葉桜峠の月の夜に-風来坊と、白刃と-
@SakuraElf
葉桜峠の月の夜に
「葉桜ってのぁ、綺麗だとぁ思わないかい、お兄さん」
月夜の下、
「てめえ、この
蓑の男の首筋には、一振りの
蓑の男に刃を向けたのは、
「いやぁね、桜の花を綺麗だというお人は、浮世にいくらでもいるでしょうよ。けれどね」
蓬髪の男の正体は、この峠道に近頃出る追い剥ぎに他ならない。
されども、蓑の男はなお
蓑の男は、徳利の中身を、猪口へと注いで、一人ごちる。
「桜の花ってのぁ、お兄さん、あんたも知ってる通り、ほんのわずかの時しか咲かねぇ。
蓑の男の猪口には、どろりとした白い酒が注がれた。
白い酒の
猪口の中の波が静まる頃に、不惑を越えた蓑の男は、詩を
「いわば
ようやく
ぐるり
もいちど
こいつぁ
――ってなぁ」
蓑の男は、峠道の並木へと
そこに並ぶは、若葉の木々。その根元では、薄桃色の花びらが幾重にも重なり、地面の土にまみれていた。
蓑の男は、猪口に満ちた白い酒を、一口あおる。
「お兄さん。あんたもその
蓑の男は、緩やかに懐に手を入れた。追い剥ぎの男はいきり立つも、白刃に力がこもる前に、もう一度蓑の男の手が出る。
蓑の男は、もう一つの猪口を取り出し、静かに彼の座る岩の上に置いた。
「ですがね、お兄さん。あっしらは散った桜とは言え、まだまだ
蓑の男は、取り出したもう一つの猪口の上へと、徳利を持って行く。
猪口目がけて、白く濁った酒が注がれた。
その猪口を、追い剥ぎとなった蓬髪の男が白刃で切り捨てた。
「そんな下らねえ酔っ払いの寝言が、てめえの
追い剥ぎの振るった刀は、蓑の男の差し出した猪口を、水平に輪切りにしていた。
もはや脚しか残らない猪口からは、白く濁った酒があふれ出し、岩を濡らした。
蓑の男は、わずかばかりの間をおいて、ため息をつく。
「そうかい。せっかくここで会ったのも何かの縁かと、一緒に酒でもと思ったが、こいつがあんたの答えかい」
「そうだ。てめえの命と六文銭もろとも、有り金全部置いて行ってもらうぜ。今の俺は、これで飯を食ってるんだからな」
「なら、その有り金につけるおまけといっちゃあなんだが、あっしも一つお兄さんに、お節介を焼かせてもらおうか」
蓑の男は、ゆらりとその身を起こし、立ち上がった。
背ではなく、腹の側を追い剥ぎに向けながら、蓑の男は言い聞かせる。
「お兄さんは、一つ噂を聞いてるかい? 最近この峠道では、『熊』が出るって噂をね」
「……あぁ? 『熊』だぁ?」
「そう。それはそれはおっそろしい、
蓑の男は、首の紐で背にかけた
「どうだいお兄さん。おっそろしい話だろう? あっしもそのことを思い出したら、
蓑の男は三度笠の紐を締め直し、追い剥ぎの男に背を向けて、歩き出す。
だが、それよりも早かったのは、追い剥ぎの男が、蓑の男の背に浴びせた一太刀だった。
「調子のいい出任せを言って、俺をだまくらかして逃げようったって、そうはいかねえぞ、この酔っ払いが」
追い剥ぎの握る刀が、月の光で鈍くきらめくころには、蓑は二つに切り分けられていた。
「ったく、あの酔っ払いの野郎、くだらねえ寝言に付き合わせやがって……ん?」
追い剥ぎが、腰の鞘に刀をしまおうとする。寸前で、追い剥ぎは目をこすった。
追い剥ぎの目の前では、確かに二つに切り分けられた蓑が地面に落ちている。
しかしながら、男の握る刀は、
それを悟れば、追い剥ぎは叫んだ。
「な……あの酔っ払いの野郎! どこに行きやがった!?」
「酔っ払い? あっしのことですかい?」
蓑を着ていた男の声。追い剥ぎの男の背から届く。
「あっしなら、ここでさぁ」
蓑の男は、追い剥ぎの背に回っていた。蓑の男は、その顔を、追い剥ぎの首元にまで近づけて、うそぶいていた。
「て……てめえ!」
追い剥ぎは、背の男に
だが、そう動くよりも更に速く、月光の下でもう一振りの刀が輝いた。それもただ、一度きり。
「ごばっ!」
追い剥ぎは、吐息と共に赤いものを口から吐き出す。
追い剥ぎの胴には、
「ごめんなすって、お兄さん。おこがましいと思って黙っちゃいたんだがね」
蓑の男は、その下に着ていた黒の羽織と、手に握られた刀とを、月の光のもとにさらしていた。
「この峠道に出る
「『熊』……て……てめえはまさか……!」
蓑を着ていた男は、追い剥ぎの血に濡れた刀を一振り。
どう、と追い剥ぎの男が地面に倒れ伏す。蓑を着ていた男の後ろで。
蓑を着ていた男の背中では、かつて白く染め抜かれたはずの、古ぼけた家紋が月光に
「いかにも。
ただの
――なんて、昔はあっしも
空に浮かぶ三日月の下に刻まれた、三本の横線。
かつて
「わけあってとは言え、申し遅れてすいやせん。そのご様子だともうお気付きかとぁ存じますが、駄目を押すため名乗らせていただきやす」
刃が一度
「
(幕間)
「しかし
月の光に照らされる、葉桜の桜並木。それは追い剥ぎの男が切り捨てられた後も、変わらずに夜風にそよぐ。
「あっしだって、人に説教垂れられる立場じゃあございやせん。あっしも口に
徳利から猪口に、白く濁った酒が注がれる。
「それとね、お兄さん。もひとつ言い忘れたことがありやす」
猪口から離された
「あっしは別に、酔っ払っちゃあございやせんよ。なんせあっしは、昔っから酒はてんでダメなんでさぁ。なもんで、こいつぁ甘酒。酒は酒でも、甘酒でござんす」
葉桜並木の峠道に立つ者は、今や
ゆえに、
(幕引)
葉桜峠の月の夜に-風来坊と、白刃と- @SakuraElf
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