第2話 裏切り
赤黒い荒野に、風が鳴いていた。
人と魔の境界線。死者が数多く眠るこの地で、ルトス・クロヴァンは希望と疑念を抱えて立っていた。
今日、和平交渉の約束があった。
相手は魔族の穏健派を名乗る者たち。千年の争いに終止符を──その夢を叶える最後の一手。
時刻通りに現れたのは、若き魔族だった。鎧を纏わぬ軽装で、柔らかな笑みを浮かべている。だが、その腰には漆黒の剣。
「よく来てくれたな、人間の将」
「こちらこそ、感謝する。戦を終わらせる道を模索してくれる者がいると信じたい」
一見穏やかな対話。だが、ルトスは足元に刻まれた無数の足跡に目を留めた。
(この数……一人ではない。しかも、これは……鎧の足跡。交渉役が軽装なら、これは誰のものだ?)
さらに、風に乗って微かに金属の擦れる音が聞こえる。岩陰──誰かが息を潜めている。
「和平を願う我らとしては、まず信頼が必要だ。話し合いをしよう。……剣を置いてもらえるか?」
「それは……」
魔族の若者が微笑んだまま、剣に手を添えた。
「身を守る術を手放すほど、我らは愚かではない。お前も、短剣を持っているだろう?」
ルトスは無言で短剣に触れ、交渉の名の下に繰り広げられる“劇”の幕が上がったことを悟った。
次の瞬間、岩陰から放たれた矢が、彼の肩をかすめる。即座に跳び退き、叫ぶ。
「伏兵か! お前たちも平和を望んだのではないのか!」
「お前のような奴がいると、戦が面倒になるんだよ」
若き魔族の目に、憎悪の色が灯る。
「勝つために戦う。それ以外に理由なんていらねえ!」
剣が唸り、ルトスへと襲いかかる。
必死に短剣で受け流すも、数人の武装した魔族に囲まれ、身体は次第に傷だらけになっていく。
血を流しながら、ルトスは荒野を走った。
跳ねる石、乾いた土。足音が、追跡者たちの接近を知らせてくる。
──そして、辿り着いたのは味方の拠点。
助けを求めて門を叩いた彼を出迎えたのは、かつての同胞・ダルガンだった。
「ルトス……貴様、生きていたか。だがもうここにお前の居場所はない」
「なに……?」
「魔族と接触していたことは、すでに報告されている。議会はお前を“裏切者”と断定した」
「ふざけるな! 和平交渉だ、上層部にも伝えてあったはずだ!」
「それが罠だったんだろうが!」
ダルガンの怒声が、周囲の兵士たちを煽る。
「こいつのせいで部隊が壊滅した!」
「裏切者に情けは無用だ!」
「違う! 俺は戦争を終わらせたくて──!」
だが、その言葉は砂のように消えた。
「黙れッ!!」
ダルガンの剣が閃き、ルトスの脇腹を深く斬る。膝をつくルトスの前に、憎悪の視線が並ぶ。
血を流しながら、彼はよろめき後退る。
ルトスは最後の力を振り絞り街を囲う鬱蒼とした森の中に逃げ込んだ。しかしそれは無駄に終わった。
目の前には、断崖。切り立った岩壁の下には底知れぬ闇。後ろには街から追ってきたダルガンと兵士が迫っていた。
(もう、どちらにも……俺の居場所はないのか)
「俺は……戦争を止めたかっただけなのに……!」
「お前の理想はこの世には当てはまらないんだよ」
ダルガンがルトスにとどめを刺そうと一歩踏み出した瞬間、崖が崩れルトスの身体は深淵へと飲まれていく。
「どちらも、いらない……この世界ごと、消えてしまえ──!」
その瞬間、大地が軋み、空が震えた。
崖下に、黒く歪む“穴”が現れる。それはただの地割れではない。光を呑み、音を拒む、異質な“存在”。落下するルトスの身体は、穴へと吸い込まれた。
──そこは、世界の外側だった。
音も、色も、時間も存在しない虚無の中で、彼はひとり、意識だけを漂わせる。
《面白いな》
声ではない“何か”が語りかけてきた。
《魔族に裏切られ、人類から追放され、それでもお前は叫んだ。面白い。どちらにも属さぬ者。だから、お前を拾ってやった》
それは、混沌の神だった。
《俺は光でも、闇でもない。ただ“面白さ”を求めるだけだ》
虚無の中、ルトスの心だけが燃えていた。
(ならば俺は……何もかもを壊してやる)
《よし、ならば与えよう。第三の力を》
瞬間世界に2つ穴が開いた。
魔族の大地にも、人類の領地にも──“異界”と繋がる、深く黒い裂け目が現れた。
世界が震え始める。
そうして始まる、神々すら制御できぬ“第三界”の物語。
そしてその主となる男の名を、人はやがてこう呼ぶ。
──堕ちた将、ルトス・クロヴァン。
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