうか?」
入学式直後に行われた実力考査では500点満点中496点をとって意気揚々だった啓介だったが、廊下に貼り出された得点表を見て唖然とした。
自分の名前があるであろう場所に名前はなく、代わりに『濱田優奈』という名前と共に『500点』という文字が並べてあった。
得点表が開示された瞬間の周囲のざわめき。それは間違いなく満点を取った濱田優奈への羨望の声であり、啓介を地獄へ突き落とす絶望の鐘の音でもあった。
その後の一学期定期考査でも優奈に一位を取られ、勉強が出来るという啓介の自負は無惨にも打ち砕かれた。
暫く視線を闘わせたのち優奈は視線を外す。
啓介もほぼ同時に目を離し、小さなため息ひとつ。
先に目を離さなかったとは言うものの、虚しいだけ。
「そこは使役じゃなくて尊敬よ」
「でもその場合尊敬の向きは……」
「確かに一見しただけじゃ分からないかもしれないけど、その前の一文から主語は変わってないわ」
「なるほど……とするとこの尊敬は筆者から安倍晴明ですね」
「その通り」
「へえ〜そうなんだ。見分け方ってあるの?」
「今回は前後の文脈からしか判断できないわ」
「文脈かぁ。難しいなあ〜」
一生分からないかも……と机に突っ伏す響を慰めるように優奈は彼女の肩をトントンと叩いてニコッと笑うと、
「大丈夫よ。たくさん文章に触れたら分かるようになるから。私も最近やっとすぐ分かるようになったんだし」
「さっすが学年一位は格が違えや。どんだけ勉強したらそこまで頭良くなるんだよ」
「偶然よ。ただ運が良かっただけ」
テンプレのかわし文句を飄々と言ってのけた後、優奈はどうだ!と言わんばかりに振り返って啓介を見る。
「まあ?授業中いつも寝ている二位の啓介くんには分からないでしょうけど」
「俺も尊敬だって分かったし」
言葉の暴力に晒され机に突っ伏している啓介を気の毒に思ったのか、それともピリピリした空気に居た堪れなくなったのか、響が両者の間に割って入り、まあまあと落ち着かせたことで、気が済んだ優奈は自分に席に戻り椅子にかけていたリュックを軽やかに肩にかけた。
「じゃあ、私そろそろ行くわ。部活あるし」
「りょ〜かい、行ってらっしゃい〜」
「また明日会いましょう」
響と柚葉に軽く手を振ると、優奈はそのまま教室を出ていった。黒髪が揺れて、爽やかな香りだけがしばらくその場に残った。
「……しかし濱田さん、今日も容赦ないな」
大地がぼそっと呟くと、啓介は机に突っ伏していた顔を上げて眉間を押さえた。
「俺、何か悪いことしたかな……」
「「存在が気に食わないんじゃない?」」
「んー後ろと隣からの突然の存在否定」
響と柚葉がクスクスと笑い、大地もつられて笑った。どこか気の抜けるような、心地よい放課後のひととき。
やがて柚葉がノートを閉じて響に返しながら、ふと窓の外に目をやった。
「……今日の夕焼け、すごく綺麗ですね。良いことがありそう、そんな気分にさせてくれます」
その言葉に皆がつられて窓を見る。真っ赤に染まった空が校舎を包み込むように広がっていて、教室の中もほんのりと茜色に照らされていた。
「明日も、晴れるといいね」
響が静かに呟いた。まるでその言葉が、この穏やかな時間を永遠に続けてくれるような、そんな気がした。
――――――――――――――――――――――
電線の上の一羽のカラスが一声鳴いてバサバサと羽ばたいた。大地に顔を
西の空はゆっくり黒に染まりはじめた。カラスが夜を告げているのか、それともカラスが暗闇を呼んでくるのか。
サッカー部で大地と一緒に汗をひとしきり流した後、啓介は大地と別れて一人帰路についていた。
家々の窓から漏れ出す暖かな光と夕飯の優しい匂いが、家に帰っても誰もいないという孤独な事実を容赦なく突きつけてくる。
啓介は物心ついた頃から一人だった。
難産だったらしく、母は啓介を産み落としてそのまま亡くなった。
父は生きているらしいが、仕事の都合で海外に出張していて家にいない。
啓介がまだ幼かった頃は父が雇った家政婦が家を切り盛りしていたが、高校に上がるときに契約満了で家を出て行った。
幸い、彼女から家事のイロハは教えてもらったので啓介一人でもなんとか生活はできている。
金銭面についても全く問題なかった。
毎月啓介名義の銀行口座に、高校生には大きすぎる額が入金されるからだ。
毎晩デパート最上階のレストランで夜景を見ながら高級ステーキを頬張っても軽くお釣りが来るであろうその大金は、一介の高校生が豪遊するには十分で、さりとて散財しすぎて周囲の人から猜疑の目で見られるのは避けたい小心者の啓介は、支出は必要最小限にとどめている。
もちろん感謝の気持ちも忘れてはいない。
顔も名前も、どこに住んでるか、メールアドレスすら知らない『未知の父』に感謝を伝える術はないけれど、口座を確認するたび静かに手を合わせている。いつか父に会ったら、貯めてあったお金はそっくりそのままお返しして、それからは自分で稼いだお金で生きていこうという初心は何も変わっていない。
狭い路地を抜けて自宅の前に着いた啓介は、家の鍵を探すために鞄の中を
一羽のカラスが家の前の電線に降り立ち、ブラックダイヤモンドの瞳で獲物を品定めするように啓介の後ろ姿をじっと見つめる。
啓介はおもちゃ箱をひっくり返したような鞄の中からやっとの思いで鍵を探し出すと視線を上げて鍵穴に差し込もうとする。
その瞬間、啓介は突如として生じた違和感に眉を寄せた。
啓介の影の隣にもうひとつの影がのっぺり立っていたからだ。
影の長さは啓介のそれよりも幾分か長い。啓介の身長は174cmであることと、影は啓介の後ろから伸びていることを考慮すると、影の持ち主は身長180後半から190前半、肩幅の広さからかなりゴツい体つきであることが窺える。
「尾上啓介」
なぜ名前を?
心臓がドクンと波打つのを感じる。
自宅の前で見知らぬ男にフルネームを呼ばれる不気味さと恐怖が、一気に啓介を支配する。
手が小刻みに震え、全身が粟立つ。
鍵穴に鍵を差し込む事は叶わず、震える手のせいで金属同士が触れ合ってカチカチ音をたてる。
「この家の前に立ち、鍵を差し込もうとしている。つまりここは君の家であり君は尾上啓介である」
何も言わない啓介に嫌気がさしたのか、男が靴でアスファルトをコツコツ叩きながら抑揚のない無機質な声で詰め寄る。それでも声に一寸の苛立ちも含まれていない。
「君からの答えははなから期待していない。君が否定、あるいは無視を決め込んだところで心拍数、発汗、立毛筋の収縮、瞳孔の開き具合、そして手の震え――その全てから君を尾上啓介であると断定し、捕獲する」
その瞬間影が動いた。
啓介は咄嗟に振り返り、両手の握り拳を顔の近くまで持ってきてファイティングポーズをとる。
なぜ逃げるという選択をしなかったのか、啓介本人にも分からなかった。人を本気で殴ったことなんてないのに、気づいたら戦うという選択肢を選んでいた。
人間に限らず、生き物全てが持つ生得的な自衛本能が働いたんだろう。
いつの間にか鍵は手から滑り落ちていたが、そんな事を気にする余裕はない。
捕獲とは生態系において下位の存在に使う言葉であり、上位や同列の存在に使う言葉ではない。
にも関わらずこの男は捕獲という言葉を使った。それは紛れもなく自分以外の人間を下位存在だと位置付けている自己中野郎か、あるいは自分は人間という枠組みを超越した何かだと勘違いしている勘違い野郎のどちらか。どちらにしてもやばい奴であることに変わりはない。
男の黒影を瞬間的に見定め、右フックをかまそうと腕を振るが、それが到達する前に左脇腹に強烈な衝撃が走り、啓介は受け身もろくに取れず横の植木へ吹っ飛ばされる。
「――かはっ⁉︎」
強烈な痛みと衝撃、涙で霞む視界の中で啓介は咄嗟に地面を叩いて顔をあげ、初めて男を認識した。
男は全身黒色の服を身にまとい、黒々とした長髪を風に靡かせつつ、右足を振り抜いた体勢で啓介を見下ろしている。その体勢からして、啓介の拳が到達する前に右足で蹴り飛ばしたのだろう。
植木がクッションになってくれたおかげで塀に頭をぶつけることは無かったものの、玄関から植木までのおよそ7メートルを飛ばされたことになる。
男は右手をズボンのポケットに入れたままゆっくりと啓介の方へ近づいてくる。
「命までは取らない。そこまでの命令は出されていない」
裏を返せば命令であれば人殺しも厭わないということ。まさに殺戮マシーン。
恐怖と痛みに支配された脳の片隅で、啓介はなぜこうなったか自問していた。
思い当たる節はない。何かを拾ったわけでもないし、遊園地で黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃したこともない。
ただ普通の高校生として慎ましく生活をしていただけ。特段何かを言われる筋合いはないし、まして暴力を振るわれるような事をした覚えはない。
啓介は生まれたての仔鹿のような足取りでゆっくり立ち上がって不恰好に拳を構える。
拳を構えながら啓介は頭をフル回転させあらゆる選択をシミュレーションしていた。
今取れる手は大きく3つ。
1つはこのまま闘うこと。後数手でノックアウトなのは明白。
2つはここから逃げること。こんな手負の状況で逃げ切れるとは到底思えないが、もし逃げ切れたとして、その後はどうなるだろうか?名前と住所は突き止められているし、顔だって見られている。俺の逃走範囲だって無限じゃない。逃げたところで逃げ切れるとは到底思えない。
3つは大声を出して助けを呼ぶこと。声を聞いて幾人かは家から出てきてくれるだろう。警察を呼んでくれるかもしれない。でもそんなことでこの長髪は止まらないだろう。
結局、打てる手はない。八方塞がり。詰み。
痛みはそれほど感じられなくなっていた。脳内麻薬が全身を駆け巡り右脇腹の痛みを認識させまいと奔走しているからだろう。
痛みはないが耳鳴りがひどい。
長髪は一瞬足を止めたが、ふらふらと体勢が覚束ない啓介を危険でないと判断し、再び歩き出す。
「痛みをこらえながら実力差のある敵と繰り返しぶつかろうとするその姿勢は賞賛に値する。流石としか言いようがない」
「……」
「とはいえもう限界のようだな」
長髪がそう口にするのとほぼ同時に啓介が崩れ落ちた。
啓介の視界が縁から徐々に暗闇に落ちていく。
狭まる視界にかろうじて長髪の姿を捉えつつ、もうダメだと直感する。
体に力が入らない。急な吐き気をおもうさまに口から溢すと、それは胃酸などではなく真っ赤な血。
肋骨が折れた――そう思うより早く長髪の声が告げる。
「折れた肋骨が肝臓を貫いている」
症例をたくさん見てきたベテラン医師のように事なげに言ってのける。
しかしその言葉は啓介の脳には届かない。耳殻が捉え、鼓膜が耳小骨へと伝えたはずの言葉は繋がりをなくし、意味をなくし、在るべき姿を失ってただのノイズと成り果て意識の底に沈む。
「お……で……は……」
血の痰が絡んでうまく喋れない啓介の意識は、憎き男の姿を恨めしく捉えながら静かに深い海の底へ沈んでいった。
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