第18章「帳簿と夕焼け、突きつけられた真実」

 6月7日(水)夕方――

 潮守高校の屋上は、夏の夕焼けに染め上げられていた。

 吹き抜ける風はまだ涼しく、壁の影に置かれたベンチと、広げられた模造紙。

 そこに並んで座るのは、朱音と鮎美。

 ふたりの前には、収支リストの写しと、タブレットの画面。

 数字と数字が、重なるはずの箇所で微妙にずれていた。

「鮎美……ここ、やっぱり一致してない。四千五百円。どうして?」

 朱音の声は穏やかだったが、濁りなく真っ直ぐだった。

 それは彼女の「裏切りを許さない」性質が、そのまま表れた声色。

「たぶん……このバザー分の現金収入、受け取ったときに金種の内訳まで記録してなかったから。あとからレシート照らし合わせて……誤差が生じたんだと思う」

 鮎美はため息まじりに言う。

「でも、それって――やっぱり管理ミスだよね?」

「……そうかもね」

「“かも”じゃないよ。これは、プロジェクトの信用にかかわる。あたしはね、数字で守ってるんだよ。みんなの努力を」

 朱音の言葉は責めていた。けれど、それ以上に――痛みを抱いていた。

「でもね、あたしがこういう言い方をすると、みんな離れていく。“細かい”とか、“また始まった”とか。……正しいことを言っても、誰もついてきてくれない。なんでかな」

 その言葉に、鮎美が目を伏せた。

「わかるよ。私も似たようなことで、前にひとりでやりすぎて、グループ崩しかけた」

「えっ……?」

「自分が正しいって信じるのは、強さだけど。ときどき、誰かの足を止めることもあるんだよ」

 そう言って、鮎美はタブレットを閉じる。

「でも朱音、ありがと。数字で見てくれて、気づいてくれて。ごまかしたくなかった。ちゃんと直そう。いっしょに」

 ゆっくりと、朱音がうなずく。

「うん。……ごめん、きつい言い方して。でも、鮎美のことは、信じてる」

 その言葉に、鮎美はわずかに目を見開いたあと、くすっと笑った。

「そう言われると、照れるな」

 そして、ふたりは沈黙のまま、校舎の向こうに沈んでいく太陽を眺めた。

 数字では測れない何かが、そこにあった。




「なあ朱音、好きな数字ってある?」

 唐突に、鮎美が口を開いた。

「え?」

「私は、8が好き。無限大の記号に見えるじゃん。ひとつの終わりが、次の始まりにつながってるって感じがする」

「……そんな見方、初めてした」

 朱音は小さく笑った。

 その声は、いつものキレのある意見とは違って、どこか柔らかくて、風に溶けるようだった。

「私は、5かな。バランスが取れてる気がして。真ん中って、見えづらいけど大事な場所なんだよ。前にも後ろにも揺れられるし」

「なるほど……なんか、灯台のことみたいだね」

「え?」

「海の真ん中で、波にも揺れるけど、ちゃんと灯りをともしてる。ちょっとくらい揺れてもさ、信じられる光って、あると思う」

 朱音はしばらくその言葉を噛み締めて、

 そして――黙って、帳簿の修正にペンを走らせた。

 静かな時間が流れる。

 でも、それは責任を分け合うような時間だった。

 やがて、すべての数字が整い、確認が終わると、朱音がそっと帳簿を閉じた。

「これで、次に進めるね」

「うん。次は、ポスターと寄付者リストの整理かな。大知たちと連携して、募金活動強化しないと」

「……あんた、本当にひとりで背負うの、クセになってるよね」

「そっちこそ」

 ふたりは見つめ合い、同時に吹き出した。

 夕日が、背中を長く伸ばしていた。

 その影は、屋上の床に並び、かすかに重なり合っていた。

 責任を果たすということは、

 ひとりで完璧を目指すことじゃない。

 信じて、任せて、ときに支えること――

 その日、朱音と鮎美は、それを覚えた。

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