第三章 §5 「力の対等性と実戦試験」

「もう一度いくぞ。次は――属性を切り替えてみろ」

デリックの声が訓練場に響く。

レイはすぐに魔力を練り直し、空中に浮かぶ構文の一部を改変した。

火炎の構文を切り捨て、氷槍の構文へと再構成する。

詠唱は、声に出す前に意識下で終えていた。

「――氷槍アイスランス!」

空気を裂くように鋭い氷の槍が、標的の中央を正確に貫いた。

氷片が弾け、数秒の静寂の後、デリックが短く言った。

「今の、構文時間は2秒を切っている。……十分だな」

息を整えながらも、レイの視線は揺るがない。

省略詠唱による連続発動は、まだ不安定だが、成功率は明らかに上がってきていた。

単発魔法に限って言えば、既に実戦でも十分通用する水準にある。

だが、それでもデリックの表情に満足の色はなかった。

「技術的には――もう、教えるべきことも少ない。だが……」

「経験と、判断。」

「そうだ。頭で理解しているだけでは、いざという時に身体が動かん。

だから……やるぞ。実戦形式での模擬戦だ」

レイの胸が、わずかに高鳴る。

単なる訓練ではない。

省略詠唱という新たな武器を手にしてから初めて、

自分の力がどこまで通用するのかを試す機会が訪れたのだ。

デリックは既に背を向け、訓練場の中央に歩いている。

「構えは不要だ。俺を倒すつもりでかかってこい、レイ」

「……了解です」

魔力が静かに滾りはじめた。地面の魔素がざわつき、空気の密度が変わる。

その日、訓練場に立つふたりの間には、確かに――“対等な力”の緊張が存在していた。

魔法の発動は、ほとんど同時だった。

レイが右手を前に突き出し、省略詠唱で編んだ《火弾〈ファイアボルト〉》を放つと、

デリックの足元には既に防御障壁が展開されていた。

火球が当たった瞬間、青白い衝撃波が弾け、空気が震える。

「速いな。だが、それだけじゃ届かない」

デリックの声とともに、反撃の《風刃〈ウィンドスラッシュ〉》が横一線に飛ぶ。

鋭い風の刃は寸分の狂いもなくレイの肩を狙ってきた。

咄嗟に、レイは《氷盾〈アイスウォール〉》を即興で編み出し、

前方に氷の壁を展開。だが、砕けた氷片とともに風刃は肩をかすめ、

制服の布地を裂いた。

「っ……!」

傷は浅い。けれど、油断は出来ない。

「省略詠唱の練度が上がったのは分かる。だが、それだけで俺に勝てると思うなよ」

デリックの口調に嘲(あざけ)りはない。

純粋な“差”を認めさせようとする教官としての厳しさがあった。

(わかっている……! でも、それでも――)

レイは跳ねるように後退し、次の魔法を編み始める。

《風刃〈ウィンドスラッシュ〉》《氷弾〈フロストショット〉》《岩槍〈ストーンピアス〉》――三重詠唱。いずれも威力より、制圧と連携を重視した構成だ。

“対等”という緊張は、すでに戦いへと転化していた。

________________________________________

レイの手から、まず《風刃〈ウィンドスラッシュ〉》が放たれた。

鋭く裂ける空気音とともに、三条の刃が扇状に広がりながらデリックへと迫る。

だがデリックはわずかに身をずらすだけで、それをかわした。

次いで、《氷弾〈フロストショット〉》が低軌道で滑るように地面を走り、

《岩槍〈ストーンピアス〉》が足元から突き上げる。

三方向からの同時攻撃。タイミングも完璧だった――はずだった。

しかし、デリックの詠唱は一瞬。

「〈圧縮(コンプレッション)障壁(フィールド)〉」

低く呟かれた声と同時に、彼の周囲に淡い球状の魔力膜が展開された。

すべての攻撃が、まるで粘性のある空気に押しとどめられたように、

その膜に吸い込まれていく。

「複合詠唱か。だが、順番を並べただけじゃ意味がない」

《圧縮障壁〈コンプレッションシールド〉》が消えると、

デリックの姿はそこに無傷で立っていた。

レイは息を詰め、内心で冷や汗を流す。

確かに、今のは“連続”にすぎなかった。

各魔法は干渉せず、単独での発動に留まっていた。

(連携が甘い……)

省略詠唱による速度は武器になる。

しかし、それをどう組み合わせ、どう機能させるか――そこに「経験」が問われる。

「次は、俺の番だ」

レイが何かを唱えるより早く、デリックが両手を広げた。風が巻き起こる。

空気の質が変わる。魔素が一斉に収束していく。

――高位魔法の気配だ。

「《雷鎖〈サンダーチェイン〉》」

一瞬後、レイの足元から金色の鎖が走った。

回避しようと跳ねた瞬間、その軌跡が分裂し、彼の動きに合わせて軌道を変えてきた。

(追尾式――!)

とっさにレイは《風壁〈ウィンドシールド〉》を発動、

足元から上方向に風の膜を立ち上げる。

雷鎖は一度絡みついたが、勢いが弱まり、その隙にレイは横へ跳ぶ。

着地の瞬間には、すでに次の詠唱を開始していた。

「《雷球〈ライトニングボール〉》!」

手のひらに集めた魔素が圧縮され、青白く輝く球体となって飛ぶ。

雷鳴のような音とともに、一直線にデリックへ――

だがその瞬間、デリックの周囲の空気が“切り替わった”。

《歪曲障壁〈ディストーションフィールド〉》。

雷球が近づいた瞬間、まるで重力の向きが変わったかのように軌道がねじ曲がり、

壁のように展開された魔力空間に吸い込まれて消えた。

(……っ、全て、読まれている!)

「思考の速度。詠唱の精度。そして――

判断の引き出しの数。それが、今のお前との“差”だ」

デリックの声は静かだったが、重みがあった。

レイは歯を食いしばる。

省略詠唱という技術で、一時は“対等”に立った気がしていた。

だが、それは“入り口”にすぎなかった。

真に戦場で通じるのは、技術そのものではない。

技術を“使いこなす判断”と、“選び抜く経験”――

それが、いま目の前の差だ。

だが、レイの目にはまだ諦めの色はなかった。

省略詠唱はまだ伸ばせる。魔法の組み合わせも、きっともっと洗練できるはずだ。

(終わらせない……。まだ、いける)

彼は深く息を吸い、立ち上がる。

「もう一度、お願いします。デリック教官」

静かに、それでも力強く。

そして――戦いは続いた。

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