第一章 §3 「無言の装備」

 レイは、無機質な照明の下で立ち尽くしていた。

 淡く光る天井灯が、彼の影を静かに床に落としている。

 目の前にある旧式の軍用戦術ケース。

 黒鉄の装甲は重厚で、わずかな光すら沈み込むように吸い込み、

 静かに威圧感を放っていた。

 無数の微細な傷痕が外装を覆っている。それは単なる摩耗ではない。

 幾つもの戦場を共にくぐり抜けた「証」。

 そこには、熱と血と、声にならなかった悲鳴が、沈黙のまま焼きついていた。

 レイの視線は、長くその表面に留まっていた。

 肺の奥に溜めた空気が、やがて静かなため息となって漏れる。

「……使う日が、また来るとはな」

 独り言にも似たその声は、照明の反響にさえ触れず、ただ空気に溶けていった。

 かつての記憶──焼け焦げた金属の匂い、裂ける空気、死の気配が支配する無音の瞬間。

 だが、今の彼に感傷は不要だった。

 ゆっくりと手袋をはめ直し、指を一度握る。

 次の瞬間、レイは静かにケースの蓋を開いた。

 中に並ぶ装備群は、整然と、しかしまるで意思を持つかのように、彼を待ち受けていた。


 最初に手を伸ばしたのは、TACT―ARM《タイプⅯ改》。

 右腕を覆う戦術支援装具──

 重厚な外骨格のフレームは、手にした瞬間に冷たく沈黙を伝えてくる。

 装着。

 小さく、確かなロック音。

 関節部の制御ユニットが静かに始動し、微細な振動が骨を通じて体に溶けていく。

 まるで装備が「戻ってきたか」と呟いたかのように。


 続いて、量子フィールド・モジュレータを手に取る。

 無骨な構造。だが、その性能は比類なき精度を誇る。

 異常な空間歪曲──見えない“兆候”を感知するこの装置は、

 数え切れないほど彼の命を救ってきた。

 ベルトに固定。

 青く点るインジケーターの光が、闇を優しく照らす。

 それは一種の祈りのようでもあった。

 次は、ナノ群体分析ユニット《Swarm‐Eye》。

 昆虫の卵のような無数の小型ドローンが、磁気格納パックの中に蠢いている。

 接続すると数匹が浮かび上がり、羽音にも似た微振動と共に空間へ散開する。

 罠の検知、遺構の解析、死角の索敵。

 それはただの“装備”ではない。

 レイにとって──「未知」に触れるための、感覚器官の延長だった。

 彼は淡々とした手つきで、次の装備に移る。


 自己修復型インターフェース・デバイス《CIN》。

 楕円形の筐体を接続し、内部を走る微弱電流が、筋肉を僅かに刺激する。

 背筋を抜ける不快な電気のざわめき。

 それは、戦う身体への切り替えの合図。

 かつて何百回も繰り返した、否応なく戦場に引き戻される儀式。


 最後に、量子記録デバイス《Quantum Recorder》。

 金属の表面に指を滑らせながら、彼は一瞬だけ、

「未来を記録する」という意味を想像する。

 この装置が記録するのは、映像でも音でもない。

「そこに存在したという事実」そのもの──観測できない“異常”を証明する。

 ただ一つの手段。

 首元のマウントに接続。

 軽く叩き、起動確認。

 静かにケースの蓋を閉じたとき、わずかな金属音が室内にこだまする。

 レイは、何も言わずに肩を回した。

 そこには、かつて馴染んでいた感覚が、確かに蘇りつつあった。

 懐かしさと緊張。

 それは決して過去の亡霊ではなく、今まさに立ち向かうべき現実の一部。

「さて……準備は整った。次は──」

 彼の視線が向く先。

 そこには閉ざされた扉と、その向こうに待ち受ける“静かなる戦場”がある。

 かつて離れたはずの場所。

 それでも今、レイは再び、その地に立つ覚悟を決めていた。

 無音のまま歩き出す。

 その足音だけが、密室の沈黙をわずかに破っていった。

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