第20章「交渉の机と信念の言葉」

 6月15日(木)午後――

 潮守市役所・第二庁舎三階、文化財課会議室。

「では、生徒会の方々、ご着席ください」

 市役所の職員が整然と並べた名札。

 机の中央には、古ぼけた地図と分厚いファイル。

 空調の効いた室内に、緊張が澱のように漂っていた。

 鮎美は真っ直ぐ姿勢を正し、視線を前に据える。

 隣では麻里奈が、きっちり束ねたA4書類のファイルを開いている。

「本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。私たちは、潮守高校生徒会として、『潮守灯台保存修復活動』のための許可申請にまいりました」

 麻里奈の声は、透き通るように明瞭だった。

 言葉の端まで整っていて、指の動きにも淀みがない。

「こちらが修復工程の概要と、安全対策、ならびに文化的価値の再評価レポートです。文化財としての登録は未済ですが、市民に愛される象徴としての保存意義は充分に――」

「――しかし、過去の資料によれば、灯台は昭和中期に自治体管理から除外された構造物です。正式な文化財登録がない状態で、修復活動を認可することには……」

 文化財課の課長代理が、渋い表情で指を組んだ。

 その横で、補佐官が議事録に静かにタイピングを始めている。

 一瞬の沈黙。

 鮎美はその空気を破るように、体を前に乗り出した。

「それでも、私たちはあの灯台に意味があると信じてます。今の制度に登録されていなくても――地域の思い出を照らし続けた光なんです」

「想いではなく、根拠をお願いします」

「はい。ですからこのレポートには、過去の海難救助記録や、地元住民の聞き取り調査、灯台から見える航路の歴史的変遷を記録しています。それに……」

 麻里奈が言いかけると、鮎美がすっと前に出る。

「灯台って、ただの建物じゃないんです。

 迷ったとき、帰る道を教えてくれる。

 それって、今の社会にも、私たち学生にも必要なものじゃないでしょうか?」

 市職員の間に、わずかに視線が交わる。

 彼女たちの声は、資料よりも、数字よりも――

 ずっとまっすぐに響いていた。




 市の文化財課室長・杉浦が、資料に目を通す指を止めた。

「……この修復案の予算規模と、人的配置は?」

「資材費の見積もりと日数単位の作業工程は、こちらのページに。生徒主体ですが、毎日安全管理責任者の配置もあり、保険にも加入済みです」

 麻里奈がページを示すと、鮎美が補足する。

「地域の方々にも協力をお願いしています。灯台を『過去の遺物』にしないで、未来に繋ぐ活動にしたいんです」

「ふむ……。ただ、事故が起きた場合は?」

「はい、そのときは――責任の所在が曖昧にならぬよう、保護者の同意書と学校の承認も得ております」

 明快な答えに、一人の職員が思わず「しっかりしてるな」と呟いた。

 麻里奈の横顔には一点の曇りもなく、

 鮎美の言葉には一欠片のためらいもなかった。

「……どうして、ここまで真剣にやるんだ?」

 ぽつりと課長代理が漏らした言葉に、二人の答えは重ならなかった。

「……“誰かの想い”を、形にするのって、意外と難しい。でも、私にはそれができるチャンスだと思ったんです」

 鮎美の言葉には、彼女の「共にやることの喜び」がにじんでいた。

「ルールの上に成り立つ安心があるから、私たちは大胆になれると思います。正しいやり方で、未来をつなぎたいんです」

 麻里奈の言葉には、「ルールを守ることの信念」が刻まれていた。

 沈黙ののち――

 杉浦が、書類を一枚抜き取り、印を押した。

「これで、仮承認としましょう。最終許可は市の委員会判断になりますが、熱意と準備は、十分です」

「……ありがとうございます!」

 二人は、深く礼をした。

 その瞬間、会議室に差し込む午後の光が、書類の上に白く広がった。

 灯台の未来をつなぐ、小さな鍵が――音もなく回った音がした。

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