第3話 信仰爆誕、神毛伝説

断髪式の翌朝、畑の空気は妙に神聖だった。


朝靄の中、村人たちが黙々と地面を見つめている。視線の先には、昨日アルマの頭から切り落とされた髪――通称「元魔王の聖毛」が、風に揺られていた。


「……あった! これ、神毛よ!」


老婆がひと房をつまみ上げ、そっと懐から取り出したハンカチの上に乗せる。そのまま、自宅の小さな神棚へと持ち帰っていった。


「野菜の前に供えたら、ご利益すごかったんだってさ」

「うちのカブ、昨日よりツヤが出てた」

「わたし、これを編んでストラップにする予定」


静かに、しかし確実に“信仰”が芽吹いていた。


農民たちは畑に跪き、光を帯びたキュウリに手を合わせる。

「神の土……神の恵み……」と呟きながら、真剣な表情で土を袋に詰めはじめた。すでに“神土”と名付けられたその土は、収穫祈願の撒き土として人気急上昇中である。


一方、村の子どもたちは「元魔王の毛を拾って帰ると百点が取れる」という謎迷信を全力で信じていた。

朝から走り回っては髪を見つけ、「これで算術満点だー!」と叫んでいたが、勉強はしていない。


その日、アルマが門を開けて外に出た瞬間、村人たちは一斉に頭を下げた。


「ありがたや……」「今日も髪に神気が宿っておられる……」


家の前には、いつの間にか参拝の列ができていた。


「…………」


アルマ・フェルグリード。かつて制度に選ばれ、“魔王”と呼ばれた男。

今はただ、土と向き合って暮らしたいだけの畑の管理人である。


そんな彼が今──門の前で、無言の信仰に晒されていた。


「なんでこうなる……?」


そう呟いて、ゆっくりと門を閉めた。




翌日、アルマはそっと扉を開け、顔だけを外に出した。


──今日も、いた。


「ありがたや……」「昨日より髪の艶が増している……」


門の前には、朝から村人たちが並び、手を合わせて拝んでいる。

昨日まではただの畑の管理人だったのに、今では完全に“信仰対象”だ。


「…………」


そっ、と扉を閉めた。


「無理だ……」


観念して、アルマは家の奥、光るハサミが置かれた棚を睨みつける。


──レインのやつ、今日は来ていない。


隣町に住んでいるレインは、普段は気まぐれに顔を出す程度で、今日はその「顔を出さない日」だった。


「こんなときに限って……」


棚の上に残されたメモには、「しばらく鍛冶屋戻るー 神毛ハサミは返却不要♡」の文字。


「ふざけてんのか……」


静かに頭を抱える。

参拝列はますます長くなり、どこからか太鼓の音まで聞こえはじめる。


「……俺、なんで魔王辞めたんだっけ……?」


問いかけに答える者はいない。




──その日の夕方。

アルマは全身をマントですっぽり覆い、村の裏手の森を抜けていた。


「よりによって、俺の髪で信仰騒ぎって……もう笑えない……」


帽子を深く被り、サングラス(※レインの忘れ物)で完全武装。

まるで指名手配犯の逃亡劇。いや、むしろ指名“拝”犯。


村の正面から出れば、必ず拝まれる。

だからこうして裏山をぐるっと回って、誰にも見つからずに隣町へ向かっていた。


途中、畑で作業していた村人が何かに気づいて小さく叫んだ。


「あれ……今、木陰に“神毛様”らしき影が──」


アルマは全力でダッシュした。


「やめろ……“様”で呼ばれるほどの毛じゃねえ……!」


小一時間後。隣町。

レインの鍛冶屋兼なんでも屋に、全身草まみれのアルマが現れた。


「おー、珍しくこっちに来たじゃん。どうしたの? 神毛様」


出迎えたレインが笑いながらハンマーを片手に振る。

その一言で、アルマの疲労ゲージは限界突破した。


「お前のせいだあああああああ!!」


怒鳴り声とともに鍛冶屋の戸がガーンと閉まり、棚のフライパンがカンと跳ねた。


「俺のせい? なんで?」


レインは鉄を打つ手を止めず、ハンマー片手に涼しい顔をしている。


「昨日、長老がこっちまで干し柿配りながら“ありがたい毛のお話”して回ってた。俺も無理やり拝まれたぞ?」


「……あの人、広報力だけは異常だな……」


「しかも俺、“神毛ハサミの創造主”って紹介されてたからな? 今日、ギルドの掲示板に名刺案まで貼られそうになってたぞ?」


「お前が棚に置いてったメモ──《返却不要♡》って書いてたやつ、あれが始まりだろ!!」


「いやー、まさかあんな光るとは思わなかったし?」


「一瞬な!!! ほんの一瞬だ!!」


レインは肩をすくめてハンマーを置き、軽く息をつく。


「……まあ、やらかしたのは認める。ちょっとずつ静かに戻せるようにはしてみるよ」


「してみる、じゃねえ。責任取れ。今、俺の髪が信仰アイテム扱いされてんだぞ!!」


「大丈夫大丈夫、そのうち収まるって。毛だけに、抜け毛のように……」


「ふざけてんのか!!!!」


それでもアルマは、少しだけ肩の力を抜いた。


やっぱり、この男は信用ならない。だが、だからこそ何かしらやってくれる気もしてしまうのが腹立たしい。


──その帰り道。


アルマは再び帽子を深く被り、裏道を通って帰路についた。


村のほうからは、またしても太鼓の音。

──ドン、ドドン、ドン。


「……どこまで育つんだよ、“神毛信仰”……」


声に出すと、胃がしくしく痛んだ。

ああ、これ絶対また悪化してる。

帰ったらキャベツを煮よう。優しく、静かに、誰にも拝まれずに──。


空を見上げる。

かすかに光る月と、

その向こうにあるはずの、静かで誰にも干渉されない“平穏な明日”を探して。


「……俺、ほんとに畑がしたかっただけなんだよ……」


願いは今日も、風に流された。

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退職した勇者と魔王が、田舎でひっそり暮らしてます 朝比奈ゆいか @yuika_asahina

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