第11章「異文化の風、英語でつなぐ手」

 5月9日、火曜日。放課後の視聴覚室には、普段の教室とは違う、少しだけ“よそいき”の空気が流れていた。

 机の上には撮影機材、プロジェクター。ホワイトボードには「Welcome to Shio-Mori」と手書きのタイトル。

 鮎美が提案した、文化紹介動画の収録日がついにやってきたのだ。

「さーてと、今日の主役はこっちのふたりね」

 愛未が軽やかに指差した先には、マクシミリアーノとモリー。

 異国の空気をまとった二人は、やや緊張した面持ちで椅子に座っていた。

「ハロー。イズ……オーケー、テストカメラ?」

「うん、ちょっと待って。……あ、有紀、ピンマイクそっちお願い!」

 鮎美の指示で、有紀がマイクのケーブルを整えながら、モリーの襟元にそっと手を伸ばした。

「大丈夫?痛くない?」

「……ノープロブレム。ユウキ、やさしい」

「ふふ……ありがと」

 一方、撮影補助として手伝いを任された雄大は、壁際で機材のスイッチとにらめっこしていた。

「えーっと……録画ボタンって、これ……か?」

「うーん、赤いの長押しだったかも」

 横から史也が声をかけてくれる。

「……俺、英語、苦手なんだよな」

 ぽつりとこぼすと、史也は笑いながら背中を叩いた。

「逆にいい機会じゃん。異文化ってやつと“本気で話す”最初のチャンスだと思えば」

 本気で話す。

 それは、雄大にとって、簡単ではない言葉だった。

 思えば彼は、自分の想いを人に向けて声に出すのがいつも遅かった。

 けれど、だからこそ――

 今ここにいるこの時間が、何かを変えるきっかけになる気がしていた。




 収録が始まった。

 カメラのレンズ越しに映るマクシミリアーノの笑顔は、最初から堂々としていた。

「Hola! I’m Maximiliano, from Argentina. I love rugby, and... I love the sea here!」

 彼は時おり身振りを交えながら、自分の国の祭りや食文化、そしてアルゼンチンの灯台についても語っていった。

 その話の中で、「灯台は、夜の道しるべになる。どんな暗闇でも、方向を教えてくれる」という言葉があった。

 隣にいたモリーは、対照的に静かで、淡々とした語り口だった。

「I’m Molly. From Ireland. I play the harp…」

 言葉の隙間に、波音のような静けさがあった。

 彼女が見せた小さな木製ハープには、ケルトの模様が刻まれていた。

「音は、言葉よりも遠くへ届くことがあります」

 そう付け加えたとき、視聴覚室の空気がほんの一瞬、澄んだように感じられた。

 撮影が終わると、拍手がわき起こった。

 愛未や朱音、郁也たちが「最高!」「英語字幕つけよう!」と盛り上がる中、

 雄大は、自分の中に生まれた問いに向き合っていた。

 ──僕にとっての“共有”って、なんだろう。

 ──言葉が下手でも、心が届く瞬間は、あるのか?

「マクシミリアーノ」

 勇気を出して名前を呼んだとき、彼は笑って振り返った。

「Yes?」

「Th-thank you… your story… very, um… strong. No. I mean… moving. えっと、感動した」

 片言の英語。言い直しばかりの言葉。

 けれど、マクシミリアーノは目を細めて、胸に手をあてた。

「Gracias. That means a lot to me.」

 二人の間に流れたのは、たった数秒のやりとりだった。

 それでも、雄大ははっきりと感じた。

“言葉じゃない部分”で、何かが確かに伝わったのだと。

 モリーもまた、ハープのストラップを直しながら、小さく頷いた。

「Your eyes… were honest. That’s enough.」

 その言葉に、雄大は深く息をついた。

 言葉を交わすことに、怯えすぎていたのかもしれない。

「……ありがとう」

 彼が小さく呟いた“日本語”は、誰にも訳されなかったけれど。

 モリーの頬に浮かんだ笑みが、それに対する十分な返事になっていた。

 視聴覚室の窓の外には、ゆっくりと日が落ちていく。

 空は青から紫へ。

 そして、灯台の光がその色の中に、ぽつんと浮かんだ。

 それは、まだ幼い“つながり”の灯り。

 けれど、確かに誰かの心に、届き始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る