第18話 好物のにおい
「行ってきます」
「ますにぃ」
明かり採りから差し込む陽光に歯をきらりと輝かせ、アウロニスは爽やかに片手を上げてみせた。隣のミャオフも同じ姿勢だ。
ふたりとも背嚢を負っている。アウロニスの方は書籍だという。道具屋の教授からの借り物を返すのだろう。
ミャオフの背嚢は空だ。市場でアウロニスに菓子を買ってもらい、詰め込んで帰る計画だと、朝から上機嫌でなんどもふたを開け閉めしながらエンディに説明したのだ。
「んん」
エンディは食堂の椅子の背もたれに身体を預けてずずと熱い茶を飲みながら、それでも喉の音だけで返事をし、小さく片手を上げて返した。
道具屋を三人で訪れた日から今日で五日目。装備の補修が仕上がるという約束の日なのである。アウロニスもミャオフもなにやら浮き浮きと今日を待ったのだが、昨夜になってエンディは、自分は行かないと言い出したのだ。
「ほんとにいいんですか、行かなくて」
食卓でなんとなく身体を小さくしているエンディに、アウロニスは苦笑に似た表情を向けた。
「いい。金は払ってある。あたしはやることがあるんだ」
「……昨日もおとといも、ずっとごろごろしてましたよね」
「今日はあるんだ、用事。いろいろと」
「……試着とか試用とか、しなくていいんですか」
「そんなのあの偏屈の前でやってみろ。信用しとらんのかってまた怒鳴られる」
「あはは。たしかに先生なら言いそうです。わかりました、僕ができる範囲で確認してきますね。でも先生、会いたがってると思いますよ、エンディさんに」
その言葉を聴いて、エンディは正面からの強風をふいに喰らったような顔をつくってみせた。ひらひらと手を泳がせる。
「やめてくれ……変人は変人どうしで仲良くやってればいい」
「わかりました。先生にそのように伝えておきますね」
おい、と腰を浮かせてエンディが声を返すが、いひひと笑ってアウロニスはもういちど手を振り、出て行った。ミャオフも両手をぶんぶんと振って彼についてゆく。
アウロニスはあの日、店を出るときに教授と握手まで交わしていた。
呼びかけも店主から先生に格上げとなっていたし、教授が彼を呼ぶのもお前ではなく君となっていた。
帰り道でもアウロニスは興奮に頬を染め、いかに教授の技術が卓越したものであるかをうるさく力説した。そして合間合間に、道具を分解してみてはじめてエンディがどれだけ高度な操作を行っていたかがわかった、感動したと、うっすら涙すら浮かべて彼女を褒めるのである。
エンディはどんな顔を作ってよいか分からないまま、怒りながら笑うような奇妙な表情を浮かべて背中のむず痒さに耐え続け、結果として道具屋に対する苦手意識が七割ほど積み増されてしまったのだ。
茶を持ったまま立ち上がり、窓に寄る。
アウロニスとミャオフがなにやら楽し気に話しながら去って行く背中が見えた。ふん、と口をいちど曲げ、それでもエンディの表情は柔らかく綻んだのである。
「……ちょうど、あのあたりだったな」
あの夜。
酒場の外で彼女を待ち、組み伏せられ、首に短針まで突きつけられながら、けっきょく彼女を家まで追ってきた王軍の男。
エンディにより閉め出されて、いま、彼女の唯一の家族と肩を並べて歩いてゆく、ちょうどそのあたりに立っていたのだ。
幼げを残す顔を、泣きそうに撓めながら。
「……なんでこんなことに、なっちまったんだろうな」
さも面倒くさそうに呟いて、だが、エンディはふっと笑ったのだ。
その理由を彼女自身も理解していない。
エンディの装備は、たんなる道具ではない。
魔法を使わない、使うことを許されない彼女にとっては、それは命そのものだ。だからこそ常に肌身はなさず纏っているのだし、この街でゆいいつそれを維持することができる教授には頭があがらない。
そして今日、それを受け取りにゆくことを、彼女はアウロニスに委ねた。やっかいな道具屋の相手を押し付けてやった、と彼女は思おうとしている。
が、それは恐らく正解ではあり得ないのだ。
二人の背が見えなくなるまで見送って、三人分の茶碗を片付けた。
しばらく椅子でぼけっとしたのち、ミャオフが干してくれた洗濯物の様子を見にゆき、アウロニスが並べておいた夕食の素材をしげしげと検分し終えると、もうやることが尽きてしまった。
寝室を兼ねる自室に戻ったが、いまは装備がひとつも手元にない。仕事の準備もできず、しかたなくベッドに寝ころんだ。
が、昨日は酒を飲まずに早めに寝たため、眠ることもできない。
「うう……掃除でもするか……」
呟いて立ち上がる。
掃除はミャオフと順番に担当しており、今日はミャオフの番だ。朝のうちに済ませたらしく、寝室も廊下も清潔だった。
それでも箒とはたきを持って、順番に部屋をまわった。ミャオフの部屋、物置になっている空き部屋と厨房、食堂。物置だけは多少ほこりっぽかったが、それでもすぐに終わった。
残るのは、奥のアウロニスの部屋だけ。
立ち入って良いものかは迷ったが、家主である。いまのところ家賃をせしめているわけでもない。ゆえに、自分にはこの住処の絶対的権限がある、と、彼女はふんと鼻息を吐いて扉の前に立ったのだ。
それでも、とんとんと、一応は拳で叩いて扉を開ける。
「……うお」
エンディは踏み込むのを躊躇った。
ベッドの周りに散乱する大量の本、なにやら書き付けた書類。図面のようなものもある。本の一部は道具屋から借りたものだろうが、いつの間にか自分でも買い込んでいたらしい。
しばらく迷っていたが、それでも手を出した。本を重ね、書類を彼女なりに丁寧に寄せ集め、あいた床を掃いてゆく。
その、とき。
書き付けのひとつが目を引いた。
読もうと思って読んだわけではない。いくつかの単語が、目に飛び込んだのだ。
ニーデバルト、扉の主。
始原による銀の呪い。
人間の、不可逆的な魔物化。
ずくり、と、右目が痛んだ。
ばんと手のひらを叩きつける。
右の銀の頬に爪を立て、掻きむしる。血が滲む。
腕と脚が震え、やがてがくりと膝をついた。
『……ふうん。魔物化、か。どう思う、エンデラーゼ』
声の主は、ベッドに腰掛けていた。
右の顔を抑えて振り向けた先に、ゼオが笑っているのだ。
金の縁取りがされた純白の薄甲冑、翠の髪、翠の瞳。
ただ、全身に銀のひかりを纏っている。
『僕の意見を言ってもいいかな。呪い、ではない。魔物化でもない。そもそもすべてが、あるべき姿に戻るだけだ。そう、いびつで不安定なかりそめの存在であることをやめる。それだけのことだ』
「……うる、さい」
エンディは髪をぐしゃりと掻きあげ、顔を背けた。その視線の先、扉に背を預けて腕を組んで立ち、ゼオは柔和な微笑を浮かべている。
『素敵な同居人ができたみたいじゃないか。彼は、君の渇きを癒せているかい。君の飢えを、満たすことができているのかい』
目を瞑り、頭を強く振る。そうして薄く開けた目の、そのすぐ先。彼女の頬に手をあてて、鼻の触れる距離に、翠の瞳があったのだ。
その中心に、小さく紅の光が灯っている。
『できはしないだろう。ふふ。可愛いひとだね、彼は。でも、この勝負は僕の勝ちだ。だって、君は……僕のことを、あんなに嬉しそうに……』
「だまれ!」
『嬉しそうに、喰べてくれたんだから。彼には手をつけていないんだろう、まだ。あはは。さあ、ほら。解放して。僕を……そして、君を。彼の魂はきっと、蕩けるように甘美だろうねぇ。はは。ははは』
がん、と床に額を叩きつける。
よろよろと立ち上がり、部屋を出る。右の銀を、壁に、あるいは柱に叩きつけ、削り取るように擦る。絶叫。自らの首に手を廻す。
締めるほどにゼオの姿も声も薄くなり、やがて消えたが、エンディは力を緩めなかった。
廊下に倒れていたエンディを、昼過ぎに帰宅したふたりが発見した。
アウロニスが使える限りの治癒魔法を施し、額と頬の裂傷は塞がった。
それでもエンディのかすかに開いた目にしばらくのあいだは意識が宿らず、アウロニスの手でベッドに運ばれ、目を覚ました時には陽が落ちていた。
エンディの手元に、ミャオフが頭だけを乗せて居眠りしていた。
彼女はその額を撫でようと手を伸ばし、ためらった。
厨房から煮炊きの音が聴こえてきていた。エンディの好物の匂い。
その匂いに沈み込むように、彼女は再びまどろみに身を任せていったのである。
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