第9章交差する運命、途切れた時間。
翌朝、ルクス北部の防衛線が魔物に襲撃された。
こはるは支援班の一員として前線に駆り出されていた。
「急いで! こっちの壁が崩れる!」
「魔力障壁を補強します! こはる様、お願いします!」
張り詰めた空気の中、こはるは治癒と防壁の魔法を繰り返す。
その集中力は、かつてないほどだった。
(来てる。あいつ……どこかに)
胸の奥がざわつくたび、力が湧いてくる。
それだけが今の支えだった。
だが――その瞬間。
魔物の突撃により、背後から瓦礫が崩れた。
衝撃が背中に走り、こはるは気を失った。
遠のく意識の中で、最後に見えたのは――
銀色の光だった。
(……ディラン……?)
ディランは防衛線の別の側面から戦場に駆けつけていた。
剣を抜き、魔物を次々と切り捨てながら、視線は常に“あの顔”を探している。
「どこだ……こはる……!」
そして、崩れかけた防壁のそばで、倒れている一人の少年に目が止まった。
銀の髪に反応し、駆け寄る。
その顔を見た瞬間――
「……いた」
胸の奥に何かがぶつかって、足が震える。
何度夢に見たかわからない、あの顔。
文句ばっかり言って、ツンデレで、やたら気取ってるくせに、脆くて。
「こはる……!」
ディランは、抱き起こして呼びかけた。
「おい、目ぇ開けろ。俺だ、ディランだ!」
こはるは、ゆっくりと瞳を開けた。
だが、その瞳には――焦点がなかった。
「……だれ?」
ディランの顔を、まるで初めて見るかのように見つめるこはる。
「……お前、何、言って……」
「……ごめん。僕……名前は、こはるってわかるけど……」
ディランは言葉を失った。
夢にまで見た再会が、こんなにも空虚で冷たいなんて。
「ふざけんなよ。……やっと、会えたのに」
こはるの手が、ディランの腕を掴む。
けれど、その表情は曇ったままだった。
「あなたの名前は……知ってる気がする。でも、思い出せない」
まるで、遠い夢の中の存在みたいに。
こはるは、ディランを見ていた。
彼の笑みは、どこか哀しげで、それでも強かった
「……お願い、近づかないで」
こはるの言葉に、ディランの動きが止まった。
「俺だぞ。ディラン。一ノ瀬ディラン。大学で、毎日顔を合わせてただろ……!」
叫ぶような声に、こはるは目を伏せたまま首を振る。
「ごめん。……記憶がないの。思い出そうとしても、頭が痛くて」
その姿は、かつてのツンデレな彼とはまるで別人のように脆く、迷子のようだった。
「っ、ふざけんなよ。そんなの、ありかよ……」
ディランは歯を食いしばった。
ようやく会えた。
それだけを支えに、何日も探してきたのに。
(なのに――俺のことを、忘れてる?)
そして、自分でも驚くほど、胸が痛かった。
大学時代の記憶が、不意に蘇る。
教室の窓際、いつも本を読んでいた少年。
前髪の隙間から覗く睫毛が長くて、でも眉間に皺を寄せながら参考書と格闘していた。
「……雨宮こはる、だっけか」
最初は興味なんかなかった。
むしろ、ちょっと気に障るヤツだった。
こっちを見て、何か言いたげに目を逸らして。
でも次の瞬間には、全然関係ない話題で食ってかかってくる。
「その服の組み合わせ、季節感ゼロだよ。おしゃれじゃなくて、ただの不注意」
「へえ。美人としか付き合わないっていうセンスが、その程度かと思ってた」
――クソ生意気なヤツだった。
でも、なぜか、気づけば目が追っていた。
授業中、図書館、自販機の前。
こいつ、なんでそんなに一人で完結してるんだよって、イライラしながらも気になっていた。
「なあ、ほんとに思い出せねぇのか?」
現在に戻る。
ディランは、こはるにもう一度問いかける。
こはるは、戸惑いと申し訳なさを滲ませた目で彼を見た。
「あなたの顔を見ると、なぜか胸がぎゅってなる。でも、それ以上は……」
そこまで言って、こはるは唇を噛みしめた。
「僕、ダメなんだ。今は、君の顔を見るのも苦しい……」
その言葉に、ディランは立ち尽くした。
(……忘れてる。でも、“何か”は残ってる)
それが余計に、悔しかった。
思い出せないのに、忘れられてもいない。
なのに、自分は――。
「くそっ……!」
ディランは立ち上がり、拳を強く握りしめた。
「だったら、全部思い出させてやるよ。泣いてでも、怒ってでも。何度でも、お前の前に現れてやる」
背を向けながら、吐き捨てるように言った。
こはるは、その背中を見つめていた。
理由は分からない。でも、その背中を、なぜか追いかけたくて、叫びたくて。
でも――何も、出てこなかった。
「……お願い、近づかないで」
こはるの言葉に、ディランの動きが止まった。
「俺だぞ。ディラン。一ノ瀬ディラン。大学で、毎日顔を合わせてただろ……!」
叫ぶような声に、こはるは目を伏せたまま首を振る。
「ごめん。……記憶がないの。思い出そうとしても、頭が痛くて」
その姿は、かつてのツンデレな彼とはまるで別人のように脆く、迷子のようだった。
「っ、ふざけんなよ。そんなの、ありかよ……」
ディランは歯を食いしばった。
ようやく会えた。
それだけを支えに、何日も探してきたのに。
(なのに――俺のことを、忘れてる?)
そして、自分でも驚くほど、胸が痛かった。
大学時代の記憶が、不意に蘇る。
教室の窓際、いつも本を読んでいた少年。
前髪の隙間から覗く睫毛が長くて、でも眉間に皺を寄せながら参考書と格闘していた。
「……雨宮こはる、だっけか」
最初は興味なんかなかった。
むしろ、ちょっと気に障るヤツだった。
こっちを見て、何か言いたげに目を逸らして。
でも次の瞬間には、全然関係ない話題で食ってかかってくる。
「その服の組み合わせ、季節感ゼロだよ。おしゃれじゃなくて、ただの不注意」
「へえ。美人としか付き合わないっていうセンスが、その程度かと思ってた」
――クソ生意気なヤツだった。
でも、なぜか、気づけば目が追っていた。
授業中、図書館、自販機の前。
こいつ、なんでそんなに一人で完結してるんだよって、イライラしながらも気になっていた。
「なあ、ほんとに思い出せねぇのか?」
現在に戻る。
ディランは、こはるにもう一度問いかける。
こはるは、戸惑いと申し訳なさを滲ませた目で彼を見た。
「あなたの顔を見ると、なぜか胸がぎゅってなる。でも、それ以上は……」
そこまで言って、こはるは唇を噛みしめた。
「僕、ダメなんだ。今は、君の顔を見るのも苦しい……」
その言葉に、ディランは立ち尽くした。
(……忘れてる。でも、“何か”は残ってる)
それが余計に、悔しかった。
思い出せないのに、忘れられてもいない。
なのに、自分は――。
「くそっ……!」
ディランは立ち上がり、拳を強く握りしめた。
「だったら、全部思い出させてやるよ。泣いてでも、怒ってでも。何度でも、お前の前に現れてやる」
背を向けながら、吐き捨てるように言った。
こはるは、その背中を見つめていた。
理由は分からない。でも、その背中を、なぜか追いかけたくて、叫びたくて。
でも――何も、出てこなかった。
「夜風にでも当たってんのか?」
ディランの言葉に、こはるは驚いたように目を見開いた。
「……別に。なんとなく」
それ以上、言葉は続かなかった。
ただ隣に立つその男の気配が、不思議と心地よかった。
しばらく無言で、二人は月を見上げていた。
「俺さ、思い出すの、別に無理にとは言わねぇよ」
突然、ディランが口を開いた。
その声は、以前よりも少しだけ柔らかい。
「でもな、もしまた“ムカつく”とか言いたくなったら、ちゃんと俺に言え」
その言葉に、こはるの口元がわずかに緩んだ。
「……なんでそんなに、僕に構うの?」
「知らねぇよ。けどたぶん――ずっとそうだったんだよ」
ディランの目が、真っ直ぐにこはるを見ていた。
「最初に目が合ったときから、ムカついて、でも気になって、忘れられなくて」
「……気持ち悪いって思った」
「上等。お前に言われたら、なぜか傷つかねぇしな」
ふと、こはるの肩が揺れた。
小さな笑い声がこぼれる。
それは、記憶ではなく、今この瞬間にある“感情”だった。
その夜。
こはるは自室で日記を広げていた。
手元のペンが止まる。
思い出そうとしても、細部はぼやける。
でも、“あの男と過ごした時間”は、心のどこかで確かに灯っていた。
(たぶん、僕は――)
(あいつのことが、好きだった)
心に浮かぶその言葉に、自分で驚く。
だが、否定はしなかった。
自分が“誰を待っていたか”。
誰を“夢に見ていたか”。
今なら、少しだけ、わかる気がした。
翌朝。
食堂で朝食をとるこはるに、ディランが無言でパンを差し出してきた。
「これ、昨日の礼な。焼いてみたら案外うまくてよ」
「……えっ。君が焼いたの?」
「馬鹿にすんな。男でも料理くらいできる」
「へぇ、じゃあ今度感想書いてあげるよ。“意外性という調味料が効いてます”ってね」
からかい気味に笑うこはるに、ディランが眉をひそめた。
「ムカつくな、その言い方」
「でも嬉しいんでしょ? こういうやりとり、してた気がする」
その言葉に、ディランは固まった。
「……思い出したのか?」
「断片的に、ね。言い合いして、くだらないことで突っかかって……でも、なんか楽しくて」
こはるの目が、どこか懐かしさを帯びていた。
それを見て、ディランもまた、ほっとしたように肩の力を抜いた。
「じゃあ……また、してやるよ」
「……え?」
「そのくだらない言い合い。俺は別に、何百回だって付き合ってやるから」
こはるは、笑った。
まるで、最初の出会いの時のように、少し意地悪に。
「じゃあ、覚悟してよね。僕、すっごい理屈っぽいんだから」
突如、街の南門が崩れた。
魔物の大群が再び押し寄せ、警鐘が鳴り響く。
兵も騎士も治癒師も、総動員で前線に立つ。
「こはる様! ここは危険です、避難を!」
「僕も、できることを……!」
叫ぶ間もなく、黒煙の中から飛び出した獣型の魔物が、こはるに襲いかかった。
咄嗟に防御魔法を張るが、完全ではなかった。
鋭い爪が肩を裂き、地面にたたきつけられる。
頭が割れそうな痛み。
世界が、ゆっくりと回転していく。
視界が滲む中、遠くで誰かの声がした。
「――こはるッ!!」
(この声……)
(僕は……)
過去の記憶が、洪水のように溢れ出した。
教室の光。
カフェテリアのざわめき。
朝の駅前で、ふと目が合ったあの銀の瞳。
その全部に、彼がいた。
「一ノ瀬、ディラン……!」
かすれる声でその名を呼んだとき、こはるの意識は深く沈んだ。
気がついたとき、こはるは治療室のベッドの上にいた。
腕には包帯、脇に点滴。
窓の外は、夜だった。
「……ディラン……」
誰もいない部屋で名前を呼んだ。
でも返事はなかった。
扉が開いて、入ってきたのはグレアムだった。
「ご無事で……よかった」
「……ディランは?」
グレアムは少し言葉を選び、告げた。
「彼は――あなたを運び込んだあと、ひと言もなく出ていきました」
「どこへ……?」
「北方。魔王軍の主戦拠点へ偵察に向かったとのこと」
ベッドの端を握る手が震えた。
「どうして……言ってくれなかったの?」
グレアムは静かに言う。
「彼なりの、けじめだったのでしょう。あなたの記憶が戻る前に、これ以上近づいてはならないと」
こはるは唇を噛んだ。
(……違うよ、ディラン)
(もう思い出したのに。全部、思い出したのに……!)
胸の奥が、焼けるように痛んだ。
「帰ってきて。僕がちゃんと、君に言うから――」
あの日、伝えられなかった言葉を。
その声は誰にも届かず、ただ静かに夜の闇に吸い込まれていった。
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