第12話

「奥様!遅かったですね。どうかなさったのかと心配しておりました」

「すみませんでした」

「……」

 心配かけて申し訳なかったと詫びる私を、マリーはまじまじと見る。

 その目は両手に提げた荷物に釘付けだ。

 言いたいことは分かっている。

「奥様…」

「さ、帰りましょう。遅くなってしまいます」

 マリーが何か言い出す前に荷物を持って馬車へ乗り込んだ。足下に荷物を置き、ドレスの裾を広げてさっと隠してしまう。

 後から乗って来たマリーは訝しげに私の足下の膨らみを見ていた。

 馬車が出発すると、マリーはコホンと咳払いをし、何か思い出したかと尋ねた。

 そういう言い訳をつけて出かけて来たのを思い出し、首を横に振る。

「残念ながら…まったく」

「そうですか。その足下にあるのは…?何か…買われたのですか?」

 ちょっと…と言葉を濁す私に、支払いはどうしたのかと尋ねる。

「ちゃんと払いました」

「奥様が…自らお支払いに?」

 頷く私を、マリーは信じられないと言いたげに凝視した。

 エレノアもそんなこと言ってたな。

 侯爵夫人というのは自分でお金を払わないものなのか。そうなのか。

 でも、知らなかったし、内緒で買いたいものだってあるじゃないか。

「一体何を…」

「それより。途中でエレノアに会いました」

 話をごまかす為、エレノアの名前を出して、昼を一緒に食べたのだと話すと、マリーは眉間の皺を深くした。

「どちらで召し上がったのですか?」

「確か…『トランブルの店』って名前でした。シチューが絶品で。あと、臓物パイも…」

「奥様がっ!あのようなっ!庶民の店にっ!?」

 血相を変えて驚くマリーに「美味しかったですよ」と伝えると、目眩がしたように目元を抑えて天を仰いだ。

「記憶をなくすというのは恐ろしいことなのですね…。本来の奥様であれば、決して足を踏み入れたりはしない店です」

「そうなんですか?でも、すごく流行ってて…庶民の皆さんがあんなに美味しいものを食べてるなんて意外でした」

 レイヴンズクロフト家の使用人のご飯はまずい。同じものを食べている私が言うのだから間違いない。

「今朝食べたイザベラのご飯はともかく、使用人の皆さんが食べてるっていうご飯はどうしてあんなに不味いんですか?落ちぶれているとはいえ、侯爵家なんですから…」

 庶民のご飯もまずいのなら仕方ないなと思うけど。

 あれが庶民向けなら、使用人のご飯はもっと美味しくてもいいんじゃないか。

 素朴な疑問を口にする私に、マリーは困ったように眉尻を下げた。

「使用人の食事は質素であるべきというのが、レイヴンズクロフト家の習わしなのです」

「でも、食事って楽しみの一つですし、まずいと働く気を削ぐっていうか…働く人が集まらないんじゃないんですか?」

「集まらない?何を仰ってるんです。私たち使用人は、レイヴンズクロフト家に仕える家柄の生まれですよ」

「そう…なんですか?」

 それも忘れてしまっているのかと、マリーは嘆息した。

「誰もが生まれた家に備わった職に就くのが当たり前ですし、それ以外の選択はあり得ません」

 てことは、他の仕事がしたくても出来ないわけ?

 ご飯まずいからよそで働こうとか。なし?

 本当に?

「じゃ、レイヴンズクロフト家じゃない家で働きたいと思っても出来ないんですか?」

 驚いて尋ねる私に、マリーは重々しく頷く。

 そうか。

 職業選択の自由とか、ここにはないんだな。

 厳しいなあ。

 でも、だとしたらご飯くらい、美味しくしてあげたいなと思ってしまうよ。

 うーん…と腕組みして考え込んでいるうちに、馬車はレイヴンズクロフト家の敷地に入り、しばらくして正面玄関前の車寄席で停まった。


 マリーの視線を避けて荷物を持って馬車を降りた私は、出迎えたトーマスが手伝おうとするのを振り切り、二階へ駆け上がった。

 自分の部屋に入ると、どこに隠そうか室内を見回す。

 居間のキャビネット下に収納出来る場所があり、中にはほとんど物が入っていなかったので、それらを移動させて買って来た食料を詰め込んだ。

 ふふふ。

 これで空腹で死にそうになることはないわ。

 ほくそ笑みながら扉を閉め、ソファに寝転がった。

 はあ。

 疲れたけど、楽しかった。

 出店の並んだ通りはとても賑わっていたし、食べ物ばかりに目が行ったけれど、他にも面白そうな物が売っていた。

 また行きたいなあ。

 そんなことを考えている内に疲れもあって、寝入ってしまっていた。

 奥様…と呼ばれて目を覚ますと、マリーがそばに立っていて、夕食の時間だと伝えて来る。

「…あ…はい」

 あごに垂れていたよだれを拭い、ソファから立ち上がる。

 いつの間にか部屋の中も薄暗くなっていた。

 エレノアとアーサーが帰って来たのか。

 エレノアにはお礼を言わなきゃ。

 そう思ってダイニングルームへ入ると。

「……」

 昨日はエレノアとアーサーの三人でダイニングテーブルを囲んだが、今日は一人増えている。

 並んで座ったエレノアとアーサーの向かい側にいるのは、ふてくされた表情のイザベラだ。

 ああ…うん。ハンガーストライキは終わったんだね。

「……」

 エレノアとアーサーはどこか硬い顔つきをしていて、緊張感が感じられる。イザベラの八つ当たりを恐れていそうだ。

 その場にいたのが二人だけなら、エレノアに「昼間はありがとうね」とか声をかけられたんだけど。

 イザベラのせいで空気がピリピリしていて、余計なことは言えない雰囲気だった。

 マリーが引いてくれた椅子に私が座ると、三人の前に料理が運ばれる。

 私には昨夜と同じく水しかない。

 でも、大丈夫だ。昨日と違って腹ぺこではない。

「では、いただきましょうか」

 機嫌の悪い子供の相手は慣れている。

 これでも三人育てた経験がある。

 余裕のある笑みを浮かべ、短く挨拶すると、事情を知っているエレノアと、昨日の私を見ているアーサーは頷いて食べ始めたが、イザベラは信じられないという表情を浮かべて私を見た。

「お母様…?どうかなされたの?」

 うん。中身違うから。

 …と、素直に話すわけにはいかない。

 笑顔で「どうかって?」と聞き返すと、イザベラは具体的な言葉が出てこなかったようで、押し黙った。

「……」

 渋々といった感じでイザベラはカトラリーを手にして料理に口をつける。

 ハンガーストライキをしていたイザベラはお腹が空いているのか、パクパクと料理を口に入れた。エレノアとアーサーは相変わらずがっついて食べている。

 私は昼にお腹いっぱい食べたので、水でも十分我慢出来た。

 それに部屋に帰れば色々食べられる。

 ワインを買って来たので、サラミをつまみに飲もうかな。

 美味しいかなあ…。

 なんてうっとり想像していると。

「……」

 カタンと音がし、イザベラを見ると、皿の料理を半分くらい残してカトラリーを置いていた。

 え?もうお腹いっぱいなの?

 昨夜から食べてなかったのに?

「もういいんですか?」

「太ると困るから」

 女子っぽい発言に、複雑な気分になる。

 体型を気にするのは分かるけど…ここの家の経済状況を考えると、残すのってかなりの罪な気がする。

 最初からそれを伝えて半分にして貰ったらいいのに。

 残り、食べてあげようか?

 口から出そうになったその言葉を、実際にイザベラに伝えたのはエレノアだった。

「もったいないから私が食べてあげるよ」

「……」

 分かるー。さすがエレノア。グッジョブー。

 なんて、呑気に思う私をよそに、イザベラは眉を顰めて皿に手を伸ばしたエレノアを睨むように見た。

「お姉様はご自分がなんて言われているかご存じなの?」

「……」

 皮肉めいた物言いでイザベラが尋ねると、エレノアは手の動きを止めた。気まずそうな視線を妹に向け、押し黙っている彼女にイザベラは続ける。

「ご存じのはずよね?『侯爵家の猪』なんて、もしも私が言われたとしたら舌を噛んで死ぬわ」

「……」

「お姉様がそんな風だから…」

「いい加減にしなさい!」

 硬い表情で黙るエレノアにイザベラはまだも続けようとしたけれど、私の我慢がすぐに限界を迎えた。

 短気な方じゃないんだけど、こういう容姿をいじるような批判には敏感だ。

 自分が幼い頃から散々いじられた苦い思い出があるからかもしれない。

「…っ」

 恐らく、ベアトリスは大きな声を出したこともなかったんだろう。

 イザベラは私を見て息を呑み、エレノアとアーサーも目を丸くしていた。周囲にいた使用人たちも動きを止め、しんと静まりかえったダイニングルームで、真正面からイザベラを注意する。

「自分が言われたら舌を噛んで死ぬなんていうことを、どうしてエレノアに向かって言うんですか?姉だから許してくれるだろうという甘えを抱いているのなら、たちが悪すぎます。謝りなさい」

「なんで…っ」

「なんでもクソもありません。あなたの発言は相手を傷つけるものでした。謝るべきです」

 きょうだいだろうが親子だろうが、相手の心を不用意に傷つけていいわけがない。

 両角家のルールとして、子供たちにきっちり守らせて来た私としては、当然のことを言ったまでだったのだが。

 イザベラは顔を真っ赤にして怒り、謝らないまま席を立った。

 乱暴な足音を立ててダイニングルームを出て行く姿を、マリーは心配そうに見て「奥様」と声をかけて来たが、イザベラを追いかけるつもりはなかったので、首を軽く振っておいた。

 イザベラに扱いにくいところがあるのは確かで、ベアトリスはご機嫌取りをしていたのかもしれないけど、私はベアトリスじゃない。

 たぶん、あの子と気が合わないし、無理だよ。

「気にしないで食べなさい」

 それよりも育ち盛りのアーサーが箸を止めてしまっているのが気になり、食べるように勧める。

 イザベラが残した料理はエレノアに食べてくれるかと頼むと、気まずそうな表情で頷いた。

「……」

 エレノアは何か言いたげな顔で私を見たけど、二人じゃないので口に出来ないようだった。

 記憶をなくした話をしたから、イザベラに対する反応がこれまでと違っているのは、そのせいだと分かっているのだろう。

 またエレノアと二人になったら、ベアトリスは姉妹に対してどういう対応を取っていたのか、聞いてみよう。

 マリーには内緒にしてることもあるみたいだし。

 グラスの水を飲んで、色々めんどくさなと心の中で溜め息を吐いた。


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