第2話

森の奥深く。

 風が止まり、木々が沈黙する中で、ノア=アルディスはひとり、膝をついていた。


 その目の前には、巨大な銀狼。

 伝承にのみ語られ、誰もその姿を見たことがないはずの存在――**神話級魔獣白銀の王・フェンリル**が、ゆったりと佇んでいる。


 だがノアの表情に、恐れはなかった。

 むしろ、心の奥底から満ちるような力が、今までにない熱を生んでいた。


「……本当に、契約できるなんてな」


『疑っていたのか、主よ?』


 フェンリルは鼻で笑うように息を鳴らした。その声には、威厳と――どこか親しみのような響きすらあった。


「正直、夢だと思ってた。こんな力、俺には……って、ずっと思い込まされてたからな」


 “無能のビーストテイマー”。

 魔力のない役立たず。他の職業に比べて弱すぎる、と蔑まれてきた。

 でもそれは、間違いだった。ビーストテイマーは、正しく扱えば最強にもなり得る職業だったのだ。


『お前の中には、“聞く力”がある。魔獣の声を受け止めるその力は、選ばれし者の証だ』


「……ありがとう」


 ノアはゆっくりと立ち上がり、森の静けさの中で空を見上げた。

 木々の間から差し込む光が、フェンリルの白銀の毛並みを照らす。


「この力があれば……俺は、変われる」


 フェンリルは歩み寄り、巨大な頭をノアの肩にすり寄せた。


『変わるのではない。戻るのだ。かつての、お前自身の誇りへと』


 その言葉に、ノアの目に小さな光が宿る。

 それは“力”の誇りではない。

 “選ばれるに足る自分だったのだ”という、失われた自尊心の光だ。


「よし、行こう。王都へ」


『何をしに?』


「“魔獣祭”がある。腕試しだよ」


 フェンリルの瞳が鋭く細められる。


『人の見世物か? 貴様のような者が、再び傷つけられる場所だぞ』


「違うさ。あそこは……あいつらがいる」


 かつて自分を追放したSランクパーティ《暁の牙》。

 リーダーのグレイス。誇り高い剣士のカイン。そして、冷酷な魔法使いのミリア。


「俺のことを“無能”って言ったやつらに、見せてやりたいんだ。……これが、俺の本当の力だって」


 ノアは拳を握った。震えていたのは恐れじゃない。覚悟だ。


『ならば、我が牙はそのために在ろう。好きに使え、主よ』


「……ありがとな、フェンリル」


 

 ◆ ◆ ◆


 

 王都リグル=フェム。

 各地から冒険者、貴族、商人が集まるこの地では、年に一度の魔獣祭が開催される。

 契約者たちが自慢の魔獣を披露し、戦わせ、勝ち抜いた者は帝国から“魔獣使い騎士”としての任命を受けることすらある、由緒正しい競技大会だ。


 だが、テイマー職に対する評価は未だ低く、「珍獣見世物大会」と揶揄する声も後を絶たない。


 ノアはその観客席に背を向け、受付へと向かった。


「参加希望です」


 受付嬢がちらりとノアを見て、どこか馬鹿にしたように眉をひそめる。


「……種族と魔獣名は?」


「契約種:神話級。魔獣名:白銀の王フェンリル」


 ぴたり、と彼女のペンが止まる。


「……え、今、なんと?」


「だから、神話級のフェンリル。出場登録、お願いできますか?」


 数秒の沈黙ののち、受付嬢が苦笑いを浮かべる。


「……冗談はやめてください。そんなもの、本当にいたら国が動きますよ」


「なら、見せたら信じる?」


 ノアが指を鳴らす。

 次の瞬間、受付の真横――空間が裂けるようにして、白銀の魔獣が姿を現した。


『……ふむ、狭いな』


 受付嬢は口を開いたまま硬直した。周囲にいた他の参加者たちも、ざわつき始める。


「あ、あれ……! なんだ……!?」「あの魔力の気配、ただの魔獣じゃない……!」


「神話級……まさか、本物!?」


「お、お名前を……っ! ご、登録いたします! ノア=アルディス様!」


 

 ◆ ◆ ◆


 

 控えの間で待機していたノアに、一人の男が話しかけてくる。

 鮮やかな赤髪に、鋭い眼光。彼の名はレオ=ヴァルト。

 かつて王国最強と呼ばれた伝説の“炎帝テイマー”の息子だ。


「……あんた、フェンリルを従えてるって噂、本当か?」


「ああ」


「ふっ……面白い。退屈してたところだ」


 レオの後ろに立つのは、全身を炎に包んだ鳥――火霊鳥フレア。

 これまた、上位種中の上位種。Aランク級の中でも頭ひとつ抜けている存在だった。


「明日、初戦で当たるらしいな。俺たち」


「……そっか。手加減はしないよ?」


「言うね。いいぜ、そのままの勢いで潰しにこい。久々に心が躍る」


 レオは笑った。その笑みは、嘲笑ではない。

 本物の戦士が見せる、純粋な好敵手への期待の表情だった。


「フェンリルだけじゃないよ」


「……あ?」


「まだ他にも、仲間にするつもりなんだ。俺は……“最強の魔獣使い”になる」


 

 ◆ ◆ ◆


 

 その夜。

 ノアは静かな宿の屋上で、月を見上げていた。


『……本当に、あの炎の使い手と戦うつもりか?』


「ああ。怖いけど、楽しみでもある」


『お前は、弱者ではない。ならば、誇れ。我が主よ』


「……うん」


 静かに風が吹く。


 かつて“無能”と呼ばれた少年は、今や神話の魔獣を従え、王都の大地を踏みしめていた。

 これはまだ、始まりにすぎない。彼の物語は、これから世界を巻き込んでいく。


最弱職のはずが、最強でした。


神話が今、動き出す――。

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