第8話
お腹の音を聞いたマリーは呆れた溜め息を漏らし、私をダイニングルームへ案内して、調理場へ向かった。
座って待っていると、間もなくして長盆を掲げ持って戻って来た。
「おお!」
長盆にはお茶の用意と皿があり、その上にはスコーンと蜂蜜がかかったクリーム、チーズにりんごの砂糖煮が載っていた。
自分の前に置かれた皿を見て感動する。
何これ。
めちゃめちゃ豪華じゃない?
朝食は豪華なの?
「イザベラ様の朝食です。食べないと仰っておられますので、どうぞ」
あの子…まだ拗ねてるのか。
まあ、いいや。おかげでまともな食事にありつけた。
「ありがとう!頂きます!」
心底嬉しくて、マリーにお礼を言ってスコーンを掴む。半分に割って、クリームを塗って食べる。
美味しい。
濃厚なクリームと蜂蜜がたまらない。
カピカピサンドウィッチうっすいスープ岩パンとは天と地の差だ。
あいつら、こんな美味しいもの、食べてるのか。
貴族か!
貴族だったわ!
外はさくっと、中はふわっとスコーンの焼き加減も素晴らしい。
食堂で会ったサイモンが作ってるのかな。天才だな。イギリス展とかで長蛇の列が出来るレベルだよ。これ。
うちの夫も絶対好きだ。スコーンとかベーグルとか、そういうの大好きだから。
「……」
どうしてるかなあ…。まあ、基本的には自分で何でも出来る人なんだけど。
しみじみしながらスコーンを食べる私に、マリーは紅茶を入れてくれながら、「奥様」と神妙な調子で呼びかけた。
「これも覚えていらっしゃらないのかもしれませんが、奥様が自分はお腹が空かないから、昼食だけでいい…それも私たちと同じものでいいと仰っていたのは、やはり私たちを気遣ってのことだったのですね」
「……」
え?そうなの?
いや。ベアトリス、お腹空くんだけど。
中身が笑子だからかな。
でも、私の行動はベアトリスの我慢を台無しにしてるよな。
「…分からないんですけど、記憶をなくしてから…やたらお腹が空くようになってしまって。ごめんなさい…」
「謝ることはありません。これからはエレノア様たちと同じ食事をお出しするようにしますので…」
「そこまでしなくていいです!」
そんなことしたら、ベアトリスのこれまでの気遣いが本当に無駄になってしまう。
慌ててマリーを止めたものの、腹が減るのは事実だ。さすがに昼食だけというのは厳しいので、使用人たちと同じでいいから、三食食べさせてくれないかと頼んだ。
マリーは複雑そうな表情を浮かべたが、頷いて了承してくれる。
スコーンのもう半分にはチーズとりんごの砂糖煮を載せて食べてみる。これも美味い。
紅茶も美味しいし。
しあわせ~とうっとりする。
中でもクリームにかかっていた蜂蜜が絶品だったのと、昨夜の蜂蜜酒を思い出し、もしや名産品なのかと聞いてみた。
「ええ。北方では様々な種類の多くの花が咲きますから。レイヴンズクロフト家の敷地内でも養蜂をしておりまして、大変良質な蜂蜜がふんだんに取れるのです。王室にも献上しておりますよ」
「敷地内でって…てことは、買ってるわけじゃないんですか?」
「そうですね。今は主にジャックがテオドア様と…」
「テオドアって長男の?」
まさか、そこで長男の名前が出て来るとは思ってなくて驚く。
そうだった。
昨夜、テオドアとベアトリスの仲がどうして悪いのか、聞こうと思って忘れていた。
「テオドアと折り合いが悪いような話をしてましたけど…」
なんで?と目顔で尋ねる私に、マリーは躊躇いがちに話した。
「そもそもテオドア様はベアトリス様のお子様ではないのです」
「ええと…?」
「テオドア様は先妻のお子様で、ベアトリス様はテオドア様が五歳の時にナザニエル様と結婚されました。その後エレノア様たち四人のお子様をお生みになられ、テオドア様のことも我が子同然に育ててこられたのですが、レイヴンズクロフト家の後継者として相応しい振る舞いを求められるベアトリス様と、ご自分の好きなことをされたいテオドア様との間には、次第に溝が生じるようになったのでございます」
そっかあ。
しかし、ベアトリスは苦労してるよねえ。
「じゃ、テオドアのやりたいことって養蜂なんですか?」
「……」
侯爵家の後継者に見合う仕事ではないように思える。だからこそ、ベアトリスも苦言を呈していたのかと考えて尋ねてみると、マリーはさっと表情を硬くした。
なんだ?
不思議に思う私の前で、わざとらしい咳払いをする。
「いえ…、養蜂だけでなく、様々なことをなさっているようです。テオドア様は本館からかなり離れた…レイヴンズクロフト家の敷地の端にお住まいですので、私もよくは知らないのです」
顔も随分見ていないから本当に分からないと、マリーはなんだか、聞かれたくないような様子を醸し出して言う。
けど、離れていると言っても、敷地内だからそこまでの距離はないはずだ。
この後、予定がないなら会いに行ってみようかな。
何より、養蜂っていうのに興味がある。
あんなに美味しい蜂蜜が取れるなら、とびきり美味しい蜂蜜酒だって作れるんじゃないかな。
邪な思いでもって、テオドアの住んでいる場所を教えてくれと言うと、マリーは顔を顰めた。
「屋敷の裏の道を真っ直ぐ東に行ったところにある別棟にお住まいですが、歩かれると半日かかりますよ」
「半日!?」
そんなに遠いの?
敷地内なのに?
「レイヴンズクロフト家の敷地内にはキジ狩り場もございますし、森も丘も湖もございますので」
ええ~。
そんなの村みたいなもんじゃん。
養蜂見学に踊った心は、半日歩くと聞いてすぐに折れた。
うう。
自転車があればな。
ママチャリ求む。
とりあえず、お腹がこなれたのに満足し、二階の部屋へ戻ろうとしたところ、「奥様」とマリーに呼びかけられた。
「イザベラ様をどうなさいますか?」
「……」
ああ…うん。ハンガーストライキ中だったね。
でも、たぶん、本当にお腹が空いたら出てくると思うし。
「しばらくそっとしておきましょう」
ほっとけば?と言うと冷たい感じがするけど、そっとしておくって言えば、ベアトリスっぽい。
マリーも分かっているのか、「承知しました」と答える。
「ところで、アーサーは学校に行ったんでしょうけど、エレノアは?」
「お勤めに出かけられました」
エレノアは働いてるんだ。偉いな。何してるのかと聞けば。
「国境警備隊に配属される新兵の指導にあたられております」
そうなんだ。やっぱり武術の達人とかなんだろう。
そりゃ、帰って来たらお腹減るよね。
「エレノアは何歳なんですか?」
「二十二歳になられます」
「私は?」
「四十二歳です」
そっか。若くはないけど、五十二歳笑子よりは若い。
それにベアトリスはとても四十二歳、四人産んだお母さんには見えない。
細いし、綺麗だ。
エレノアとも姉妹で通るんじゃないかって感じだ。
ふうん…と考えて、はっとした。
「……」
てことは。
ここには使用人がたくさんいるから、私が家事をする必要はない。
子供の世話もない。
仕事もない。
ベアトリス、やることないんじゃない?
おお!
これで好きな時に好きなものが食べられて、ネトフリとかあったら最高なのに。
ネトフリはともかく、食事が貧相なのが困るな。
今朝はイザベラがハンガーストライキしてくれてるおかげで、美味しいものが食べられたけど、昼からは使用人と同じだからパサパササンドウィッチだ。
贅沢言っちゃいけないと分かっていても、空腹は悲しい。
せめて何か買いに行けたら…。
「……」
コンビニを思い浮かべて、懐かしさに涙が出そうになったが、ここにだって商店があるはずだ。
問題は金…。
「……」
金はある。
あるぞ。
ベアトリスがお腹に隠してたアレを箪笥の引き出しの裏に隠したじゃないか。
たぶん、イザベラに渡すつもりだったんだろうけど、悪い男に渡るくらいなら、私の食費として使った方がいい。
よし。
買い出しに行こう!
「ちょっと町まで出かけたいんですが、歩いて行けますか?」
「歩くと三時間ほどかかりますが、何をしに?」
何も覚えてないのでは?と顔に書いてあるマリーに、言い訳として現場に戻ってみれば何か思い出すかもしれないと伝えた。
「昨日と同じような行動をしてみたら…もしかしたら思い出すかなとか」
「そうですね…」
マリーは私の案に納得してくれて、馬車を用意すると言ってくれる。
町では何かしら食べるものを売っているはずだ。ふふふ。日持ちがしそうなものを色々買い込んで部屋に蓄えておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます