第28章:断罪のステージ

 文化祭開会式。

 体育館は、これから始まる祭典への期待と熱気で、むせ返るようだった。

 俺は、体育館の二階、放送室の、分厚いガラス窓に額を押し付け、ステージの上を、睨みつけていた。


 ステージの中央には、スポットライトを浴びて、生徒会長・氷室雅人が立っている。

 その姿は、どこからどう見ても、完璧な王様だ。

 自信に満ちた、涼やかな笑み。生徒たちの羨望と尊敬を、まるで当然のように一身に浴びている。


 そして、その半歩後ろ。

 そこには、俺の、女王様がいた。

 

 白鳥美月さん。

 

 彼女は、まるで精巧に作られた、魂のない硝子の人形のように、ただ、静かに、そこに立っている。

 その顔は、完璧な能面。何の感情も映さない、氷のような無表情。

 

 美しい。息を呑むほどに。

 だが、その瞳には、光がなかった。


 俺が愛した、あの、悪戯っぽい輝きも、弱い素顔も、何もない。

 ただ、深い、深い、絶望の闇だけが、広がっていた。


「――そして、僕の隣にいる、白鳥美月さんと共に、この聖桜学園の文化祭を、史上最高の、素晴らしいものにすることを、ここに誓います」


 氷室が、マイクを通して、朗々と宣言する。

 その、ねっとりとした、「僕の隣にいる」という言葉の響きに、俺の腹の底で、黒い炎が、ゴウッと音を立てて燃え上がった。


 ――今だ。


 俺は、スマホを取り出し、健太に、一言だけ、メッセージを送る。

 

『――やれ』


 その、直後だった。

 体育館の後方で、突如、けたたましいサンバのリズムが鳴り響き、半裸の男たちが、奇声を上げながら踊り始めた!

 

「サンバ! サンバ! 聖桜サンバ!」

「おおおおおお!」


 健太のやつ、やりやがった!

 しかも、想像の斜め上を行く、最高の陽動だ!

 体育館は、一瞬で、大混乱に陥る。教師たちが、慌てて後方へと駆けつけていく。


「――今よ、優人くん!」


 隣で、花音が叫ぶ。

 彼女は、放送委員の権限を使い、すでに、PA卓の準備を終えていた。

 俺は、こくりと頷くと、放送室の、メインマイクの前に、立った。

 心臓が、破裂しそうだ。

 だが、不思議と、恐怖はなかった。


 俺は、マイクのスイッチを入れる。

 そして、目を閉じ、深く、息を吸い込んだ。


「――えー、マイクテスト、マイクテスト。……あー、これは、ある国の、気高くて、少しだけ変わった女王様と、その女王様に仕える、不器用な執事の物語だ」


 俺の、静かな声が、体育館のスピーカーから、クリアに響き渡る。

 突然の乱入者に、ざわめいていた生徒たちが、一瞬にして、静まり返った。

 ステージ上の氷室が、驚愕の表情で、放送室を、睨みつけている。


 俺は、構わず、続ける。

 

「女王様は、誰にも言えない、秘密の『病』を抱えていた。その病は、時に彼女を苦しめ、時に、彼女にしか見えない、美しい世界を見せてくれる、不思議な病だった」


 俺は、語る。

 俺と、美月さんの、物語を。

 誰にも、理解されなくていい。

 これは、俺から、彼女への、たった一つの、メッセージだ。


「女王様の周りの人間は、皆、彼女の『完璧さ』だけを愛し、その病を、忌むべきものとして、隠そうとした。だが、一人の、不器用な執事だけは、違った。彼は、女王様の、その病も、弱さも、全てを知った上で、彼女を、世界で一番、気高く、美しい人だと思っていたんだ」


 ステージの上で、美月さんの肩が、ピクリと震えた。

 その、能面のような顔が、ゆっくりと、こちらを、向く。

 ガラス越しに、俺たちの視線が、確かに、交差した。


「だが、その国には、邪な大臣がいた。彼は、女王の完璧な美貌を、自分のものにしようと企んでいた。彼は、女王の病を盾に、彼女を脅した。『執事を捨て、私の、完璧な人形になれ。さもなくば、お前の病を、国中に言いふらし、お前も、執事も、破滅させてやる』と。女王様は、執事を守るため、心を殺し、氷の仮面を被り、執事に、別れを告げた。『あなたには飽きた』と、心にもない、残酷な嘘をついて……」


 もう、限界だった。

 俺は、マイクに、叫んでいた。

 それは、物語の執事のセリフであり、俺自身の、魂の叫びだった。


「――執事は、女王様の病も、弱さも、全部知っていた! その上で、世界で一番、気高く、美しい人だと思っていた! だから、教えてくれ、女王様! あなたを苦しめる、その仮面を、今、俺が、この手で、壊していいか!」


 その、俺の叫びが、体育館に、こだまする。


 次の瞬間。

 

 美月さんの、氷の仮面が、音を立てて、砕け散った。

 その、美しい瞳から、大粒の涙が、滝のように、溢れ出す。


 彼女は、よろめきながら、マイクスタンドへと駆け寄ると、唖然とする氷室の手から、マイクを、ひったくった。


 そして、涙と、嗚咽に、声を震わせながら、しかし、体育館の、全ての人間が、聞き取れる、凛とした声で、答えた。


「――ええ」


 その顔は、俺が、今まで見た、どんな彼女よりも、ぐちゃぐちゃで、みっともなくて、そして――。


「私の、たった一人の、執事くん……!」


 ――世界で一番、美しかった。


 体育館が、どよめきと、歓声に、包まれる。

 生徒たちは、何が起こったのか、完全には理解できない。

 だが、氷室が悪役で、俺と美月さんが、本当は、想い合っているのだということだけは、はっきりと、理解した。


 ステージの上、たった一人、取り残された氷室雅人。

 その顔は、信じられないものを見たかのように、驚愕と、屈辱に、歪みきっていた。

 彼の、完璧な世界が、今、この瞬間、全校生徒の前で、完全に、崩壊したのだ。

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