第二章 §3 前半「術式理解の臨界点」

その後日、レイはダリウスの案内で帝都の中央図書館へ足を運んだ。

行政中枢に隣接する制限区域、その一角に鎮座する巨大な建造物は、

都市の中でも異質な存在だった。

幾何的に整えられた灰白色の外壁に、

ところどころ風化した石柱が突き刺さるように立ち、

重々しい鉄扉には古代語の文様が刻まれている。

近代技術と古代信仰が無理やり結び合わされたようなその姿は、

まるで時代の境界に亀裂が入ったような風景だった。

扉をくぐった瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

紙とインク、そして石灰の香りが混じった匂いが鼻を刺し、すぐに背筋が伸びた。

午後の斜陽が高窓から射し込み、書架と書架のあいだに、細く長い光の帯を描いている。

その光のなかで微細な塵がゆっくりと舞い、

まるで建物そのものが静かに呼吸しているかのようだった。

奥へ進むほどに、時間の流れは沈んでいく。

広大な閲覧室には、古びた書籍と巻物が整然と並び、

そのあいだには、かつて最先端だったのだろうと感じさせる、

読解装置や魔導端末が置かれていた。だがどれも使い込まれ、半ば遺物と化している。

その静謐(せいひつ)な空間の一隅で、レイは一冊の分厚い本に視線を落としていた。

──《術式体系と現代魔法の基礎》。

現地で一般的に使用されている魔法の形式を網羅した学術資料であり、

詠唱術式、紋章術式、召喚術式、符術式、精神術式といった“魔法の型”が、

体系的に分類されていた。


たとえば、

「詠唱術式」は言語を媒介に魔力を起動させる、最も古典的な方法。

「紋章術式」は記号や図形に魔力を定着させ、条件を満たすことで起動する形式。

「召喚術式」は異界との契約を前提に、他存在の干渉を導く行使魔法。

いずれも、術者と魔力の関係性を形式として抽出し、

再現性と安定性を追求するために構築された手法だ。

だが、ページをめくるたびに、レイの眉間にはわずかな皺(しわ)が寄っていた。

理解はできる。構造も理屈も、決して難解ではない。

──けれど、“しっくりこない”。

あたかも、回り道を強いられているような感覚だった。

理論と体感のあいだに、うっすらとした膜が挟まれている。

まるで自分の直感に、何かが干渉しているような違和感。

思考をそのまま力に変換する──そんな感覚が、どこにもない。

型に魔力を流し込むだけでは、何かが足りない。

いや、そもそも“何か”が異なっている気がする。

(それにしても…どうしてこの異世界の言語が、こんなにすんなり理解できているんだ?)

不意に、レイはふと疑問に思った。

目の前に並ぶ記録はすべて、彼が元居た世界の言語ではないはずだ。

 異世界の言語だと聞いていたし、

何度か不安定な感覚に襲われたこともあったはずなのに、今では不安感も、

違和感もなく読めている。

まるで、ずっと前から知っていた言語のように──そんな奇妙な感じが、彼の中にあった。

その謎に悩まされながらも、レイは読んでいた本を閉じ、

隣に積まれていた別の一冊に手を伸ばした。

──《原初位階の術式変遷(へんせん):帝国成立以前における秘伝記録》。

時代の重みを感じさせる革装丁。

ページをめくるごとに現れるのは、既に失われた古代語の記述、

螺旋と接点が交錯する幾何構造の呪式図、そして術者の精神変容を示す注釈。

理論書というよりは、記録と体験が混ざり合った“痕跡”のようだった。

(これは──形式になる前の魔法だろうか?)

現代とは異なる前提。理解は難しい……はずだった。

だが、不思議なことに、そこに描かれた構造はレイにとって驚くほど

“馴染み深い”ように感じた。

視覚ではなく、初めから感覚で覚えていたかのように。

記憶というより、どこかで“知っていた”としか言えない既視感。

イメージだけが先に輪郭を持ち、その後から意味が浮かび上がってくる。

(どうして…“分かる”と感じる?)

これは論理ではない。言葉でも記号でもない。

心の奥深くに沈んだ何かが、ページの構造と共鳴している。

そして、それを“意味”として受け取っている。

魔力とは、数式や詠唱の産物ではなく、心象を触媒として現れる“応答”なのではないか?

理解と発動のあいだに媒介を必要とせず、意志がそのまま現象へと至る。

それは、レイが直感的に追い求めていた魔法の在り方と重なっていた。

ページの端に記された一節が、彼の目を引いた。

《構築術式》──

魔力を構造化し、実体化させる初期技術。

対象を定義し、力場を組み上げ、発現へと至るための最も原始的な術式。

だが、現代の魔法におけるそれとは、根本的に異なる感覚だった。

現代の理論書が記す《構築術式》は、型に従って魔力を使い、

物質を形作る手法にすぎない。

それに対して、古代の術式で描かれた構造は、

型に魔力を「流し込む」のではなく、魔力と意志の力により“構築する”

という本質的な違いを感じさせるものだった。

そこに描かれていた図式は複雑だったが、どこか“手応え”のようなものがあった。

自分の中にあった曖昧な感覚と、初めて重なる構造。

「……ただ、術式をなぞるのではない。

魔法は、魔力と意志の力のみで発動させた時、初めて魔法と呼べる物なのか…。」

声が漏れる。誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かせるように。

“構築”という言葉に、レイは確かに自分の在り方を見た。

それは、与えられた型に従うのではなく、自らの内側から魔法を“創り出す”という行為。

意志と像が直結し、意味が構造を形成する──そういう魔法が、

この世界には確かに存在する。

そして、自分こそがそれを扱う存在であるのかも知れない。と──

その確信が、静かに芽吹き始めていた。

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