第7話 「妹が俺の熱を測るのに、なぜかおでこをくっつけてきたんだが」

 夜中に喉が渇いて目が覚めた。

 身体が鉛のように重くて、イラつく。回復したと思っていたけど、どうやらまだ熱が残っているらしい。


 ふらりと布団から抜け出し、階段を降りていく。

 廊下を通ってリビングに出ると、まだ電気がついていた。


 テレビの画面が静かに光っている。瑠花がソファに腰掛けて、ニュース番組を見ながら湯気の立つマグカップを両手で抱えていた。


「あ、兄さん。どうしました?」


「ちょっと喉乾いて……おっと」


 身体がふらつき、近くの棚に手を置く。


「だ、大丈夫ですかっ」


「ああ、うん」


 瑠花が小走りで近づいてきた。

 心配そうな目で、じっと俺の顔を覗き込む。


「熱、測ってみましょうか?」


 そう言って、瑠花が俺の額に自分の額をそっとくっつけてきた。

 ゼロ距離。肌と肌が触れる感覚に、一瞬、体が硬直する。


「は? ちょ……」


「少し熱ありそうですね」


 離れた後、瑠花がそんなことを呟く。

 至近距離で見た彼女の睫毛の長さや吐息の温度が、まだ頬のあたりに残っていた。


「な、なんで体温計使わないんだよ」


「おでこで測った方が早いと思って」


「いや、兄妹でやるのはおかしいだろ」


「そうですか?」


 そう言って、瑠花は少しだけ口元をゆるめた。


「兄さんが不服なら体温計で測り直します?」


「いや、いい……」


 今測ったら救急車を検討するくらいの体温が出てきそうだ。


 顔を横に逸らすと、瑠花はクスッと笑った。


「とりあえず、お水飲んでください」


 瑠花がキッチンに向かい、コップに水を注いで戻ってきた。


「ありがとう」


 俺は受け取った水を一気に飲み干す。冷たい水が喉を潤していく。


「そういえば、瑠花はなんで起きてたんだ?」


「あ、えっと……」


 瑠花は慌てたように視線を逸らした。


「実は、なかなか眠れなくて」


「眠れない?」


「はい。なんだか眠れない日が続いてて……」


「何か心配事でもあるのか?」


「そういうわけじゃないんですけど……」


 瑠花は困ったような表情を浮かべた。


「なんだか、色々考えちゃうんです」


「色々って?」


「学校のこととか……考えごとが多くて」


 瑠花は一瞬、俺の方を見てから、すぐに視線を落とした。


「あと、兄さんのこと」


「俺のこと?」


「兄さんは学校で大変そうだから、何かお手伝いできることはないかなって」


 瑠花の優しさが心に染みた。


「ありがと。でも瑠花は瑠花のことを考えてくれ。俺のことは気にすんな」


「気にせずにはいられないです! 兄さんのことを考えないなんて無理ですから」


「なんだよそれ」


「私は兄さんの妹なんですから」


 妹、か。

 確かに瑠花は俺の妹だけど……。


 ふとテレビの深夜のニュース番組の音が耳に入ってくる。


 アナウンサーが世界各地の復興状況を淡々と伝えていた。

 アダムウイルスの流行から三年。世界は少しずつ新しい形に変わりつつある。


「兄さん」


「ん?」


 瑠花はテレビを一瞥して、少しだけ口元を引き結んだ。


「この世界になってから、兄さんは幸せですか?」


 突然の質問に、俺は言葉に詰まった。


「いきなりなんだよ?」


「こんな世界になって、兄さんはモテモテですし」


「モテてるかどうかは微妙だけど」


 瑠花は少し寂しそうな表情を浮かべた。


「私は、兄さんが注目されるのは嬉しいですけど、少し複雑です」


「複雑って?」


「みんなが兄さんのことを特別に思ってるから」


 瑠花の声が小さくなった。


「兄さん……私、実は……」


 一拍の沈黙。けれど瑠花は視線を逸らして、口を噤んだ。


「……いえ、なんでもないです」



 瑠花は慌てたように首を振った。


「そろそろ寝ましょうか。部屋につくまで私の肩でも腕でも掴んでてください」


「そんな、大丈夫だよ」


「大丈夫じゃないです。転んだりしたら大変ですから!」


 瑠花は有無を言わさず俺の腕を取って、階段に向かった。


 瑠花の手の温かさが、腕を通して伝わってくる。

 階段を上がって、俺の部屋の前まで来ると、瑠花は振り返った。


「明日の朝も具合が悪かったら学校お休みしてくださいね」


「わかった」


 瑠花は満足そうに頷いた。


「それじゃあ、おやすみなさい」


「おやすみ、瑠花」


 部屋のドアを閉めて、俺はベッドに横になった。


 瑠花は何を言おうとしていたんだろう。

 考えているうちに、俺はゆっくりと眠りについた。

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