結びの奔逸

上浦厭味

 生きていること、死んでいないこと。これらを同義とすることは取り返しのつかない倒錯である。と、自らに言い聞かせるものの、生と未死の区別は漸次薄れ、ともすれば死んでいないだけの己を自覚し、何かを分かった気になる時々がある。これも、一つ生への歪曲わいきょくである。思えば、認知の軋みを許容し生活するうちに、自我は瓦解し、海馬はとろけ、覆水盆に返らず、振り返れば、彩られた快楽に掻き消された、心臓が動き呼吸し視て聞いて脳を揺蕩たゆたわせる気悦に、思いを馳せて仕舞う様になった。これではいけない。明快に、己の純潔は副次的な観測に纏わりつくべきではない。生きることそのものを、色眼鏡をかける行為と履き違えてはいけないのである。何故か原理の生き方をこんなにも忘却し果て、心臓を切り売りしながら笑う巨悪が脳味噌に張り付き、切り離せなくなっている。視なければ。観てはならない。生き物が、何故生きるか。どう生きるべきか。唯一無二の要請である。

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