6.国語教師の話

 一九九〇年代、ノストラダムスの大予言というものが流行ったことがある。

 いわゆる終末論。一九九九年七の月、空から恐怖の大王がやってきて、アンゴルモアの大王を蘇らせる。よくわからんが何かしらの破滅的な出来事がおこるだろう、ということだ。

 しかし結局は何も起きず、今に至るわけだが、それでもマヤ暦の云々だとか、終末時計だとか、そういった世界の終末を暗喩するものに皆で振り回されている昨今があるわけだ。


 ところでキリスト教をはじめとしたアブラハムの宗教では、世界は必ず終わることになっている。最後の審判というやつだ。

 特にユダヤ教では審判ののち、神が新しい天地を創造する、とある。

 これはアブラハムの宗教だけでなく、古代のアステカ文明の信仰でも似たようなものがある。世界の終わりとはじまりを繰り返し、そのたびに神々の中から新しい統治者が選ばれる、というやつだ。

 つまりは仏教徒が衆生しゅじょうの輪廻転生を信じるのと同様に、彼らは世界の繰り返しを信じていることになる。


 もしかしたら俺たちの気付かないうちに、世界というものは、終わっていたり、はじまっていたりしているのかもしれないね。


 はい。それじゃあ授業をはじめます。

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