「起きたかい?」

「ああ! 起きたとも! キモ山くん、朝餉の準備をありがとう! ん? いや、小生の分もあるのだろうね? 小生、何故か途轍もなく不安になってきたのだけれど!」

「大丈夫だよ。そんな意地悪しないから。とりあえず座りなさい」

 キモ山さんの返事を聞いて、楓の不安そうな表情が一変して朗らかになる。朝――恐らく――から騒がしい。机の上にはサラダ、焼き魚、白米、味噌汁が並んでいる。食卓は三人分。しかし、椅子は二つしかない。

「気にしないで。ここ、三人以上で集まるのが初めてでね。椅子を書斎から持ってくるから、先に食べてて」

 相変わらずの読心に、少しギョッとした。楓と話す分には起きない現象だ。そういえば、ベッドに入り三人で話した時には読心を介した会話がなかった。会話が混乱しないための配慮だろう。

「ほら、峠くん、座りたまえ!」

 昨日キモ山さんが座っていた席に、ニコニコした楓が座っている。楽しそうだ。楓に促されるまま、俺も席に着く。

「そういえば俺、ここから出られるのか?」

「勿論! 何なら今日、キモ山さんと一緒に行くといい! そもそもキモ山さんには今日まで手伝ってもらうだけの予定だったからね!」

「手伝う?」

「ああそうさ! でも心配しないでくれたまえ! 詳細は何も伝えていなかったからね! 君の存在も君に会うまで知らなかった! これについては死神こちらの事情だね! いや、時々、キモ山くんには小生の仕事を手伝って貰っているのさ! これからは君にもお願いするよ!」

 調子を取り戻した楓が軽快に説明を重ねる。よく見ると、椅子の高さが少し足りないのか正座をしている。妙に姿勢が良く、それでいてはしゃぐ様子が少しチグハグで面白い。それに、キモ山さんを待つ積もりなのだろう、まだ食事には手を付けず、手は膝に添えられている。勿論俺も、キモ山さんを待とう。

「食べていてくれよかったのに」

 椅子を一脚持ったキモ山さんが帰ってきた。書斎の机に並んでいた椅子だ。そういえば、書斎に置かれていた本――「仮面生者」だったか――は、どこへ行ったのだろうか。あとで、訊いてみよう。

「じゃあ食べよう、いただきます」

「いただきます!」

「いただきます」

 キモ山さんに続き、楓と俺も手を合わせる。キモ山さんは焼き魚を、楓はサラダに手をつける。俺は白米だ。

「ははは」

「ん? どうしたんだね?」

「いや、なんでもないよ」

「む! 読心だろう! 小生もできれば、いろいろ便利だと言うのに……」

「剣呑」

 楓と俺、どちらの思考を読んで笑ったのだろうか。まあいい。しかし、読心は常に行なっている、あるいは行なってしまっているものなのだろうか。だとしたら、楓の思考は随分と賑やかか猥褻なものなのだろうな。む? そんなものにキモ山さんが笑うだろうか? なら、俺の思考で笑ったのか。キモ山さんの方を見ると、焼き魚を白米に乗せ、食べている。なんとなく、俺も同じ様に口に運ぶ。まあいいか、おいしい。

「そういえば、少年の名前が解禁されたよ」

「ふふ。ああ、教えたのかい。僕も知りたいな」

 何かに笑ったキモ山さんがこちらを見る。ついでに、楓もこちらを見ている。自分で発表しろということなのだろう。意外にも、情緒を解している。勝手に発表されては、少し寂しさが残っただろう。キモ山さんには、俺のことを俺の口で伝えたい。できれば、彼のことも知っていきたい。勿論、楓にもまま興味が湧いている。明朗に異常な生き物だから。

「上下峠、だそうです」

「ほう、峠くん。これからはきちんと名前で呼べるね」

 キモ山さんが莞爾かんじと笑う。

「峠くん。他の記憶は?」

「ああ、そういえば、必要かね?」

「いや、いい、要らないです。今のままで。これ、記憶が戻ることは?」

「ないね! 記憶は既に身体と魂から切り離されているからね!」

 楓が賑やかに返答する。口に物を入れず、どうやら飲み込んでから騒いでいるらしい。マナーの遵守が不一致的だ。取り敢えず、今後のために、もう少し布面積の多いマナーを纏って欲しい。

 俺に、以前の記憶は必要だろうか。あると便利かも知れないが、それよりも、過去の侵入が俺の現人格を歪めないかが不安だった。今以上に、キモ山さんや楓への耐性が低いと思うのだ。何せ、彼らの様な人外が、当たり前に存在しない世界で、自分と同じ人類とのみ過ごした記憶だ。その登場人物一人一人が、彼らを否定してしまう危険を無視できない。俺は今、この今が好きだ。この愛情には、不老不死の途方もなさに実感がないことが寄与しているだろう。とはいえ、その桁外れに打ち拉がれるのも、きっと非効率だ。加え、彼等の存在に、現状を一先ず楽観しても怒られはしまい。俺は、過去よりも今を取りたい。刹那主義的かも知れないな。

 味噌汁を啜る。温かい。昆布だしが効いている。優しい味だ。楓の方を見ると、魚の骨を取るのに苦戦していた。それを見つめながら、キモ山さんも味噌汁を啜っている。

「僕は今日帰るんだけど」

 キモ山さんが話し出す。

「峠くんの住み所を、急いで探さなきゃなあ」

「俺は、次はどこへ?」

「僕の住んでる街でいいんじゃないかなあ。多分、君はまだ学生だろう?」

「うむ! 高校生だ! 保護者にキモ山くんを抜擢した以上、手の届く範囲で生活した方がいいだろうね!」

 補足ありがとう、とキモ山さんが楓の口に細かくした魚を放り込む。楓は破顔し、身体を揺らしている。

「じゃあ、僕と一緒においで。近くに学校もあるし、意外と生活はここに来る前と変わらないかもね」

「なるほど。その、よろしくお願いします」

 俺は頭を深々と下げる。生活の概観は変わらないと言うが、保護者ということは、俺はキモ山さんに養われるのだろう。言わば親が変わるのだ。俺には親の記憶がないが、身体に染みついた癖なんかは残っている様子だ。生活の些細な事柄で彼に迷惑をかけるかも知れない。

「気にし過ぎない様にね。子を支えるのは大人の責務なんだから」

「出来れば小生のことも頼ってほしい! のだけれど、小生は立場が少し拙いね! 仕事を手伝って貰う折にでも、相談に乗れたらいいかね」

 俺は、知らない世界で不死者になるのだ。不安がない訳ではない。と言ってもまだ、不老不死というカードを俺はポジティブに感じていた。時間をかけて解決しない問題は稀だろう。俺は、悠久の時間を手に入れたのだ。

「ご馳走様です」

「ごちそうさま!」

「はい、ご馳走様」

 食べ終わった各々が、食器を洗い場へ移動させる。当たり前の様にキモ山さんが水場に立ち、食器を洗っていく。今後、これら無数の小さな献身に、俺は助けられてしまうのだろうな。

「これは僕の病気みたいな物だから、気にしないで」

「そう言う訳にはいかないね! いずれ、キモ山くんを労う会を催そう! いっぱい奉仕するとも!」

「いいね。俺も参加する」

「あはは、ありがとうね、二人とも」

 キモ山さんが笑う。きっと問題ない。今はこの平穏に、身を委ねるのみだ。

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