退職した勇者と魔王が、田舎でひっそり暮らしてます

朝比奈ゆいか

第1話 引っ越し祝いは、光属性

山あいの小さな村に、ひときわ大きなクワを振るう男がいた。


肩まで伸びた黒髪をひとつにまとめ、軽い作業着を無造作に羽織っている。見た目は若いが、背に漂う魔力の濃度は異常で、通りすがりの老人が「うっかり吸い込むと転生するぞ」と子どもを止めるほどだった。


彼の名はアルマ。

かつて「第六代魔王」として制度に任命され、何度も“公式戦”をこなしてきた元・世界の脅威である。


とはいえ、本人は自分が“魔王だった”という自覚がほとんどない。

あれは職業。システム。仕事の一環であり、心情的には「広報部の着ぐるみ要員」とさして変わらない扱いだった。


「うーん、この畝、もうちょっと北寄りにした方が日当たり良さそうだな……」


独りごちながら、地図魔法で地形を確認し、魔力の余韻でふんわりと土を均す。

指先ひとつで山を吹き飛ばせる力を、彼はせっせとサツマイモのために使っていた。


村人は最初こそ警戒したが、柵の強化や熊よけの結界、さらに迷子の子牛を5秒で回収してくる姿を見て、「ああ、魔力が強いだけの真面目な若者だ」と評価を改めた。




そんなある日の昼前。


「アルマぁー、客だぞォ~~!」


のんびりした声が、隣の畑から響く。

声の主は村の長老……という名の元薬師で、毎日“昼の干し柿”と一緒に「妙に効きそうな粉」を持ってくるのが日課のじいちゃんだ。


「客? こんな山奥に誰が……」


クワを担いで振り返ると、坂の上から、見覚えのある銀髪の男が歩いてくる。

白と金の装束をざっくり羽織り、背にはどこか神聖な雰囲気をまとった木箱を担いでいた。


「……なんでお前がここにいる、レイン」


「引っ越したって聞いたからな。祝い持って来た。友情ってやつだよ、友情」


軽く手を挙げて笑ったその男は、かつて“第六代勇者”と呼ばれ、アルマと幾度も舞台上で剣を交わし――

舞台袖では焼き鳥とビールを分け合っていた旧知の友(?)だった。


仲がいい、と言うのはちょっと違う。

敵だったわけでもなく、もちろん味方だったわけでもない。

ただ、「制度に付き合わされた仕事仲間」という、なんとも説明しがたい関係性だけが、今も続いている。


「で、これ。祝い」


レインが持っていた木箱を、ずしりと差し出してくる。

開けてみると、中には焼き立てのパンと、丁寧に包まれた木製の鍬のセット。


「旅館で出してる朝食用のパンな。うちのオカンの自信作。あと、鍬は俺が鍛えたやつ。軽いけど折れないぞ。光属性をこっそり混ぜてある」


「……また無駄に祝福されてんなあ、これ」


「魔王の畑に悪霊とか虫が出たら困るだろ? ちゃんと農具もオーダー受けるぞ。武器職人が本業なんでね、一応」


にやっと笑って指を鳴らすと、レインの足元に、小さな火花が散った。


「旅館手伝いながら鍛冶屋って、どんだけ器用なんだよ……。パン焼いて武器打って客室掃除?」


「全部できる人材って、今は貴重なんだよ。あと、お前ももうちょっと身なり気をつけろ。ほら、髪」


レインが指先でアルマの髪をひょいとつまむ。


「伸びすぎ。そのうち地面に届くぞ。切ってやろうか? ついでに聖属性でツヤ出しもサービス」


「やめろ。野菜に聖光が当たって育成過剰になるだろ」


「ツヤのあるナス、いいじゃん。市場価値あるって」


しょうもない冗談を交わしながらも、レインの手つきは、鍛冶師としての経験を感じさせる確かさだった。

そしてアルマは、そんなレインの手元をじっと見つめながら、かすかに笑った。


「……ありがとな。鍬、大事に使うよ」


「よろしい。あと、また鍬かハサミ壊したら連絡しろ。ついでに鍋も作ってやるから」


「お前、俺の生活圏を武器屋で包囲するつもりか」


「世界征服って、そういう形もあるんだぜ?」


二人は、くだらない会話を続けながら、木箱を運んでいく。

そこには、かつて勇者と魔王だった者たちの威厳など一切ない。

あるのは、ただの田舎の若者同士の、飾らないやり取りだけだった。

昼下がりの畑に、パンと干し柿の香りが混ざる。


「で、最近はどうなのよ、畑の方は。豊作?」


「んー、ジャガイモがでかすぎて村の子どもが“動く石”って泣いた」


「それたぶん、地面から飛び出す時に脚生えてなかったか? “バゴンッ”って音、出たろ?」


「出た。あとちょっと跳ねた」


鍬とパンと干し柿を並べて食べるという不可思議な昼食のさなか、二人は元・世界の脅威らしからぬ話題をぽつぽつと続けていた。

と、そのとき――。


「アルマちゃーん! 今日のキュウリ、天に向かって“フォーウ”って叫んだのよ!」


畑の向こうから、元気すぎるおばあちゃんが鍬を振りながらやってきた。


「……まさか、勇者のパンケーキ箱の上で種まきした?」


「した! あれ、なんか良さそうだったし」


「そりゃ聖属性入りだよ。キュウリも気合い入るわけだ」


レインが笑いながら、手を振った。


「おばあちゃん、畑で“フォーウ”は禁止でお願いしまーす」


「はいよ~。あんたら、仲いいわねぇ。まるで――」


「戦友みたいなもんですよ。命を懸けて、野菜を育てる側と刈り取る側として」


「…それ戦ってないわね」


そう突っ込まれて、二人してパンの耳を噛みながら黙る。

なんだかんだで、今日も村は平和だった。


昼食も片付いて、レインが帰り支度を始める。


「じゃあ、また来るわ。鍬の点検がてら。ついでに旅館の広告でも貼っとくか?」


「やめろ。野菜と一緒にチラシ育ったらどうすんだよ」


「いや、それ“広告農法”って新しい流通ルートかも」


「そんな経済革命いらん……」


くだらない会話を最後まで続けたあと、レインは軽く手を振って帰っていった。

振り返ることもなく、けれど声は届く。


「次来たときは髪切るから、覚悟しとけよー! 鎌で!」


「それもう収穫だろ! 俺、野菜かよ!」


こうして、元勇者と元魔王は、今日も世界を救わないまま、穏やかな日々を続けていた。

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