第4話 冬の約束
一月――空から音もなく、雪が降っていた。
町は静かで、白に染まっていた。
あの丘へと続く道も、誰の足跡もないまま、新雪に覆われている。
榊原悠真は、ゆっくりと雪を踏みしめながら歩いていた。
寒さで頬が痛いほどだったが、それでも足は止まらなかった。
約束だったから。
秋に沙月が言った、あの言葉が心にずっと残っていた。
「冬に、もう一度だけ会えるといいな」
それが“最後”という意味に聞こえたのは、きっと思い過ごしではなかった。
丘に着くと、世界はまるで絵のようだった。
白一色の中に、あの桜の木だけが黒く、静かに立っている。
そしてその下に、ひとりの少女がいた。
「来てくれたんだね」
白いマフラーにくるまり、少し咳き込みながら、沙月は立っていた。
その姿は、秋に見たときよりもずっと小さくなっているように見えた。
肩も細く、顔色も悪い。けれど、その目だけは、まっすぐ悠真を見ていた。
「少し痩せた?無理……してない?」
「ううん、今日は本当に最後のチャンスだったの。明日にはまた治療が始まるから……しばらく、外に出られなくなるの」
「……だったら、今日はずっとここにいよう」
「うん」
ふたりは桜の木の下に並んで立ち、ゆっくりと雪の降る空を見上げた。
「ねえ、悠真くん」
「うん?」
「春になったら、もう一度ここで会おう。桜が咲いたら……また、花火の代わりに、咲いた空を一緒に見よう」
「……うん、絶対に来る」
「もし私が来なかったら、そのときは……桜に話しかけてね。私、ちゃんと聞いてるから」
「そんな言い方……しないでよ」
「ごめん。でもね、もし本当に……叶わなかったら、代わりに咲く花があるんだって、教えてくれたの。桜ってね、来られなかった誰かの気持ちまで、咲かせてくれるんだって」
「……やめてって言ってる」
悠真の声が少し震えた。
寒さのせいじゃない。どうしても、“今”を手放したくなかった。
「……じゃあ、約束して。春、絶対ここで会おうって。今度は“もう一度だけ”じゃなくて、ずっと会いに来るって」
沙月は、そっと手を伸ばした。
白く冷たい指先が、悠真の手を包んだ。
「――約束、ね」
雪が降り積もる音だけが、世界を包んでいた。
悠真は、その手を強く握り返した。
もう何も言えなかった。ただその温もりが、どうかずっと消えませんようにと、願っていた。
そしてその日――
沙月は、ふとした笑顔を残して、帰っていった。
それが、本当に最後の姿になるとは、
あのときの悠真には、まだ知らされていなかった。
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