ヒナギクじゃいられない

中田 あづき

第1話 ヒナギク

 ヒナギクなんて花壇で他の花の引き立て役じゃないの。引き立て役になりたい人なんている? わたしはわたしの人生の主役でいたい!




 一国の王女として生まれるのは恵まれていると思う。常に周囲に人がいて、何かと世話を焼いてもらえて、「姫さま、姫さま」と大事にしてもらえる。エメラルドみたいな目を手放しでほめてもらい、ひどい癖毛の黒髪は毎日梳かして可愛く整えてもらえる。何か欲しいと言う前に必要なものも特に必要でないものももう用意されている。自分が何が欲しいか、何が足りないか気づかないくらいだ。

 ただし、第三王女にもなると姉たちとの扱いの差はある。

 第一王女、アンドレア姉さまは王位継承順位筆頭で、小さなころから帝王学を叩き込まれ、人の上に立つよう育てられた。十二歳で王太女になってからは、わたしとはまったく立場が変わってしまった。いずれ女王になるのだ。この国の主役になることが決まっている。

 第二王女、ベアトリス姉さまは将来他国の王太子に嫁ぐため、王妃教育を受けて育った。

 そしてわたし、第三王女のカタリン。女王にはならない。王妃にもならない。そのうち国内の有力貴族と政略結婚するだろう。だから十六歳になった今まで、二歳上、四歳上の姉たちに比べたら自由に育ったと思う。わたしの振る舞いが国際問題になることはないからだ。

 王女は恵まれていると思う。貴族たちの機嫌次第で理不尽に怒鳴られているメイドとか見ていてもそう思う。わたしにあんなふうに怒鳴る人はいない。

 でもね。

 自分の大事なことを何一つ自分で決められないのだ。

 周囲が思っているよりずっと、王女には自由がない。




 その日も朝食後すぐにやってきたフォドル子爵夫人が、裁縫箱の横にあった布を持ち上げた。

「おはようございます、カタリンさま。昨日はどこまで進まれましたか?」

 この国は刺繍が伝統技術だ。王女は刺繍が上手くないといけない。アンドレア姉さまは王太女なのでもう滅多に刺すことはないそうだが、ベアトリス姉さまは達人の母と刺していて、同じく達人だ。母は他国から嫁いだので、この国に来てから本格的に刺繍を始めたのだが、あっという間に上達したらしい。

 わたしの刺繍の腕はひどい。だって興味がないから。見る分には綺麗だなーと思う。でも自分でやりたいかというと、全然。手元だけを見て、ちまちま針を刺していくのが退屈で仕方ない。だって糸の幅一つ分ずれただけで、全然形にならない。糸の幅よ? 一ミリにもならないのよ? そんな細かいこと何分もやっていられる? 母やベアトリス姉さまが刺しているのはもっと細い糸で、四分の一ミリよりまだ細い。気が遠くなるような作業だと思うのだが、二人は楽しそうに何時間でも続けている。決まった時間にメイドがお茶を持ってきて休憩をとるようにしていないと、休みなしに作業をしてしまうそうだ。信じられない。

 王女は刺繍が上手くないといけない。

 それで毎日フォドル子爵夫人のチェックを受ける。三十代になったばかりの方だが寡婦なので、いつも灰色や茶色の地味なドレスを着て、髪は小さく後頭部でまとめ、結婚指輪だけをはめている。

「……ヒナギクは難しいものではありませんよ?」

 刺繍枠にはまった布に形のゆがんだヒナギクが三輪刺繍されているのを見て、子爵夫人はため息ついた。この国の貴族女性はみな、たしなみとして刺繍をする。そういう伝統だ。子爵夫人は特に腕がよく、王女たちの指南役として王宮に上がった。姉たちに基本を教えたあとわたしを教え始め、壁にぶつかった。わたしは刺繍に興味がなかったし、やる気もなかったのだ。

「もう一度基本をおさらいしましょうか。まず」

 ヒナギクは真ん丸。布に丸を描き、放射線状にロングアンドショートステッチをして、あとから中央にノットステッチを刺す。

 子爵夫人の手本は素晴らしい。ロングアンドショートステッチの長いものは長いもので、短いものは短いもので、見事に長さのそろったステッチで、等間隔に糸が並んでいる。

「ではカタリンさま」

 途中まで刺したものを渡され、わたしが刺し始めると途端に真ん丸が崩れる。ステッチの長さもばらばらだ。

「一針一針、着実に、正確に、根気よく刺すだけです」

 子爵夫人の頬はぴくぴくしている。

「ヒナギクはカタリンさまのシンボルなんですから、これだけは刺せないと困ります」

 王族はそれぞれシンボルを持っていて、わたしはヒナギクだ。わたしの持ち物にはヒナギクの模様がついている。練習のために刺した、ゆがんだヒナギクの刺繍入りハンカチは山ほどある。

 ヒナギクなのは幸いだ。ベアトリス姉さまのシンボルはスミレで、ずっと刺すのが難しい。わたしは一度だけスミレを刺したが、紫と緑の謎の魔物みたいな禍々しいものができあがった。以来、ヒナギクが完璧になるまで他の柄には手を出さないことになった。


「午後にまた参ります」

 刺繍の達人の子爵夫人には多くの依頼がある。大抵は他国の王族へ贈られる小物だ。わたしの指導ばかりをしているわけにはいかないので、王宮内に用意された自室にこもって作業をしている。わたしの隣りで作業をしていると、ため息ばかりついてしまうことになるので進まないらしい。子爵夫人は子供を持つ前に御夫君を亡くし、御夫君の弟が爵位を継いでいるので、王宮にある部屋が自宅のようなものだ。

 子爵夫人が出ていってからしばらく待ち、入れ替わりに入ってきたメイドのリラにハンカチ(ゆがんだヒナギク柄)に包んだクッキーを渡す。

「お願い」

 刺しかけのヒナギクをメイドに任せて、わたしは部屋を抜け出した。

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