葉桜峠の月の夜に-風来坊と、白刃と-

@SakuraElf

葉桜峠の月の夜に

「葉桜ってのぁ、綺麗だとぁ思わないかい、お兄さん」


 月夜の下、みのを着た男は背中越しに語らった。


「てめえ、このに及んで何をほざく?」


 蓑の男の首筋には、一振りのやいばがかかっていた。長いこと刀鍛冶の研ぎを受けていないようで、刃のしのぎに照る月光は、濁っている。

 蓑の男に刃を向けたのは、蓬髪ほうはつの男。蓬髪の男が着る、継ぎだらけの小袖こそでには、あちこちに黒くなった血の染みが散っていた。


「いやぁね、桜の花を綺麗だというお人は、浮世にいくらでもいるでしょうよ。けれどね」


 蓬髪の男の正体は、この峠道に近頃出る追い剥ぎに他ならない。

 されども、蓑の男はなお春風しゅんぷう駘蕩たいとう。峠道のかたわらの岩に、腰を落ち着けたまま。右手で徳利とっくりを、左手に猪口ちょこをも持ち出す始末。

 蓑の男は、徳利の中身を、猪口へと注いで、一人ごちる。


「桜の花ってのぁ、お兄さん、あんたも知ってる通り、ほんのわずかの時しか咲かねぇ。なげぇ一年の中、せいぜい欠けた月が満ちるくらいの間だけ、花が開いていられる。それが終われば、花びらは風に散り、後に残るのは葉桜ときたもんよ」


 蓑の男の猪口には、どろりとした白い酒が注がれた。

 白い酒の水面みなもに映るは、よわいにして四十を超え、不惑ふわくを迎えたかと見られる男の顔。男の両の目は、波打つ酒の上で閉じられる。

 猪口の中の波が静まる頃に、不惑を越えた蓑の男は、詩をぎんじるかのごとくに言う。


「いわばさくらにゃ、はるはおまつり。

一年いちねん一度いちどおお舞台ぶたい


なつ日差ひざしにあきしもに、

ふゆゆきさえしのび、

ようやくむかえるれのよ。


れのわりゃあ、ただって、

はなわりにけて、

ぐるり春夏秋冬はつなつあきふゆが、

もいちどまわるをがれ。


こいつぁなんとも健気けなげだと、

おもいやしないかおにいさん?


――ってなぁ」


 蓑の男は、峠道の並木へとおとがいを向ける。

 そこに並ぶは、若葉の木々。その根元では、薄桃色の花びらが幾重にも重なり、地面の土にまみれていた。

 蓑の男は、猪口に満ちた白い酒を、一口あおる。


「お兄さん。あんたもそのからすると、あっしと同じでござんしょう? いくさの世が去り、泰平たいへいの世が来て、お腰のものを振るう腕を誰にも買ってもらえなくなり、食い詰めた口。そう、あっしらはもう世に咲く花じゃあねえ。あっしらはあの桜のように、はかなく散った身空みそらでしょう」


 蓑の男は、緩やかに懐に手を入れた。追い剥ぎの男はいきり立つも、白刃に力がこもる前に、もう一度蓑の男の手が出る。

 蓑の男は、もう一つの猪口を取り出し、静かに彼の座る岩の上に置いた。


「ですがね、お兄さん。あっしらは散った桜とは言え、まだまだちるには早い。そう、あっしらは今は葉桜なんでさぁ。もいちど月日が巡りさえすれば、花実はなみの咲く日はきっと来る。そういうわけで、どうでしょう? 今はあっしと一緒に、葉桜をさかなに酒をご一献いっこん、としゃれこみましょうや」


 蓑の男は、取り出したもう一つの猪口の上へと、徳利を持って行く。

 猪口目がけて、白く濁った酒が注がれた。

 その猪口を、追い剥ぎとなった蓬髪の男が白刃で切り捨てた。


「そんな下らねえ酔っ払いの寝言が、てめえの辞世じせいの句か?」


 追い剥ぎの振るった刀は、蓑の男の差し出した猪口を、水平に輪切りにしていた。

 もはや脚しか残らない猪口からは、白く濁った酒があふれ出し、岩を濡らした。

 蓑の男は、わずかばかりの間をおいて、ため息をつく。


「そうかい。せっかくここで会ったのも何かの縁かと、一緒に酒でもと思ったが、こいつがあんたの答えかい」


「そうだ。てめえの命と六文銭もろとも、有り金全部置いて行ってもらうぜ。今の俺は、これで飯を食ってるんだからな」


「なら、その有り金につけるおまけといっちゃあなんだが、あっしも一つお兄さんに、お節介を焼かせてもらおうか」


 蓑の男は、ゆらりとその身を起こし、立ち上がった。

 背ではなく、腹の側を追い剥ぎに向けながら、蓑の男は言い聞かせる。


「お兄さんは、一つ噂を聞いてるかい? 最近この峠道では、『熊』が出るって噂をね」


「……あぁ? 『熊』だぁ?」


「そう。それはそれはおっそろしい、月輪熊つきのわぐまだそうで。そいつに会ったが最後、鋭い爪が一振りされる。その一振りだけで、人間の体なんざ、魚みてぇに三枚におろされちまうって話らしい」


 蓑の男は、首の紐で背にかけた三度さんどがさを、ひょいと頭の上まで持ち上げた。


「どうだいお兄さん。おっそろしい話だろう? あっしもそのことを思い出したら、旅路たびじを急ぎたくなっちまった。ささ、お兄さんも早く、別の場所に行った方が良いんじゃないかい? 峠道の月輪熊つきのわぐまにばったり会って、三枚おろしになるなんて、お兄さんだって勘弁でしょう?」


 蓑の男は三度笠の紐を締め直し、追い剥ぎの男に背を向けて、歩き出す。

 だが、それよりも早かったのは、追い剥ぎの男が、蓑の男の背に浴びせた一太刀だった。


「調子のいい出任せを言って、俺をだまくらかして逃げようったって、そうはいかねえぞ、この酔っ払いが」


 袈裟けさ一閃いっせん

 追い剥ぎの握る刀が、月の光で鈍くきらめくころには、蓑は二つに切り分けられていた。


「ったく、あの酔っ払いの野郎、くだらねえ寝言に付き合わせやがって……ん?」


 追い剥ぎが、腰の鞘に刀をしまおうとする。寸前で、追い剥ぎは目をこすった。

 追い剥ぎの目の前では、確かに二つに切り分けられた蓑が地面に落ちている。

 しかしながら、男の握る刀は、あぶらをわずかも吸っていない。

 それを悟れば、追い剥ぎは叫んだ。


「な……あの酔っ払いの野郎! どこに行きやがった!?」


「酔っ払い? あっしのことですかい?」


 蓑を着ていた男の声。追い剥ぎの男の背から届く。


「あっしなら、ここでさぁ」


 蓑の男は、追い剥ぎの背に回っていた。蓑の男は、その顔を、追い剥ぎの首元にまで近づけて、うそぶいていた。


「て……てめえ!」


 追い剥ぎは、背の男に肘鉄ひじてつを打ち込みつつ、前に一歩を踏み込む。踏み込みで間合いを離したなら、振り返りざまによこぎの一閃いっせん

 だが、そう動くよりも更に速く、月光の下でもう一振りの刀が輝いた。それもただ、一度きり。


「ごばっ!」


 追い剥ぎは、吐息と共に赤いものを口から吐き出す。

 追い剥ぎの胴には、三筋みすじの刀傷が刻まれていた。いずれも、胴に三寸以上斬り込んだ、命にいたる深いもの。


「ごめんなすって、お兄さん。おこがましいと思って黙っちゃいたんだがね」


 蓑の男は、その下に着ていた黒の羽織と、手に握られた刀とを、月の光のもとにさらしていた。


「この峠道に出る月輪熊つきのわぐまってのぁ、実はあっしのことなんでさぁ」


「『熊』……て……てめえはまさか……!」


 蓑を着ていた男は、追い剥ぎの血に濡れた刀を一振り。懐紙かいしで刃を拭いながら、その背を向ける。

 どう、と追い剥ぎの男が地面に倒れ伏す。蓑を着ていた男の後ろで。

 蓑を着ていた男の背中では、かつて白く染め抜かれたはずの、古ぼけた家紋が月光にえていた。


「いかにも。


戦場いくさばさんじてかたないて、

ただの一度ひとたびやいばれば、

きざむは三筋みすじ刀傷かたなきず


おにものそのたぐい

否々いないなあれこそ月輪がちりんを、

にしいたるあばぐま


――なんて、昔はあっしもうたわれたもんでさぁ」


 空に浮かぶ三日月の下に刻まれた、三本の横線。

 かつていくさが世にあふれていた頃、「月輪がちりんさん文字もじもん」と呼び習わされ、多くの戦人いくさびとからの恐怖の対象となっていた紋が、蓑を着ていた男により、背負われていた。


「わけあってとは言え、申し遅れてすいやせん。そのご様子だともうお気付きかとぁ存じますが、駄目を押すため名乗らせていただきやす」


 刃が一度ひらめく間に、三度も振るわれた男の刀。その切っ先は、腰のさや鯉口こいくちに合わせられていた。


せい熊谷くまがや巌十郎がんじゅうろう


月邦つきくにりゅう師範しはん

つながらもつつしんで、

けたるたびそら


熊谷くまがや巌十郎がんじゅうろう月邦つきくに……人呼んで『月輪熊つきのわぐま巌十郎がんじゅうろう』とは、あっしのことでさぁ。三途さんずの川のわたもりへの、みやげ話にでもしてくだせぇ」


 巌十郎がんじゅうろうの名を名乗った男の腰で、刀のつばさや鯉口こいくちが合わさり、鈴のように響いていた。


(幕間)


 熊谷くまがや巌十郎がんじゅうろう月邦つきくには、最後の路傍ろぼうの石を、峠道の端に積み上げた。

 路傍ろぼうの石は、からりと鳴る。その下のつち饅頭まんじゅうに入った者への、念仏の代わりと言わんばかりに。


「しかし勿体もったいいねぇ、お兄さん。葉桜として次の春を待つでもなく、そのままちる方を選ぶとは」


 巌十郎がんじゅうろうは、墓石として積まれた路傍ろぼうの石から、すっ、と手を離し立ち上がった。

 月の光に照らされる、葉桜の桜並木。それは追い剥ぎの男が切り捨てられた後も、変わらずに夜風にそよぐ。


「あっしだって、人に説教垂れられる立場じゃあございやせん。あっしも口にのりするために、この下の街で、峠の追い剥ぎ退治料として、銭をもらって来た身でごぜえます。だからこそ、あっしと同じ食い詰め剣客であるお兄さんとは、刀じゃなくて酒瓶さかびんを交えて、その後お兄さんには、峠を静かに去って欲しゅうござんした」


 巌十郎がんじゅうろうは、手を羽織の懐に伸ばした。今一度、徳利と猪口を取り出すために。

 徳利から猪口に、白く濁った酒が注がれる。

 巌十郎がんじゅうろうは月を見上げて、猪口の酒をあおった。


「それとね、お兄さん。もひとつ言い忘れたことがありやす」


 猪口から離された巌十郎がんじゅうろうの口からは、夜風に乗って言葉が流れる。


「あっしは別に、酔っ払っちゃあございやせんよ。なんせあっしは、昔っから酒はてんでダメなんでさぁ。なもんで、こいつぁ甘酒。酒は酒でも、甘酒でござんす」


 葉桜並木の峠道に立つ者は、今や巌十郎がんじゅうろうただ一人。

 ゆえに、巌十郎がんじゅうろうのそのくちびるに寒い諧謔かいぎゃくを聞くのは、彼の背負った月輪がちりんさん文字もじもんだけだった。


(幕引)

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