第37章「重なる音、届く場所へ」
10月7日、土曜日。
空は高く晴れ渡り、潮守高校の校舎には色とりどりの装飾が踊っていた。
文化祭本番。ステージ周辺には朝早くから観客が集まり始め、ざわつきと期待が混じる音が、空気の振動のように肌に伝わってくる。
中庭に組まれた特設ステージの上、有紀は息を呑みながら立っていた。
制服にリボンをあしらった吹奏楽部の衣装は、いつもより少しだけ可愛らしく感じられた。
けれど、それ以上に視線を集めていたのは、隣に立つ一人の少女――アイリッシュハープを抱えるモリーの姿だった。
「Are you ready?」
モリーが小声で尋ねてくる。
その言葉の響きは、いつかの灯台で聴いた潮騒に似ていた。
「……うん、もう逃げないよ」
有紀は深くうなずいた。演奏が始まれば、もう後戻りはできない。
けれど、今日は逃げる理由なんてどこにもなかった。
観客の前列には、雄大や鮎美、史也たち灯台チームの面々が揃っていた。
それぞれ手には応援用のうちわや小旗、そして手作りの「潮守灯台支援」と描かれたプラカードを掲げている。
それを見つけた有紀の顔が少しほころぶ。
舞台袖でスタンバイする麻里奈が、手のひらを握って開いての合図を送ってきた。
それは「呼吸を整えて」「焦らないで」「信じてる」という、何度も繰り返されてきたサインだった。
(大丈夫、今日は独りじゃない)
合図と同時に、スピーカーから司会者のアナウンスが流れる。
「続いては、潮守高校吹奏楽部と特別ゲストによる、コラボ演奏ステージ『灯をつなぐ音会』です!」
拍手と歓声が中庭に広がり、トランペットのファンファーレが軽やかに空気を裂いた。
モリーが弦に指を添え、静かに一音目を紡ぎ出す。
その透明な音は、有紀の胸の奥にまっすぐ落ちてきた。
――静かな灯台のてっぺんで、彼女が夜に弾いてくれたあの旋律。
それが、今こうして多くの人の前で響き始めている。
有紀は深く息を吸い、トランペットを唇にあてた。
一音目。
それは迷いのない、澄んだ真っ直ぐな音だった。
かつて合同演奏会で外したソロ。コンクール直前に泣き崩れた日の記憶。
すべてが音に溶け、空へと舞い上がる。
モリーのハープと重なる音色は、まるで波と月のように交差しながら流れていく。
ステージ横では、麻里奈が静かにうなずき、朱音が目頭を押さえていた。
――「灯りがともるって、こういうことなんだね」
郁也がつぶやいた声が、観客席の前方で小さく響いた。
それを聞いた雄大は、じっとステージを見つめながら、ふと手元のうちわを握りしめる。
(……あの時、あの灯台で有紀が言ったこと。
“願いがかなうって、どういうことだと思う?”
……やっと、わかった気がする)
彼の視線の先で、有紀はラストの高音を放つ。
その音は、潮守の空を震わせるほどに力強く、美しかった。
音が止んだ瞬間――
誰からともなく拍手が湧き、やがて大きな拍手と歓声が中庭を包み込んだ。
モリーが照れくさそうに微笑み、有紀は少しだけ目を潤ませていた。
鳴りやまぬ拍手の中、舞台袖から出てきた雄大と視線が重なる。
有紀の顔が、少しだけ笑った。
それは、音よりも言葉よりも、雄大の胸にまっすぐ響いた。
(第38章へ続く)
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