第6話 「体調不良で早退したら、義妹に看病がしてくれた」

 その日は朝から、どうにも体が重かった。

 目を覚ました瞬間から、頭がぼんやりする。熱っぽい感じもあるけれど、休むほどじゃないと判断して、いつも通り制服に袖を通した。


 一時間目の英語は、なんとかやり過ごした。

 二時間目の数学。教科書を開いたまま、黒板の文字がかすんで見えた。背中にじんわりと汗がにじみ、頭の奥で鈍い痛みが広がっていく。


「先生、保健室に行ってきていいですか」


 そう言って手を上げると、教室がざわめいた。


「え、大丈夫?」


「顔、赤いよ……!」


「保健室まで付き添うよ!」


 あちこちから女子の声が飛んでくる。目線が一斉にこちらに集まり、ちょっとした騒ぎになっていた。


「大丈夫。一人で行けるから」


 そう答えて立ち上がろうとしたその時──隣の席の椅子が引かれた音がした。


「わたしも行く」


 隣に立ったのは、若菜だった。


「いや、でも……」


「保健委員だから」


 そう言うと、若菜は先生の方を見た。先生は特に異論もない様子で頷く。


 他の女子たちは、納得したように座り直した。

 若菜は保健委員だし、変な色気も出さないからだろう。


 教室を出て、廊下を並んで歩く。若菜がふと俺の顔を覗き込んだ。


「大丈夫? ふらふらしてない?」


「まあ、ちょっと」


 そう答えると、若菜は少しだけ眉をひそめた。


「今日のレン、朝からちょっと変だった。いつもならホームルームのとき、もっと机に肘ついてだらけてるのに、今日はじっと前だけ見てたし」


「よく見てるな」


「見てたっていうか……目についた。いつもと違ってたから」


 そう言って、若菜はほんのわずかに目を細めた。



 保健室で体温を測ると、38度2分だった。


「帰った方がいいですね。親御さんに連絡しますね」


「あ、いえ大丈夫です。一人で帰れます」


「ですが」


「本当大丈夫なので、家すぐそこですし」


 養護教諭が、顎先に手を置き小さく頷く。


「わかりました。では担任の先生には私から伝えておきます。早乙女くんは無理せずゆっくり休んでください」


「はい」


「じゃあ、私が教室の荷物、持ってくる」


 隣に立っていた若菜が、さっと言った。


 若菜の言葉はいつもどおり淡々としていたけれど、どこか優しかった。


「……ありがとう、若菜」


「礼とかいらないから、ちゃんと休んで」


 若菜の言葉に背中を押されて、俺は学校をあとにした。




 家に帰り着くと、制服のまま布団に倒れ込んだ。


 体が鉛みたいに重くて、何もする気になれない。

 薬を飲んで目を閉じると、すぐに睡魔がやってきた。


 それから一体どれくらい眠っていただろうか。玄関の音で目が覚めた。


「ただいま帰りました」


 瑠花の声だった。

 俺の部屋のドアが、そっとノックされる。


「兄さん、起きてますか?」


「ああ、今、起きた」


 瑠花が心配そうな顔で部屋に入ってきた。


「大丈夫ですか? 学校から早退されたって聞いて」


「まあ、風邪みたいだな」


「そうですか。ちょっと待っててください」


 瑠花はそう言うと、手際よく氷枕を用意してくれた。

 それからしばらくして、瑠花がお盆を持って戻ってきた。


「お粥です。少しでも食べてくださいね」


「ありがとう、瑠花」


 俺がお粥を食べている間、瑠花は部屋の片隅に座ってソワソワしていた。


「えっと、あんま見られると気まずいんだけど」


「あ、ごめんなさい。弱ってる兄さんを見るのが貴重で、つい」


「なんだよそれ」


「だって、これまで風邪とか引いてるところ見たことなかったから」


「そういや瑠花と兄妹になってから病気になったことなかったな」


 瑠花は手をゴニョゴニョと擦り合わせながら、ポツリと呟く。


「不謹慎かもですけど、今の兄さんを見ると守りたくなります」


「妹に庇護欲覚えられるの情けないな」


「そんなことないです! と言うか兄さんはもっと弱いところ見せていいと思います。いつも無理してるように見えますよっ」


 瑠花の言葉に、なんとなく胸がざわついた。


「そう、かな」


「はい。あ、私、邪魔ですよね。何かあったら言ってください。すぐに駆けつけるので!」


「ん、ありがと」


「じゃあ、ゆっくり休んでください」


 瑠花の優しい声を聞きながら、俺は再び枕に頭を落とした。




 空がすっかり暗くなった頃に目が覚めた。

 完全回復とは言えないが、体のだるさも取れて普通に起き上がることができる。


 リビングに降りると、瑠花がキッチンに立っていた。


「あ、兄さん。体調はどうですか?」


「おかげさまで、だいぶ良くなった」


「よかったです。あ、そろそろ兄さん起きる頃かと思って卵粥作ってたんです。後ちょっとでできるので待っててください」


「おう、さんきゅ」


 そう言いながら椅子に座ると、湯気の立つお椀が目の前に置かれた。

 香りが、やけに沁みる。


「そういえば、さっき若菜さんが来ましたよ」


「そうなの?」


「授業のノートと、ゼリーとスポーツドリンクを持ってきてくれました」


「……そっか、あとで礼言わなきゃな」


 瑠花は「ですね」とだけ返して、再びキッチンに向き直った。


 鍋がコトコト煮える音だけが、しばらくの間リビングに響いていた。

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