第47章「推薦辞退を正式提出」

一月十二日、金曜日。潮守高校の空気はまだ冬休みの名残を引きずっていた。

教室のストーブが赤く光り、窓の外では凍った木の枝が陽を浴びてきらめいている。

放課後、職員室の前の廊下は静かだった。

その静けさが、雄大の胸に余計な鼓動を打たせていた。

「……大丈夫、言える」

自分にそう言い聞かせて、雄大は進路指導室のドアの前で立ち止まった。

手には、数日前から何度も書き直した「推薦辞退届」が握られている。

ノックをし、返事を待つまでもなく、進路指導の先生が顔を上げた。

「おう、寺島。……もう、決まったのか?」

雄大は小さくうなずいた。そして、机の上に用紙を差し出す。

「……はい。これ、推薦辞退の書類です」

受け取った先生は、一度目を伏せて書類に目を通し、それから雄大をじっと見つめた。

「……本当に、いいんだな。お前のタイムなら、大学推薦は確実に通る。それを捨てるってことは、簡単なことじゃない」

「……分かってます。でも、やっぱり、自分の意思で選びたいんです」

先生は、書類の上に手を置いたまま、少しだけため息をついた。

「理由を聞いてもいいか?」

雄大は一瞬、視線を迷わせたが、すぐにまっすぐ先生の目を見た。

「灯台を……守りたいんです。自分の手で。まだ完成はしていないし、そこに関わってるみんなを、最後まで支えたい。――それが、今の俺の一番の願いです」

「……高校生活最後の冬を、仲間と灯台のために、か。……青くて、いいな」

先生はそう言って、ゆっくりとうなずいた。

「……じゃあ、預かっておく。正式に推薦辞退として受理するから、進路希望は改めて自分で調べるようにな」

「はい……ありがとうございます」

教室に戻る途中、雄大はふと立ち止まった。

窓から見えるグラウンドの先には、青い海が広がっている。

「――あの灯が、誰かの願いを照らすって、本気で信じてるんだ」

自分自身にそう言い聞かせるように、ゆっくりと歩き出した。

手のひらには、深呼吸の余韻がまだ残っていた。





教室に戻ると、窓際の席で有紀が筆箱を閉じるところだった。

夕陽が差し込む窓ガラスが、彼女の髪をオレンジ色に染めていた。

雄大は、深呼吸してから声をかける。

「……戻ったよ」

「うん。……どうだった?」

「出してきた。推薦、辞退するって」

有紀は少し目を見開いた後、そっと笑った。

「……やっぱり、そうしたんだね」

その笑みは、どこか寂しさを含みながらも、確かな共感があった。

「後悔してる?」

「してない。……怖いけど、後悔はしてないよ。まだ全部が終わったわけじゃないし」

「うん……。わたしも、まだ途中だと思ってる。吹奏楽のことも、灯台のことも。……それに」

彼女は小さく頷き、教科書のページにしおりをはさむ。

「あなたの選んだこと、ちゃんと受け止めるよ」

雄大は驚いたように瞬きをした。

「……なんか、強くなった?」

「そうかな。……少しずつ、ね。予定通りじゃない日々にも、慣れてきたのかも」

それはたしかに成長だった。

彼女が予定表に頼らずに、その場の心で人を支えようとしている姿が、ここにあった。

雄大は、窓の外に目を向けた。遠く、灯台が霞んで見える。

「俺、あの灯台を最後まで見届けたい。――そのときに、隣にいてほしい」

「……うん。わたしも、ちゃんと見届けたい。灯がともる瞬間を」

風が窓を揺らす音が、ふたりの間を通り抜けた。

静かな教室で、心だけが重なり合っていた。

ふと、有紀が問いかけた。

「……ねえ、もうひとつ、聞いてもいい?」

「なに?」

「わたしのこと、好きって……思ってくれてる?」

雄大は一瞬だけ戸惑ったが、すぐにうなずいた。

「……思ってるよ。でも、まだ言うタイミングじゃないと思ってた。灯が、ともるまでは」

「……そっか。じゃあ、そのときに、ちゃんと聞くね」

有紀の声は、涙のようにやわらかかった。

そして雄大の胸には、確かな覚悟と、静かなぬくもりが残った。

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