第2話

 旅立ちの朝から一月、一行はいくつもの街や村、城塞を越え、大河を渡り、広大な森を二つ抜け、ようやくアシュガルド山脈の麓にたどり着いたのでした。

 麓に広がる森を分け入り、馬が三頭は並べぬほどの細い登山道を見つけ、山脈の探索を始めて三日目の夜、一行は少し開けた平野で野営をしています。

 無言で焚き火を見つめる六人。

 季節は夏とはいえ、北方。

 しかも万年雪が残るほど峻厳な山の気温は、容赦なく六人の体温を奪って行くのでした。

「…迷った」

 そう渋く言い放ったのは、五人の騎士を率いる軍師、ベル。そんなベルを二度見した中年の騎士の名はブライと言います。

 銀輪騎士団千人隊長の地位を持つ彼は、今回のアシュガルドの視察、自ら望んで参加を決めたのでした。

「…え?え?今、何でござるか?」

「いや、別に何も。…独り言って言うか…」

「いやいやいや、言ったでござろう?何か言ったでござろう?できれば聞こえたくなかったけど我輩、聞こえてしまったでござるよ。ほら、我輩絶対怒らないと約束するので、もう一度言うでござる」

「気にしないでいただきたい」

「気になるでござる。我輩の耳が正確であれば、命に関りそうな独り言だったから我輩しっかり聞いておきたいわけでござるよ。みんなもそうでござろう」

 四人の騎士たちは異口同音に聞きたい意思を伝えます。

「ベル殿、我輩以外の四人も同じ意見でござる。さ、思い切って胸の内を―」

「迷った!迷いました!」

「何故逆切れ?」

「大体さ、無茶なんだよな。建国以来まともな人間は足を踏み入れたことがない山だよ?

 どれだけ広いかもわからないし、どんな奴がいるのかもわからない。蛮族がいるとか物の怪がいるとか言うけどさ、誰も見たことなんかないわけだろ?それをさ、偵察して来い、地図作ってこいとかさ、そんなのあれだよ、適当な地面指されてさ、水が湧くまで井戸を掘れって言われるようなもんだよ」

「うまいようなうまくないような例えはどうでもいいでござるが、ベル殿、寡黙な印象ぶち壊しでござるよ?」

「こんな誰もいない山の中で誰が見てるんだよ?ん?どうした!何をざわついている?」

 五人の騎士たちはベルの肩越しに背後の闇を見つめているのでした。

「ブライ殿、人の肩越しに暗がりを見つめるのやめてくれる?めちゃくちゃ怖いから」

「軍師殿!後ろ、後ろ!」

 騎士の一人、シルバが青ざめた顔でベルの後ろを指さします。

 言われてベルは、そーっと後ろを振り向きます。後ろの暗がり、松明の明かりに照らされた木々の合間にそれはいました。

 痩せて、粗末な服を着て、そして好奇心いっぱいの瞳で六人を見つめる一人の…

「女の子?あ、お前ら待て!」

 ベルが制止する間もなく、騎士たちは愚かにも鞘から剣を抜いたのでした。たいまつの明かりに輝く鋼の光を見た少女は、

「あ、ちょっと君!」

 やはりベルの制止の声も聞かず、脱兎のごとく木立の暗闇に姿を消してしまったのでした。手に手に剣を構え、少女を追う騎士たち!

「待て!待てってお前ら、怯えさせるな!」

 そんな騎士たちを止めようとベルも追いかけます。

 深夜の山の木立の追いかけっこ。少女は山を知り尽くしているのか、百戦錬磨の騎士たちが全速力で追いかけても一行に追いつきません。

 やがて一瞬森が開け、月光が優しくあたりを照らしたとき、騎士たちは世にも不思議な光景を目にするのでした。

 少女はどういうわけか…、

「な、何だ?あの女の子!?」

「軍師殿!あれがアシュガルドの物の怪でありますか!?」

 口々にベルに問いかける騎士たち。その不思議な少女は夜の森の中、なぜか…

「馬鹿なことを言うな、あれはヒトだ!間違いなくヒトなのに、何だ、何なんだ?あの走り方はまるで、獣じゃないか」

 そう、少女はなぜか四足で走っていたのでした!

 時折少女は後ろを振り返り、騎士たちをからかうように眺めます。その表情は、不思議なことにとても楽しそうなのでした。

「待て!待てって!何だあいつ、めちゃくちゃ早ええーっ!」

 そんな深夜の追いかけっこを続けながら六人の騎士は、誰一人脱落することなくその運命の場所へ導かれていくことになります。

 不思議な少女が六人を導いた場所、そこは…

「止まれ!騎士たち、止まれ!」

 ベルの声で騎士たちはようやく足を止めます。

「…崖だ」

「崖?まさかあの少女は、我輩たちを罠に…」

「いや、ブライ殿、そうじゃなさそうだ」

 崖の手前に立つ少女。

 その表情には無邪気な好奇心が浮かび、そしてその少女の背後、雲が切れ差し込む月明かりの元、はるか眼下に広がる不思議な光景に騎士たちは息を呑むのです。

 頭上には見たこともないような大きなお月様、そして眼下の谷には月明かりにきらめく、


 無数の風車。


 六人が旅の末にたどり着いた場所、そここそがアシュガルド山中に住むといわれる蛮族たちの隠れ里、ウィンドミルバレーだったのでした…。

「あの子は…、どこへ行った?」

 崖の手前に立っていたはずの少女は、いつの間にか姿を消していたのでした。

 ベルたちは無言で辺りを捜索します。

 その胸中には静かな驚きがありました。

 未踏と言われたアシュガルド山中の奥深くに人が住み、風車を建造するほどの技術を持っている、それは今までの帝国のどの地理書にも記されたことのなかった大発見だったのです。

 やがて六人は、谷へ続く道を見つけます。馬や荷物を回収し、騎士たちはやや緊張した面持ちで探索を再開したのでした。

 その谷へ降りる道は一本の狭いケモノ道のみ。騎士たちはベルの指示に従い、谷に挟まれた集落を目指しました。

 集落に住む蛮族共を調査し、中央の騎士団に報告するために。

 蹴散らすべき敵の本拠地を見つけて血に飢えた騎士たちは興奮します。

 そんな中、ベルだけは相変わらず醒めた瞳でその集落を目指し、歩を進めるのでした。

 胸中に去来するのは二十年前のあの日、まだベルが幼かった頃、帝国の東の果てで生きていた頃の記憶…


 目を閉じれば無数の馬のいななき。

 耳を打ち付ける業火の音。

 耳を塞いでも聴こえてくる人々の悲鳴、怒号。

 …あの日、帝国の東の辺境、小さな部族が集まってひっそりと暮らしていた小さな王国に、それは現れたのです。

 眺めた地平を埋め尽くす無数の馬。

 槍を構え、剣を掲げ、そして冷酷に進軍してくる見たこともない鎧の群れ…、

 全ての始まりは、

 たった六人の騎士たちだったのでした。


「着いたようでござる」

 ブライの声にベルは回想から我に返ります。

 その耳に優しく届くのは…

 辺りを満たす虫の声、風の音、川のせせらぎ、葉鳴り、

 ゆっくりと軋み、回る風車の音。

 目の前には月明かりに照らされた粗末な集落、天を突くかのような巨大な風車、そしてたいまつを持ってこちらを見ている村人たち。

「ベル殿、人でござる」

「止まれ。剣は抜くな」

 柄に手をかける騎士たちを制し、馬を降り、ベルは努めて冷静に集落の人々にむかって話しました、

「このような時間に村を訪れた非礼をお許しいただきたい。私は神聖ラルフ帝国、銀輪騎士団所属の軍師、ベル。随行するはいずれも銀輪騎士団の騎士たちです。村に危害を加えるつもりはありません。我々の目的はただただこの広大な山の探索。任務の最中、道を見失いこの集落を見つけ、やってきた次第なのでございます」

 村人の視線は好奇心に満ち溢れています。憎悪も恐怖もなく、穏やかな好奇心。一人の老人が村人を代表して話しかけてきます。

「よくこんな辺鄙な場所までお越しくださいました外の人たち。このような山の中で迷われたとあってはさぞかしお疲れでしょう。外の世界までご案内してあげたいが、あいにくこのような真夜中では危険を伴います。それに、この山は夜になれば…魔物が出ますからな」

「魔物?」

「さよう、魔物でございます旅の方々」

「魔物などおらぬ」

 騎士の一人が馬上からそう返します。

「魔物などおらぬ。女神に守られた我が帝国、魔物のはびこる場所など残っておらぬ」

「騎士殿」

 老人は笑顔を絶やさず騎士に語りかけます。

「騎士殿、神がおられるなら、魔物もまたおりますじゃ」

 むきになって言い返そうとする騎士を、ベルは制します。

「失礼しましたご老人。夜通しの探索であったゆえ、この者の無礼をご容赦願いたい」

「無礼などとは思っておりませんよ、騎士殿。無駄に不安にさせるようなことを言ってしまった非礼はこちらにもありますからなあ」

 そういって老人は少し笑いました。

「さて、この先、谷を抜けて北へ進むも南へ戻るもとりあえずは陽が上ってからにしませんか?空き家が何軒かありますので、そちらに食事などを用意しておきますよ。あ、申し遅れました、私はこの集落、ウィンドミルバレーの長老を務めております、ジョゼと申します。ささ、こちらへ」

 言って歩き出す長老。

 不安げに後に続く騎士たちにまとわりつくようにはしゃぐのは、集落の子供達。

 ベルは長老に尋ねます。

「長老殿、ウィンドミルバレーとは?」

 足を止め、集落の中心に建つ一際巨大な風車を見上げ、

「この集落の名前です。風車の回る谷、我々はウィンドミルバレーと呼んでおります」

 長老は答えるのでした。


 …風の音、木々のざわめき、見上げればかがり火と月光に照らされた巨大な風車。

 このとき、初めて帝国の人間は知ることになったのです。

 ウィンドミルバレーという集落の名を。



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