第2話 縁談とご飯
ひとまず颯真を客間に上げた。
結婚を申し込んできた若い男を、両親が不在の屋敷に上げるのは気が引けた。
しかし今の涼子にはやらなければいけないことがあった。
まず、雅信とミドリにお昼を食べさせなければいけない。
二人には別室で昼食を食べていてもらおうとしたが、ミドリが颯真の訪問に気付き、『嫁入り前のお嬢様と、殿方を二人きりにするわけにはまいりません!』と強く主張した。
結果、客間に面した縁側で、雅信が食事を取り、ミドリがその横に控えるという状況になってしまった。
縁側に続く障子戸は開け放たれていて、ミドリは客間と雅信両方に対し、目を光らせている。
奥の方に風月颯真を座らせたので、颯真からは縁側が正面に見える。
颯真はじっと雅信を見ている。雅信はほっぺに米粒をつけながら、元気に焼きおにぎりを頬張っている。姉からすれば可愛らしいが、お客様に見せるような光景ではない。
「……その弟が、ええと……お行儀が悪くて……」
「いや、あの年頃ならあんなものだろう。こちらこそ昼時に訪ねてしまって申し訳ない。自分の都合で子供に食事を我慢させるなど、武士の名折れです」
「あ、ありがとうございます」
丁寧だ。
しかし武士と来たか。
そういえば風月家は武士の家系で、今の身分は士族と聞いている。
格だけなら華族である典堂家の方が高い。
とはいえ典堂家はそんなことで威張れる状況にはもうない。
正門からしてボロボロな典堂家は、もちろんそこから客間に向かうまでの道のりも、ところどころ板やら紙やらが剥げていて、見るも無惨な状態である。
恥である。
こんな家に意気盛んな風月家の人間が何をしに来たのだろうか。
「……颯真さんは、おいくつでらっしゃるんですか?」
颯真が黙ってしまったので、涼子はひとまずそう尋ねた。
いきなり結婚に関して切り込むのも気が引けたが、だからといって当たり障りのない天気の話ができるほど、落ち着けない。
年齢。結婚の申し込みに対して尋ねるのには適切な事柄だと思う。
「今年、二十になりました」
「そうですか、私は十八です」
二十歳。当主としてはずいぶんと若い。家族は健在なのだろうか。
異能の家の当主は、年功序列以外に実力主義もあり、若くて有能な跡継ぎが生まれたら、さっさと譲ってしまうことも多い。
風月颯真もその手合いかもしれない。
伝え聞く話からすると、鬼を本当に一睨みで殺すかはともかく、実力者であることは間違いない。
「……それで、その……本日のご用件は」
門のところですでに言われたが、あれを即座に真に受けられる涼子ではない。
たちの悪い冗談かとも思うが、目の前の颯真はそんな冗談を言うような人間にも見えない。
「典堂涼子さんに結婚を申し込みに伺いました」
颯真は居住まいを正してそう言った。
「……何かの間違いでは」
涼子はどうにかそう言った。
「……あなたは典堂涼子さんですよね?」
少し困ったような顔で風月颯真はそう言った。
「はい、私が典堂家の一人娘、典堂涼子です」
「典堂家のお嬢さんは、治癒の力を受け継がれていると聞いています」
「まあ、一応」
昼前に雅信の指を治してやったように、涼子には治癒の力がある。
しかしどこから聞いたのだろう。涼子は能力を隠してはいないが、喧伝もしていない。
異能の家の娘はだいたい異能の家に嫁ぐから、釣書に異能の詳細を書いたりもする。
しかし涼子は今のところ結婚の予定はない。
よって釣書のような個人情報は出回ってはいないはずだ。
「今、風月家はとある理由で治癒の異能を必要としています、早急に。ですから典堂さんには当家に私の妻として入って、その力を振るっていただきたく思っています」
「政略結婚、というわけですか」
それ自体は異能の家に限らず、よくある話だから大きく抵抗があるわけではない。
ただ当主の結婚という切り札を使ってまで治癒の異能を必要とする理由は気になった。
「そう理解していただいて、問題ありません。もちろん妻として迎えたからには、それ相応の待遇をお約束します。こちらが望んで来ていただくのですから、典堂涼子さんからのご要望があれば、俺に叶えられることは叶えてみせます」
颯真はまっすぐ涼子を見つめながらそう言った。
「要望……」
涼子は少し考え込む。
「……見ての通り典堂家は現在、恥ずかしながら貧窮しておりまして」
「ええ」
風月颯真は静かにうなずいた。
その目には同情も侮蔑もなく、ただ涼子の言葉をそのまま受け入れていた。
「典堂家としては、あまり気分はよろしくないかもしれませんが、結納金にいくらでも上乗せできます」
「お気遣い痛み入ります……。ですが、その……」
この交渉を続けるのは、金の無心のようでなけなしの矜持が疼く。しかし明言しなければ。
「一時のお金で解決できない問題もあり……」
涼子は後ろをちらりと振り返った。雅信が美味しそうに卵焼きを頬張っている。作った甲斐があった。少しだけ心が和んだ。
「弟の雅信は今年五つになりました。六つで尋常小学校に入りますから、そうしたら多少は手がかかりませんでしょうけれど……。今、使用人をこれ以上雇うような余裕はなく、私が家からいなくなりますと、子守のミドリ一人では家のことが回りません」
二年前、家事を切り盛りしていた祖母が亡くなった。母は元から苦しい家計を支えるために働きに出ている。
だから涼子は女学校を辞めて、こうしてせっせと家事手伝いをするしかなかった。
家族というものは労働力である。簡単に嫁にくれと言われてハイとくれてやれる余裕は典堂家にはないのだ。
そして涼子の代わりとなる使用人を雇うのに必要な金がどれほどになるか。
そもそも異能の家に使用人を雇うとなると、異能について理解のある人間を厳選しなくてはならない。
「ええと……。風月家のお宅はどのあたりでしょうか。通いでなら……」
自分は何を口走っている?
通いで結婚するなど、平安時代じゃあるまいし。
けれどもこの状況では家を捨て置けない。
「本郷のあたりです」
風月颯真は特に動揺した様子もなく、静かに答えてくれた。本郷。典堂家がある麹町から歩いて通うには少し遠い。
「そういう事情でしたら、我が家から異能に理解のある使用人をよこしましょう」
涼子が悩んでいると、風月颯真はあっさりとそう言った。
「よろしいのですか……?」
「問題はありません。それほどまでに我々はあなたを必要としているのです。他に確認したいことは」
「えっと……」
頭の中ではまだたくさんのことを考えている。
本当に大丈夫だろうか。新しい使用人に雅信は馴染めるであろうか。そもそも颯真が繰り返し言う『必要としている』とはなんだろう。自分に風月家の嫁など務まるだろうか。今日の今日まで嫁ぐことなど考えもしていなかったのに。そもそも両親の承諾もなしに受けてよいものか。この条件を鵜呑みにして大丈夫だろうか?
不安。不安がたくさんある。
けれども、何より、一番思うことは――。
「ご飯は三食、つきますか?」
「……も、もちろん」
風月颯真が初めて動揺した。
この質問、された側からすれば、わざわざもらってきた嫁に飯を出さないなんて、どれだけ悪質な家だと思われているのだと感じても無理はない。
けれども涼子にとって、掛け値なしにそこが一番大事だった。
今だってお腹が空いている。雅信が無邪気に食べている焼きおにぎりの香りが涼子を苛んでいる。
「わかりました、お受けします」
涼子はそう言って頭を下げた。
「……契約成立、だな」
颯真は静かにそう言った。その声にはまだ少し動揺が残っていた。
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