第11話
その後、様々な出店を見て回り、果物やパン、焼き菓子にドライフルーツ、干し肉やチーズといった加工品など、保存がききそう食料をいっぱい買って回り、ついでにお酒も買い込んだ。
そうこうしている内に、教会の鐘の音が聞こえて来る。
両手が限界を迎えていたところだ。
ちょうどよかったと思い、マリーとの待ち合わせ場所へ戻ろうと目印に覚えた高い建物…たぶん教会だろう…を目指して歩き始め、間もなくのことだ。
建物と建物に挟まれた石畳を歩いていたところ、脇を通る細い路地から何かが出て来た。猫だ。
おお。ここにも猫がいるんだ。色合いからして茶トラかな。のっそり歩いている猫をよく見たくて、そっと足を速める。
大きな猫だ。オスかな。家猫とかってない気がするから、野良なんだろうけど、たくさん餌を貰ってるんだろう。貫禄ある巨体だ。
うちのおからはどうしているだろう。夫はちゃんとしてるから面倒みてくれているだろうけど。会いたいな。
この子に比べるとおからは随分小さいけど…。
「……」
そう思って、なんだかデジャヴを覚えた。
前にも茶トラの大きな猫をおからと比べたりしなかったか?
昔の話じゃない。
つい最近…。
怪訝な思いで眉を顰めた時だ。茶トラの猫が私の気配に気づいたのか、立ち止まって振り返った。
「!!」
この猫…あの時の猫じゃないか?
前世…いや、死んでない死んでない、たぶん、死んでないと思いたい…じゃなくて、元の世界で私がひかれるきっかけになった茶トラの猫。
それがどうしてここに?
驚く私に、猫の方も驚いた表情になり、逃げ出す。
「あ…待って!」
これという確信はなかったのだが、本能的にこの猫が何かの鍵だという気がした。
猫に話は聞けないのに、つい、追いかけてしまう。
「ちょっと…待ってよ!」
更に言えば、猫だから追いかければ逃げるし、自分の両手には重い荷物がある。
そして、身体はベアトリス。
ティーカップ以上の重いものなんて、持ったことがないんじゃないかなってくらい、貧弱な腕だ。
ヒイヒイ言いながら、猫を追いかけて何度も四つ辻を曲がる。猫は太っているせいかとさほど逃げ足が早くないのだが、止まることはなく、すたすたと逃げて行く。
それを懸命に追いかけていたところ。
「あれ?」
いつしか人気もない路地に迷い込んでしまっていた。
猫も見失っていて、失敗したなと息を吐く。無駄な労力を使ってしまった。しっかり確認は出来なかったが、あの時の猫と同じ猫だったんだろうか。
もやもやしながらも、マリーが待っているのを思い出し、再び馬車置き場へ向かおうとした…のだが。
「……」
目印にしていた高い建物が見えなくなってしまっている。細い路地の先は行き止まりのようで、とても寂しい感じだ。
なんか厭な感じもする。とにかく、ここから抜けよう。
そう思って、振り返ったところ。
「……!」
いつの間にか、路地の入り口付近に三人の男が立っていた。
明らかに身なりが悪く、ついでに人相も目つきも悪い男たちだ。酔っているのか、顔が赤い。
まずい。
逃げよう…と思っても反対側は行き止まりだ。男たちの方に行くしかないんだけど。
これ、通してくれないよね?
顔を青くした私の横を、男たちの一人が通り過ぎ、背後へ回り込む。前後を囲まれ逃げ場がなくなった私を、男たちはにやついた顔で見た。
待って待って。
何これ。
もしや…追い剥ぎ的な?
いやいやいや。
「な…なんですか?」
緊張で掠れた声で尋ねると、前に立つ男の片方がにやりと笑う。
「いいところの奥様がやけに大きな荷物を持ってるじゃねえか」
顔は隠しているので私がベアトリスだと分かっているわけではないはずだ。
エレノアたちにも注意されたように、着ているドレスが高級品なので目をつけられたのだろう。
しまった。
どうしよう。
焦る私を、男は値踏みするような目で見て尋ねる。
「お供も連れずになんでこんなところにいるんだ?」
「これから待ち合わせ場所へ行くんです」
そっちこそ何の用だと聞こうとしてやめる。
どう考えてもいい内容だとは思えない。
とにかく逃げよう。
そう思って足早に男たちの横を通り抜けようとした私の腕を、男の一人が「待てよ」と言いながら掴んだ。
「っ」
私…といっても、ほっそいベアトリスの身体だ。腕も細くて、男に掴まれるとすぐにバランスを崩してしまった。
ただでさえ、ギリギリだった。
笑子のつもりで「これくらい持てる」と判断した量は、ベアトリスの身体では無理があり、ひーはーで運んでいた上に、猫を追いかけて走った後だ。
ぐらりと身体が揺れ、荷物を取り落とした上に、地面に倒れ込もうとした瞬間。
「…っ…」
どこからともなく伸びて来た腕にウエストの辺りを支えられ、顔面からスライディングすることは避けられた。
「このような高貴なご婦人に悪さを働くのはよくないな」
「……」
頭の上で渋みのあるいい声が響く。身体を前へ折り曲げるようにして寄りかかっていた腕の持ち主…助けてくれた相手の声らしい。
誰だと思って顔を上げると、甘い感じの顔をした男前がいた。イケメンっていうより、男前って言葉が似合いそうな一昔前風のバタ臭さがある。
年の頃は三十代半ばから後半くらい。短く整えた黒髪に深緑色の瞳。
きちんとした身なりだけど、ガレスみたいな逞しさはない。
この男前が助けてくれたのか…?
見れば、私の腕を掴んだ男は、その手を押さえて顰め面をしていた。
どうも私が見えていなかったところで、男前は男の手を攻撃して私の腕を放させたらしい。
男前は私に「大丈夫ですか?」と尋ねた。
「あ、はい」
ありがとうございます…と礼を言う私を見た男前は一瞬動きを止めた。まじまじと見て来るものだから、もしやと冷や汗が出る。
この男前は…私がベアトリスだと知っているのだろうか?
それで、じっと見てきてるとか…。
厭な予感を抱いていると、男たちが大声を上げる。
「なんだ、てめえ!」
「邪魔するな!」
「痛い目に遭いたいのか!」
お決まりの文句を吐く三人組に、男前は呆れた表情を向けて肩を竦めた。
「悪事を働くなら相手をよく見てからにしろと言ってるんだ。分からないか?このドレスはミレヴァ産の織物で作られているぞ。北の辺境においてこんな貴重な織物で仕立てたドレスを着ているのは侯爵家かそれに準ずる家柄のご婦人だ」
ギクッ。
ドレスが高級だというのは分かっていたけど、それが侯爵家に繋がるとは思っていなかった。
でも、レイヴンズクロフト家の名を出さない男前は、私がベアトリスだと分かったわけではないらしい。
安堵しつつも、正体がばれるのはまずいので、ショールを巻き付けた顔を俯かせる。
「そんなご婦人に狼藉を働いてみろ。後から困るのは自分たちだぞ」
男前に指摘された三人組は、思い当たる節があったようで、押し黙る。それから互いの顔を見やり、派手な舌打ちを残して立ち去った。
逃げるようにして駆けて行った男たちを確認してから、男前は私に向き直る。
「お怪我はありませんか?」
「は…はい。ありがとうございました」
助けてくれた男前には感謝していたが、警戒もしていたので、俯いたまま礼を言った。
このドレスが高級だと知っていた男前は、それなりの知識がある…つまり、男前自身も貴族なのかもしれない。それに、今は気づいてなくても、ベアトリスと顔見知りだとしたら、気づかれる可能性がある。
本来のベアトリスがいるはずのない場所だ。
絶対にバレてはいけないと思い、口早に話をまとめる。
「おかげさまで助かりました。では」
失礼します…と言い、落ちていたにも荷物を拾い上げて、来た道を歩き始める。
「待って下さい」
背後から男前が引き留める声も無視して、足を速めようとすると、行く手に違う男の姿が現れた。
男前よりも背が高く、腰に剣を差している。
甘いマスクの男前とは違い、こちらはキリリとした顔付きだ。長い銀色の髪を後ろで括り、鼻の下と顎に髭を蓄えている。落ち着いて見えるが、男前と同じ年頃に思えた。
「ユリシーズ様。何してるんですか?」
男は私の背後にいる男前の連れのようで、その名を呼んで尋ねる。
ユリシーズというのが男前の名前らしい。ユリシーズは現れた男を「スレイン」と呼び返した。
「そのご婦人の荷物を持ってあげてくれ」
「……」
スレインという男は、それで初めて気づいたというように私を見た。興味なさげな目つきで一瞥し、無言のまま、両手に提げていた荷物を取り上げようとするので、慌てて拒否する。
「結構です。一人で持てますから」
「待ち合わせ場所へ行くと仰っていたでしょう。そこまでお送りします」
聞いていたのか。
大丈夫です…と繰り返したが、スレインは強引に私から荷物を奪った。
ああ。私の食料!
「どちらで待ち合わせしているのですか?」
「…馬車を停めているところです」
スレインから荷物を取り返すのは無理っぽかったので、聞いて来たユリシーズに仕方なく答えた。
実のところ、目印にしていた建物を見失ってしまっていたので、ユリシーズという案内を得たのはありがかったのだけど、正体がばれないように気をつけなきゃいけない。
「ではあちらですね」
そう言って歩き始めるユリシーズの斜め後ろを、更に顔を反対側に背けながら歩く。スレインは私たちの後ろを黙って着いて来ていた。
想像するに、スレインはユリシーズの部下なのだろう。ユリシーズを「様」付けで呼び、帯刀してるところを見ると、護衛っぽい。
だとすれば、やはりユリシーズはそれなりの身分…貴族なのではないか。
まずい。
今のところ、バレてる様子はないけど、まずい。
ひたすら無言で歩いていると、ユリシーズが聞いてくる。
「どうしてあのようなところにいたんですか?」
「…道に迷ってしまって」
「お一人でいたのは?」
「ちょっと別行動をしていただけです」
声でバレる可能性もあるので、調子を変えた小声で答える。
それから間もなくして、見覚えのある通りに出た。高級店が並ぶあの通りだ!
真っ直ぐ行けば馬車置き場があるはずで、マリーもそこで待っている。
ユリシーズをマリーに会わせるわけにはいかなかった。マリー伝いで私がベアトリスだと分かってしまうのは避けたい。
「ありがとうございました。ここで大丈夫です」
「ですが…」
「あと少しですから一人で行けます」
強い決意を込めた感じで言い切り、スレインが持っていた荷物を渡して貰う。ユリシーズに頭を下げ、「ありがとうございました」ともう一度礼を言って、小走りで馬車置き場を目指した。
間もなくして、マリーの姿が見えた。戻ってこない私を心配していたのか、大きく手を振る。
「……」
マリーがいたのをまずく思って背後を振り返ってみると、ユリシーズとスレインの姿は消えていた。見られなかったようなのにほっとし、マリーの元へ向かう足を速めた。
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