終世の犬

露隠とかず

第1話 軍毅と防人

 梅雨が終わりを告げ、気の早い空は既に夏めいていた。

 正門の植え込みに真っ白なくちなしの花が咲いて、辺りに甘い匂いを漂わせている。


「…お役目を全うせねば」

 刈り上げたうなじを撫で、上げた前髪を整えながら筑紫つくしは高校生らしからぬ言葉で独りごちた。


 今日から通う都督府ととくふ学園高等学校は、県下有数の難関私立高校だ。歴史は古く、起源は平安時代末期にまで遡ることができる。

 初夏を迎えつつあるこの時期に、別の高校に入学していた筑紫は急遽この学校に転入してきた。それは同じく旧い血筋である筑紫の一族の使命からだった。


 その使命を果たす任を課せられた者は《防人さきもり》と呼ばれ、都督府学園高等学校を中心とした怪異の封印を担っていた。数十年ぶりに怪異の発生の兆しがあり、突如任命された筑紫は猛勉強の末、都督府学園に転入する事となったのだった。



「筑紫です。よろしくお願いいたします」

 中途半端な時期に転入してきた筑紫に好奇の目が向けられるが、地を這う低い声音で告げられるあまりに簡素な自己紹介に、ざわめきは一瞬で静まる。筑紫自身も理解しているが、態度が固すぎる自分はどうにもとっつきづらいらしく、遠巻きに見られることが多い。

 180cmを超える体格も、一重のつり目も威圧感を与えてしまう。引き気味な同級生の視線を感じながら、筑紫は自分の席に腰を下ろした。


(また怖がられてしまった…俺は普通にしているだけなのに)

 心の中で溜息しつつ、筑紫は改めて自分の使命について思い返した。


 都督府学園には生徒の間でまことしやかに語り継がれる六不思議がある。よくある学校の怪談だが、何故か語り継がれる内容は毎回変わるらしい。

 そこに怪異が潜み、場を異界化しようとする。異界化は人心を蝕み狂気に陥れ、六つ全てが異界化されると土地が滅ぶと言われている。


 自分の使命は《軍毅ぐんき》と呼ばれる神に協力し、《防人》に任命された者だけが視える発生場所を特定して怪異を封じることだ。

 具体的に何をどうしたらいいかは《軍毅》に会えば分かると、何とも大雑把な説明を父にされたのだった。


(放課後に会いに行こう。今は学業に努めるのみ)


 ただでさえレベルが高い高校への編入なのだ。《防人》としての使命を一旦頭の隅に追いやると、筑紫は新しい教科書をぱらりと開いた。



 誰とも会話できないまま、放課後になってしまった。内心溜息をつきながら、筑紫は退室しかけた教師を呼び止める。


「先生、犬童いぬどう先生はどちらにいらっしゃいますか?」

「ん?ああ…犬童先生なら社会科準備室にいるよ。特別教室棟の三階にあるからいってごらん」

「ありがとうございます」

 教師は一瞬首を傾げたが、筑紫の立場を知っているのかすぐに教室の場所を告げる。礼を言うと筑紫は鞄を持って教室を後にした。

 犬童とは、表向きの《軍毅》の名だ。何故かはわからないが、この学園で教師をしているらしい。


「すみません、犬童先生はいらっしゃいますでしょうか」

 尋ねながらノックをしたが返事がない。筑紫は少しだけ迷ったが、扉を開くと大きな声で再度呼びかけた。


「失礼します。犬童先生はいらっしゃいますでしょうか」

「えっごめん、聞こえてなかった!ごちゃごちゃしててごめんね!今行くよ!」

 一番奥の席から積み重なった書類の山を掻き分けるように出てきたのは、肩まで届く白髪を赤い紐で結わった青い目の青年だった。

 右眼を眼帯で覆い、グレーのストライプのYシャツを七分丈の黒いワイドパンツにゆるく突っ込んでいる容貌は、浅黒い肌も相まって異国情緒溢れる雰囲気を感じる。


 自分より小柄なその青年を見ながら、筑紫はゴクリと息を呑む。柔和な笑みを浮かべている筈なのに、言いようのない圧力に押し潰されてしまいそうだ。


「僕は犬童。社会科の歴史を教えている。これから三年間よろしくね?《防人》くんには《軍毅》って言った方がいいかな」


「どちらでも結構です。本日より軍毅殿にお仕えいたします筑紫と申します。誠心誠意お仕えいたしますのでよろしくお願いいたします」

「久しぶりだね筑紫くん。そんな固くならなくていいよ」

 にこやかに笑いながら差し出された手を握る。少し冷たい手だなと考えながら、筑紫は表情を引き締めた。


「いえ、俺は《防人》ゆえ、軍毅殿に失礼な口は利きません」

「ええ…令和の世に武士みたいな子が来るなんて。前の《防人》の女の子はとても騒がしかったよ?」

「叔母ですね。あの方はとても自由人ですから」

 転入試験に向けて勉強していた時、何度か叔母は筑紫の元に訪ねてきていた。

《防人》の話が聞けるかと思ったが、叔母の口から出たのは《軍毅》の好みや外見の話ばかりで、使命のことなどこれっぽっちも触れなかった。


「そう言えばおはぎが好きと伺いましたので、こちらを持ってきました」

「わあ!ありがとう!!じゃあお茶淹れるから食べながら話をしようか」

 ぱっと太陽のように明るい笑みを浮かべると、犬童は書類をズラしてどこからか持ってきた二つの湯呑みに急須からお湯を注いだ。

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