第3話「マッサージの科学と猫の解剖学」
# 第3話 マッサージと猫の本能
僕がミーちゃんの肩を両手でもみもみすると、彼女は完全にとろけた顔になった。
「にゃああああ〜♪」
その表情は純粋に気持ちよさそうで、まさに猫がマッサージを受けているときの顔だった。僕はこの一週間で、ミーちゃんのそんな表情を見るのが好きになっていた。
「田中ぁぁぁ!」佐藤が絶叫。「それ完全にマッサージじゃないか!女の子に何してんだ!」
「猫のマッサージだ」
僕は手を止めずに答える。ミーちゃんが僕の手が止まったことに気づいて、小さく「にゃあ?」と鳴いたので、また優しく肩を揉み始めた。
「だから猫じゃ——」
「猫です」ミーちゃんがきっぱりと断言。「私は猫なので、こういうのは自然なことです」
その声には一切の迷いがなかった。
ここでマッサージの科学。猫の肩甲骨周りは人間と似ているようで全然違う。猫には鎖骨がない——正確には退化して小さな骨の欠片になっている。これが猫の驚異的な柔軟性の秘密だ。狭い隙間を通り抜けられるのもこのおかげ。
だからミーちゃんの肩をマッサージするときも、人間とは違うアプローチが必要なんだ。
美咲がぐったりとソファに座り込んだ。
「ねえミーちゃん、その…恥ずかしくないの?」
美咲の声には心配と困惑が混じっていた。彼女なりにミーちゃんのことを思ってくれているのが分かる。
「なんで?」
ミーちゃんが首をかしげる。その仕草もまた、猫そのものだった。
「だって、男の人にそんなに触られて…」
「猫だから平気です。それに」ミーちゃんが僕を見上げた。「この人、私のことを本当に猫として大切にしてくれるから」
その言葉に、僕の胸が少し温かくなった。信頼されているという実感が嬉しかった。
猫の信頼関係は複雑だ。母猫は子猫を舐めてグルーミングする。この行動が猫にとっての「愛情表現」の基本。人間が猫を撫でる行為は、この母猫のグルーミングを模倣している。つまりミーちゃんにとって、僕は母猫代わりなんだ。
そう考えると、なんだか照れくさくもあり、責任も感じた。
「にゃあ〜」
甘えるように鳴いて、ミーちゃんが僕の胸に顔をうずめる。彼女の髪の毛がくすぐったい。
「よしよし」
僕はミーちゃんの頭を撫でながら、首筋も軽くマッサージしてやった。猫は首回りのマッサージを特に好む。首は猫にとって急所でもあるため、そこを触らせてくれるのは究極の信頼の証なんだ。
「にゃあああ〜♪」
ミーちゃんがとろけるような声を出す。
「気持ちいいか?」
「にゃあ♪」
肯定の意味の短い鳴き声。僕はもう少し強めに首の付け根をマッサージした。
「なら今度はここも」
僕がミーちゃんの耳の後ろをくりくりと撫でると、彼女の身体がびくんと震えた。
「にゃあああ〜♪」
いつもより少し高い声。猫の耳の後ろには臭腺があって、ここを刺激されると特に気持ちよく感じるらしい。
「田中くん…」
美咲が複雑そうな顔でこちらを見ている。
「どうした?」
「あなたって、本当に猫のことよく知ってるのね」
「まあ、この一週間で色々と調べたからな」
実際、ミーちゃんが現れてから、僕は猫について必死に勉強した。彼女が快適に過ごせるように、猫の習性や好みを理解したかったからだ。
「でも」美咲が続ける。「ミーちゃんの反応、なんだか…」
「なんだかって?」
「いえ、なんでもない」
美咲は首を振ったが、頬が少し赤くなっているのが見えた。
「にゃあ♪」
ミーちゃんが満足そうに鳴いて、僕の膝の上で丸くなった。彼女の体温が温かくて心地よい。
「ありがとう」ミーちゃんが小さく言った。「とても気持ちよかった」
「どういたしまして」
僕はミーちゃんの背中を軽く撫でる。彼女は目を閉じて、完全にリラックスしていた。
佐藤が大きくため息をついた。
「お前ら、本当に不思議な関係だよな」
「そうかな?」
「普通だろ」ミーちゃんが眠そうに答える。「猫と飼い主の関係よ」
でも僕は、この関係が本当に普通なのかどうか、最近よく分からなくなっていた。ミーちゃんを撫でているとき、確かに猫を可愛がっているつもりなのだが、時々心臓がドキドキするのはなぜだろう。
「にゃあ〜」
ミーちゃんが小さく鳴いて、僕の膝の上でさらに丸くなった。その時、僕は改めて思った。
この子を守ってあげたい、と。
猫として、なのか。それとも——
その思考を振り払うように、僕はミーちゃんの頭を優しく撫でた。今は考えないことにしよう。
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