ウィンドミルバレー 最期の三日間
ナツメ
第1話 プロローグ
1
「…思い出すのはいつも、あの記憶」
夜明けには程遠い冬の大地、神々の山脈の麓の平野には無骨な鎧の大軍。
闇の支配する深い森、木々の間に身を潜め大軍を迎え撃つ戦士たちの顔を見据え、ベルは静かに口を開いた。
「あの日、不思議な気持ちで視界に入る全てのモノを記憶に焼き付けた。焼かれる村、切り倒されていく村の若者たち、槍の先に突き刺された女の首、厚い雲で覆われた空、赤く染まっていく水路、焦げた匂い、むせ返るような鉄さびの匂い、同じ言葉を使い俺たちを罵倒しながら鉄球をふるう鎧の群れ、そして…」
白黒の風景。
あの頃、幼子だったベルは、自分の世界の全てだった小さな村が焼かれ、蹂躙され、破壊され尽くしていく光景をただ眺めていた。
村の通りという通りは全て血で装飾され、歌声で満ち溢れていた村は悲鳴に包まれ、いつも明るい表情で笑っていた少女達は、黒く、炭化したもの言わぬ骸にされ、悪態をつきながらそれを馬で踏みにじる鎧の大軍。
まるで自分の眼球に映し出される光景が霞であるかのように、逃げ惑う人々の間をさまよい歩くベルの目に不意に飛び込んできた、物体。
幼かったベルはそれが何であるか瞬時に理解した。
強く、聡明で、慈悲に満ち溢れていた、憧れであったものの変わり果てた姿、
「もの言わぬ、父の躯」
混乱の中、見知った顔の青年が話しかけてきたことを覚えている。
(…ベル!早く逃げろ!この村はもうおしまいだ!俺の親父も、おふくろも、みんな死んじまった!あの鎧の連中は悪魔だ、あんなやつら見たことがない。ここにいたらお前も…、お前…、何を持ってるんだ…?)
「…父の足を持って、焦げ臭い村を歩き続けた。鎧の大男につかまって、鎖をかけられ、同じような歳の子供たちや、女たちとともに見たこともないようなでかい街に連れ去られ、奴隷として生かされ、…諦めよう、もう諦めてしまおう、生きることは何も素晴らしいことじゃない、何をしたって何も報われない、…何度もそう思った」
戦士たちは何も言わず、瞬きすることも忘れたかのように自分たちを導く若き指導者の言葉を待つ。
「…倒すことなど叶わない、滅ぼすことなどできやしない、だけど一度、ただ一度だけでもいい。全てを自在に運んできたあの男に、ただ一度、教えてやろう。この世界は…」
見渡せば、決意をみなぎらせた戦士たちの顔。
「この世界は…、そう甘くはないことを」
誰かが静かに武器を掲げた。呼応するかのように、男たちは静かに、だが力強く各々の武器を掲げる。
戦士たちの顔に浮かぶのは長年に渡って刻み込まれた諦念、そしてそれを打ち消すかのような、闘志。
掲げられた無数の武器は、言葉にならない無言の歓声であった。
西方教会暦、627年の冬に勃発したアシュガルド山中の戦い、数多くの目撃者や従軍し生還したものが多かったにも関わらず、正確な記録は残されていないに等しい。
教会によって封印された山の蛮族と、当時大陸最強を誇った帝国騎士団との死闘。
後に「ウィンドミルバレーの戦い」と呼称される三日間の戦闘の幕は、豪雪の山岳地帯を舞台に、若き軍師の号令によって開かれたのだった。
2
…瞳を閉じれば、その光景が奇妙な質感を伴って浮かぶのです。
雪の大地を駆ける人馬の群れ。
切られ、打たれ、踏みにじられながらも雪の中、けして両の足を折ることをしない人々。
死を恐れていないのではなく、死のその先を見据えて散りゆく人々の表情は、それはそれは揺るぎないものだったのです。
彼ら、彼女らは命の終わりの先に何を見つめていたのでしょうか?
名誉?
解放?
栄光?
…それは、想像することしかできない感情なのですが、もしかしたらそれは、自分たちは「ヒト」なのだという、たった一つの根源的な誇りだったのかもしれません。
申し遅れました、ワタクシ、この物語の語り部を務めさせていただきます、アイリスと申します。
歳の頃なら18、19、その声はまるで鈴の音を転がすようだ、などと人からよく褒められたりしたら嬉しいなと思っている次第でございます。
さて、この長い物語を語ることで皆様のお耳汚しをさせていただくにあたって、皆様に最初にお伝えしておきたい事実がございます。
それは…、
この物語は、御伽噺なのです。
何十年も前に歴史から消されてしまったただの御伽噺なのです。
広い広い領土を持つこの国、昔は「帝国」と呼ばれていました。
エルトランド、
世界の創造神の名を冠したこの大陸の北方、最大の半島に展開する「ラルフ帝国」、そして大陸最北端の大国「リストリア王国」という二つの大きな国があり、大きな湖をはさんでいつも対立をしていました。
600年も昔の話。
ラルフ帝国の始祖、草原の覇者ラルフ一世がこの地に住む蛮族を北方の不毛の土地へ追いやり、築いたのが神聖ラルフ帝国。
そして追いやられた蛮族たちが長い長い年月をかけ築き上げたのが、大陸最北端を支配するリストリア王国。
リストリアの民たちはやがて力を蓄え、いつの頃からかラルフ帝国の領土を脅かすようになったのです。
戦争があって、平和が少しだけ続いて、また戦争。そんな感じで二つの国は拮抗する力を互いに少しずつ削りあい、それは今でもずーっと続いているのです。
お互いの国は湖に船団を浮かべ、湖を回り込む船団を結成し、進軍を始めてから戦端が開かれるまで平均二週間という非常にのんびりした戦略をとり続けていました。
そうするしかなかったからです。
帝国北方に広がる広大なアシュガルド山脈を挟んで、実は二つの国は隣接しているのですが、古来よりこの山は物の怪が住み、人跡未踏の地と呼ばれていたため、山越えをすることはすなわち死を意味することと言われていました。
だからどちらの国も山を越える戦略を立てられなかったのです。
今でこそ山の麓に大きな町が作られ、開拓され、雪深い北方の要所として人の住まう土地も増えてきているのですが、当時のこのあたりは本当に何もない荒廃した土地だったのです。
補給できるような宿場町もなく、行きかうのは街から逃げ出した極悪人か、商魂たくましい商売人か。
アシュガルドの名を出すだけでも魂が魔物にさらわれる、そう信じられていた時代があったのです。
僅かに陸続きの場所もあって、そこにはお互いの領土を守るかのように堅固な要塞が建造され、常に最前線を奪い合い、戦闘の要衝となってはるのですが、そこに隣接する山岳国の脅威も見過ごすこともできず、長い間膠着状態が続いているのです。
このままこの戦争は終わらないのではないか、このまま永遠に北の強国の脅威におびえ続けなければならないのではないのか、そんな不安が人々の心に暗い影を落とし続けるこの時代、帝国の人々は英雄の出現を切に願うのでした。
そしてそんな時代に終止符を打とうとした人物、それが時の皇帝、ラルフ八世その人だったのでした。
その日、ハイエンドに建つ皇宮のサロンに集められた幕臣たちは、皇帝の装いを見て緊張します。
真紅の皇衣に身を包み、銀細工の施された杖を持つ皇帝。
その出で立ちは、二つの騎士団の頂点に君臨する皇帝の証であり、神聖ラルフ帝国歴代皇帝の正装とされてきました。
公式の場に皇帝が正装で現れるということ、それはつまり今から行われる軍議が非常に重要な意味合いを持つということなのです。
これから行われるのは話し合いではなく、おそらく、皇帝からの通達。
西方教会暦、627年の初夏、痩せこけた頬、鋭い鷲鼻を持つ壮年のラルフ八世は、その細い体躯からは想像もできない、低い、よく通る冷徹な声で問うのでした。
「我は問う、大陸最強とは何であるか」
幕臣の一人が、それに応えます。
「それは、我が帝国騎士団にほかなりません!」
答えを聞き、満足したように頷く皇帝は、次々と追従する幕臣たちの顔を見渡し、
「では最強の帝国騎士団に命ずる、あの山を越えよ!」
サロンのテラスから、はるか北方にそびえ立つ未踏の山脈を指差し、高らかにそう命じたのでした。
皇帝の言葉を聞き幕臣たちはざわめき、やがてそれは熱狂的な大歓声に変わります。
幕臣たちの熱狂はやがて大衆にも広まり、帝国全土が熱狂の渦に放り込まれたかのようでした。
山の物の怪蹴散らすべし!
山の蛮族蹴散らすべし!
そしてリストリアの異教徒共に対し、神の名の下に無慈悲な一撃を加えるべし!
長年に渡る隣国との争いに疲弊してきた人々がすがりついた、戦争を終わらせることができるかもしれない無謀な作戦、それが皇帝の提唱したアシュガルド越えだったのです。
そんな人々の熱狂を冷ややかなまなざしで見つめる若者がいました。
皇帝の命を受けた若者は、旅立ちの朝、馬上から騎士たちにむかって言い放ちます、
「同行する騎士は五人、それ以上はいらぬ!任務は簡単な偵察、そして報告。物の怪などおらぬ!いたとしても恐るるに足らず。騎士団の武力をもって超えられぬ障害など存在せぬ。それは貴卿らが常々言っておることだ!」
そう皮肉に言い放った若者こそ、この物語の主人公。武勲を挙げて一団を任されるようになった若き軍師、そしてこの先、何の因果かアシュガルドの蛮族たちを率いて三日間帝国と戦い抜いた、史実に記されぬ英雄、ベルだったのです。
深い青みがかった黒髪をなびかせ、浅黒い端正な顔で皮肉な表情を浮かべる彼は、
そんな彼の心中は知らず、騎士たちはベルの言葉に雄叫びで答え、自分たちの勇猛ぶりをことさらアピールするのでした。
蛮族の視察、アシュガルドの地図作製、その命を受け、若き軍師は真夏の荒野を北方に向けて走り出します。
時は西方教会暦、627年初夏、若葉の月。
時のうねりは静かに忍び寄り、そして善良な人々の運命を丸呑みし、豪雪の山脈を業火が包み込むことになるのです。
強国の歴史から抹殺された取るに足らない三日間の小さな攻防、二万人の騎士団に立ち向かうのは獅子に率いられた四百人の蛮族の群れ。
その名の存在すら消し去ることになる、自らの尊厳を賭けた羊たちの命をかけた一大叙事詩は、この時静かに幕を開けたのでした。
太陽を東に据えて醒めた目で北方を目指すベルの運命はまさに歴史の大河すら濁流に変えることになるのですが、それはまだまだ先のお話。
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