第一章 第一話 【わが友の仏】
翌朝、起床し教員の指示通りに支度をして寮を出た。広すぎてどこに行けば良いのかも秋輝にはさっぱり分からなかったので、寮の仲間たちについて行った。
幾つも並んだ教室に出仕達が別れて入っていく。壁に貼ってある紙の指定通りの教室に入り室内を見渡すと、意外にも1クラスの人数はそこまで多くないようだ。国内最大規模の神社なだけあって、出仕の全体人数が多い分、学舎や講師の数も浩大なのだろう。秋輝は他の出仕たちに前の席を譲り続け、最終的に一番後ろの列の席に座った。五分ほど経って、昨日集会で喋っていた老人が教室に入ってきた。老人は一度の大仰な咳払いで、満堂喧騒を極めている教室を静かにさせる。
「おはよう。自己紹介は先日にしたが……。改めて、学年主任の
自己紹介に飾り気がない理由が昨日に自己紹介が済んでいる為なのか、それとも貴堂がそういう性質なのかは、昨日のスピーチが全て右から左であった秋輝には判らない。
「お前たちには今日から二年間、一人前の行者になる為に志月道の心得や体術、法術について学んでもらう。優秀な者や功績を挙げた者、宮司クラスにスカウトされた者は全課程を免除して直ぐに行者に昇格できる場合もあるので、精進するように」
貴堂はそれだけを説明すると、早速と授業を開始した。
「皆は“
貴堂がそこまで喋ると、一人の出仕が手を挙げた。
「何じゃ?」
「どうして業の法則を義務教育で教えるようになったんですか?丁度俺達の親世代ぐらいから取り入れたらしいですけど」
そう言えばそうだ、と皆は思った。当たり前のように幼い頃から教わってきたことだが、よくよく考えてみれば、業の法則とは物凄く不確実な話だ。
「うむ。元々は、この志月大社と政府でのみ伝えられてきた国家機密だった。混乱を避ける為じゃ。じゃが、先代の少宮司の一人、
貴堂の口から出た言葉に場はザワついたが、秋輝は驚かなかった。何故なら、既に鶴姫から全てを教わったからである。数千年前に、地上も
「優祈様はこうも付け加えた。『一人でも多く心を入れ替え功徳を積めば、大劫に打ち勝てる』と。業は報いを受けることでしか解消することはできない。じゃが、ダメージを限りなく小さくすることであれば可能じゃ。その者の業が深ければ深いほど強く吹き飛ばされるが、徳が高ければ高いほどクッションの数も増える」
おおっ、と出仕達から声が上がる。この貴堂という老人は中々に教え方が達者だ。経験からなのだろうか。
「この予言に関しては、混乱を避ける為未だ極秘なのじゃ。現在、政府が公表する時期を話し合っていると聞いておる」
政府は現在、予言を公表するかしないかで意見が割れているらしい。公表すれば社会は混乱するだろうが、国民は焦って心を改め、善行を積み始めるだろう。反対に、公表しなければ、混乱は起きないが国民の意識も向上しにくい。どちらにしてもリスクがあると考えているようだ。
「じゃあ先生、功徳ってどうやって積めば良いんですか?」
「伊藤、質問は講師の許可を得てからしなさい。功徳は謂わば善行ポイントじゃ。善い行いをすれば貯まってゆく。そうは言っても、具体的に何をすれば良いのか分からないという者は多くいるのう。じゃが安心せい、行者の徳の積み方は決まっておる」
供養やお祓い、と秋輝は内心で呟いた。十年前、日本政府は正式に霊や魑魅魍魎、天人の存在を公表した。それらを禊ぎ祓い、祈祷するのが行者の役目であり、修行なのだ。
「今からお前たちに修行の仕方を教えてゆく。午後からは早速修行の見学に行くぞ。百聞は一見に如かず、じゃ。その後で様々な術を伝授してやる」
「「「「「はい!」」」」」
一同は一斉に元気良く返事をした。貴堂は、今年の新人等が血気盛んで活力に満ちていることを密かに喜んだ。
*
皆で昼食を食べた後は、大社が建っている富士市内の近所に徒歩で向かった。
「なぁ、そこの美人ちゃん。君、名前何て言うん?」
突然女性の出仕に肩を叩かれ名を聞かれた秋輝は、ほんの一瞬だけ固まってしまった。
「僕は姫廻秋輝。君の名前は?」
「うちは
後で、とさり気なく入れる所から、彼女が他人を気遣える人格の持ち主であることが分かる。秋輝は体の所々に、普通の人間とは違う特徴を持っている。それに、彼は確かに身も心も男だが、声も外見も極めて中性的なうえ、セミロングの艶やかな黒髪を持っている。それ故に性別若しくはその解釈に関して尋ねられることは多々あった。
「男だよ。よろしくね、新岡さん。僕のことを沢山褒めてくれて有り難う」
「フヒヒッよろしくぅ……あかんわ、君と喋るん楽しすぎてはしゃぎそう」
「ふふ。まだ少ししか話していないよ。休憩時間になったらもっと話そう」
藪から棒に現れた、三つ編みおさげに眼鏡の美少女・新岡優子のお陰で、楽しい気分が継続されたまま目的地の一軒家まで着いた。依頼主と思われる三人家族に出迎えられ、広瀬と名乗った父親らしき人が貴堂と話をし始めた。
「貴堂さん、お久しぶりです。来てくださってありがとうございます。あちらの方々が、見学する出仕の方々ですか?」
「はい。出仕等の見学を許可していただき、ありがとうございます。今回のご依頼内容は、幽霊に関してでしたね?」
「はい。数週間前、我が家の玄関ドアの外に知らない女の人が立っているのを見たんです。最初は一人だけだったんですけど、次第に女の人の両脇にセーラー服の女の子が二人立つようになったんですよ!今では三人もドアの向こうに現れるようになってしまって……」
話を聞いていた出仕達の中には、冷静に推理をする者や怯える者など、様々な反応があった。貴堂は出仕達の方に振り返り、声を張った。
「三人の霊が今どこにいるのか分かる者は手を挙げなさい」
つまりは、現時点で既に霊感のある者がどれくらいいるのか、ということだ。皆は互いをキョロキョロと見回すが、挙がった手は三本だけであった。秋輝と優子、そしてスパイクヘアの男だ。優子がやや先に手を挙げたので、貴堂は優子を指名した。
「では新岡、どこにいるのか言ってみなさい」
優子は玄関ドアのすぐ隣にある大型観葉植物を指差した。
「そこの植木鉢の後ろに立ってますけど、大人の女性と女子高生一人しかいないです。あと一人はどっか行ったんちゃいますかね」
一同は一斉に観葉植物の方を向いて両肩を抱えた。
「正解じゃ。見事じゃぞ新岡」
「ありがとうございまーっす!」
貴堂は優子に一言称賛の言葉を送り、「皆、よーく見ておくんじゃぞ」と言って植木鉢に接近した。手を空中に伸ばし、何かを掬い取る動作をして、自身の肩に持っていく。たったそれだけの動作だが、年月が与えた、熟練された達人の所作が見て取れる。十秒もかからぬうちにその動作は終わり、一仕事終えた顔で依頼主への説明をし始めた。
「恐らく、彼女らは親子でしょうな。何かの要因で亡くなり、路上を彷徨う浮遊霊となったのです。そしてお宅を見付けて、家の暖かみを求めて入ろうとした」
「じゃあ、入れなかったのはお札の影響ですか?」
「如何にも。扉に貼ってある札が霊の侵入を防いでくれております」
貴堂と知り合いである様子ややり取りから、どうやら広瀬家は過去に別件で志月大社に依頼したことがあり、護符なども購入しているらしい。その護符が霊を拒んでくれていたらしいことが窺えた。
「二人は回収し終えたうえ、あと一人の少女の居場所も把握しましたので、ご心配には及ばずに。霊は我々が持ち帰って浄霊します」
広瀬一家は心底安心したのか、顔を綻ばせて喜んだ。
「ありがとうございます……!!」
皆は最後の一人がどこにいるのかが気になるが、まだ貴堂に直接聞く度胸がない者が多いらしく、優子に居場所を教えるように促した。しかし優子から返ってきたのは、「分からない」という回答だった。
「多分どっかに隠れてるんやと思うけど……気配まで消されたら流石に分からんわ。秋輝は分かる?」
出仕達の視線が、今度は秋輝に集中する。貴堂に一瞥をくれると、彼は何も言わずにこちらを見守っている様子だ。秋輝はそっと歩き出し、植木鉢の前で足を止めた。さらりと植木の葉を退けると、本来であれば土があるべき場所に、無機質な少女の顔があった。やはり幽霊に物理は通用しないらしい。
「姫廻君、そこに霊が!?」
張り切った同級生の声に、秋輝は人差し指を唇に当てた。
「彼女は僕たちの気迫を怖がっている。みんなは近寄らないで」
腕白な子供を優しく諭す母親のような声色にトクンと音を鳴らす者や、その様子を見て顔を顰める者もいた。ほとんどは前者だが。
「もう大丈夫だよ。お母さんと、お姉ちゃんと一緒に月に行こうね」
和やかに説得すると、少女の霊は時間を掛けてゆっくりと鉢から這い出てきた。しかし、彼女は秋輝の手を取ってまた動かなくなってしまった。
「姫廻、この子はお前に懐いたようじゃ。浄霊をする時は立ち会ってくれんかのう?」
「分かりました。では、この子は帰るまで預かります」
秋輝は少女の霊を自身の肩に乗せた。
その後は広瀬一家から何度も謝礼の言葉を浴びせられ、貴堂から褒められ、同級生たちに囲まれ質問攻めにされた。…………その状況をじっと睨んでいる出仕も何人かは居た。
*
少し日が降りてきた帰り道。出仕たちの質問攻めの間は大人しくしていた優子が、秋輝の隣に来た。肩で肩を軽く小突かれ、秋輝は優子に気付いた。
「君凄いやん!ほんのわずかな霊気まで分かるんやね」
「有り難う。僕は小さい頃から家族に法術を教わっているんだ。君の霊感には、理由はあるの?」
優子はエッヘン!と胸を張って語りだした。
「実はうちな、天人の家系やねん!まあ、うちより神通力が強い秋輝に胸張って言えることでもないけど」
一言目では大きなマントを羽織っているかのように威風堂々としていたのに、二言目で急に謙遜するのが、なんだか可笑しかった。
「何を言うの、凄いことだよ。天人様の子孫に会ったのは君で二人目だ」
「優しいねんな。ありがとう。……ていうかさ、うちはてっきり天人の家系とは何ぞやって聞かれると思ってたわ」
優子が面を食らったような顔をしてそう言うので、秋輝は珍しくしてやったりな笑みを浮かべた。
「まだ授業で
世間に公表されていないはずの天人の子孫の存在を秋輝が知っているということは、彼もまた天人の子孫なのではないか?と、優子は考えた。これについて知ることを許されているのは、当事者である天人の家系の者達と志月道関係者のみであるはずだからだ。とは言え単純に、破門された元行者が秋輝を育てた場合に、情報漏洩が起きたという可能性もある。しかし優子には、秋輝と最初に会った時からずっと、彼から常人ならざる才能と力を感じられるのだ。
「どうなんだろう。なんとなく自分もそうなんじゃないかという気はしてる。ただの勘だけどね」
「親御さんは何も言うてはれへんの?」
「親」というワードを聞いて、秋輝はほんの少し眉尻を下げた。
「両親は、物心つく前に亡くなっているんだ。でも、親代わりの人がいるから、今度その人に聞いてみるね」
優子は秋輝の切なげな表情を見て、自身が彼のデリケートな部分に触れてしまったことを悔やんだ。
「ごめんな……こういう話は、会ったその日にやるもんじゃないよな」
秋輝は顔にいっぱいの慈しみを乗せて微笑んで見せ、ゆっくりと顔を振った。
「大丈夫、気負う必要はないよ。他人の家庭の事情なんて、会ったその日に分かることでもないんだから。それに、僕は気にしてない」
そもそも秋輝が切なげな表情をしたのは、親がいなくて悲しかったからではなく、自分の回答によって優子が落ち込むのが嫌だったからだ。
「ほんまに、優しい人やなぁ、秋輝は……」
優子は秋輝からの溢れんばかりの慈愛を受け取り、自然と全身の力が緩和していくのを感じた。
「有り難う。……そうだ、気になっていたことを思い出したよ。君はもしかして大阪出身?」
優子は伏せ気味だった目を見開いて輝かせた。
「お、正解!普通はみんな『関西出身?』って聞いてくんのに、秋輝は詳しく当ててきたな。方言聞き分けれるんや?」
話題が変わったことによって、しんみりとした空気が瞬時に切り替わった。
「実は僕、奈良県出身なんだ」
優子の、星のように輝いていた両目は更に光を増し、今は銀河のようだ。
「ええー!!めっちゃ近いやん!なんか嬉しい!」
「ふふ、これも何かのご縁だね」
それから二人は、年相応の他愛もない話で盛り上がった。そして、見えてきた志月大社を遠目に見つめ、共に新たな出会いへの幸福感を分かち合った。
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