第8話
するりとプロスペローの腹部を貫いた影は、まるで汚れを払うかのように振られ、その勢いのままプロスペローの体は地面へと叩きつけられた。丘の上から、受け止めていた観測班員の死体と共に緩やかに雪の上を滑っていく。観測班員たちの酸化したどす黒い物とは違う、鮮やかなほどの赤をした液体が筋のように伸びていた。
「畜生…!」
すかさずディミトリウスが肩にかけていた小銃を構え、影に向けて発砲した。5,56㎜のカルシウム弾はとっさの狙いにもかかわらず、その全てが影へと吸い込まれていった、様に見えた。
金属を叩くような鈍い音はしたものの、影を貫通することはなく、弾が命中した周りに白い結晶と、僅かな火花が舞い散るのみで、何ら効果があったようには見えなかった。
30発入りの弾倉はすぐに空になり、すぐさま次の弾倉を込め装填、再び発砲を行うが、効果は変わらなかった。佇んでいた影が動いたのはそんな時だった。影の一部が延び、地を這う蛇のようにディミトリウスへと近づく。
ディミトリウスも狙いを這いよる影に変えて引き金を絞るが、不規則な機動を描くことに付いて行けず、地面の雪を巻き上げることしかできなかった。
「だめだ! 避けろ!」
バートラムが叫ぶも、遅かった。ディミトリウスの足元まで伸びた影は急激に方向を変え、針のような姿で地面から突き出した。とっさに庇おうとしたディミトリウスの左腕が、高々と宙を舞った。悲鳴になってもいないようなうめき声が、響いた。切られた衝撃を逃がしきれなかったのか、ディミトリウスはその場へと倒れこんでしまった。
「カタリーナ! 援護しろ! 弾倉、赤!」
言うと同時にバートラムは影へ向けて小銃を乱射しながらディミトリウスの元へと走り出した。
バートラムの掛け声に反応し、カタリーナは小銃に挿していた弾倉を外し、薬室に装填されていた初弾を排除、マグポーチから赤いマーキングテープの巻かれた弾倉、対勇者用の炸裂弾を改めて装填しなおす。
効果はないと分かりつつも、銃を乱射しながら倒れこんでいたディミトリウスの襟をつかみ、強引に丘を滑り降りる。その勢いのままディミトリウスを肩に担ぐ。
「撃て!」
掛け声とともに、カタリーナが発砲する。単射で狙い撃ったのは影の頭部にも見える場所だ。先ほどまでのカルシウム弾とは違う、腹の底に響くような衝撃音が雪中に響いた。
狙い通りの弾道を描き、炸裂弾は影の頭部に命中した。パッと爆炎が上がり、影の頭部を煙で包み込んだ。
弾頭そのものの運動エネルギーに加え、装填されていた聖人の遺骨が炸薬と共に爆発エネルギーとして、影の頭部に衝撃をもたらした。
のけぞる様にして影は大きくよろめいたが、そこまでだった。後方へとよろめいた体は、足を一歩後ろへ引くだけで踏みとどまり、すぐに体勢を立て直した。
「ひっ……」
そうカタリーナは声を漏らした。頭部と彼女が判断したことに間違いはなかった。立ち消えた煙の奥から人の顔がのぞいていた。
炸裂弾が命中していたところだけ、影がめくれ上がる様に剝がれ、そこからは般若の形相と言う言葉ではもはや足りないほど、憎悪に満ちた顔が覗いていた。
剝がれた影は顔の面積に対して半分ほどではあるが、そこから見える相貌は事前にこの世界に転生された、あの気弱そうな青年の特徴と一致していた。しかし、かつての優しさはその面影を残すところは一切なく、額に深く額に刻まれた皴と、今にも飛び出さんばかりに広げられた瞼から覗く瞳からは、怒りや悲しみなどをはるかに通り越した何かが感じられた。
「怯むな!撃ち続けろ!!」
バートラムの檄が飛んだ。負傷したディミトリウスを担ぎ上げたまま、プロスペローの元へと駆け寄っていた。いまそちらに意識を向けさせるわけにはいかない。
小銃のセレクターを精密射撃に向いている単射から、一度に三発の弾丸を連続して発射する
リズミカルに三度ずつ、連続した発砲音を響かせながら銃口から発砲炎が煌めく。同時に影にも同じ数だけの黒煙が立ち上がり、その身をまとっていた黒い影を少しずつ剝がしていく。
数度目の連射で、ついに剝がれた影の奥、生身の部分へ弾丸が到達した。先ほどのよろめきとは違い、奇声を上げながらその場へとうずくまった。やがてその体は痙攣さえし始めた。
「……やった? バートラム! プロスペローは!?」
うずくまって悶え苦しんでいる様にも見えるその姿を横目に、カタリーナは小銃の射線をはずしてバートラムにそう呼びかけた。プロスペローの脇にいたバートラムが声する方向に視線を向け何か言葉を発しようとしたが、それはすべて絶叫によってかき消されてしまった。
カタリーナはすぐさまその絶叫を発した主に目を向けた。先ほどまで痙攣をするほどまでに苦しんでいたように見えた体はいつの間にかすっくと立ち上がり、再び黒い影に全身を包まれていた。
影は不規則にその身を高速で震わせると、その体から染み出すように影を伸ばしはじめた。円弧を描いた影が四方八方へと延び、それはまるで天使の羽のようにも、死神の大鎌かのようにも見えた。
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