第4話『ザルといちごと、ちいさなはじまりの衣装話』



翌朝の日曜日。

少し遅めに目を覚ました結月は、キッチンの窓から差し込む光を浴びながら、そっと伸びをした。


(今日は、ジャムを作ろう)


昨日の果物ジャムも美味しかったけれど、娘の陽菜は、トーストに「いちごジャム」が一番好きだ。

ならば――本の力で、本当においしい、手作りジャムを。


そう思って、キッチンの隅にある小さな食器棚から、昔使っていた竹製のザルを取り出す。

陽菜がまだ赤ちゃんの頃、お粥用の野菜を干すのに使っていたもの。

久しぶりの出番に、なんだか心が躍る。


「ちょっと、おでかけしてきます」


家族に聞こえないくらいの小さな声でつぶやいて、寝室の引き出しから白い本を取り出した。


開いたのは「農場」のページ。

そこにはすでに馴染みになった柔らかな畑の風景が描かれていた。

ザルをしっかり腕に抱えて、そっとページに触れる。


ふわり――

景色が切り替わり、あたりは、朝露に濡れた畝がきれいに整えられた、静かな農場だった。


「今日は、いちご。甘くて、しっかりとした実の大きないちごが欲しいな」


そう思いながら、畑の一角にしゃがみこむと、目の前の土がふっとやわらかくなり――

赤くてぷっくりとした果実が、いくつも姿を現した。


「うわぁ……綺麗……!」


見るからに甘そうなその実は、ひと粒ずつが大きくて、つややか。

まさに“理想のいちご”。


結月は、ザルをそっと脇に置き、ひと粒ひと粒、丁寧に摘み取っていった。

すこし傾けただけでも香りが立ちのぼるようで、自然と笑みがこぼれる。


(陽菜、喜んでくれるかな)


夢中で収穫していると、ザルの中は、あっという間に真っ赤ないちごでいっぱいになった。


最後にもう一度、「ありがとう」と畑に声をかけてから、ページを閉じる。



現実へ戻ると、日曜の朝の静けさが戻ってきた。

家族はまだのんびりしている。ちょうどいい。


キッチンに立ち、いちごを洗ってヘタを取って、鍋に入れて砂糖と一緒に弱火でコトコト煮込む。


しばらくすると、甘酸っぱい香りが部屋いっぱいに広がっていった。


「わぁ……いちごだ〜!」


陽菜が香りに誘われてやってきた。


「うん。ジャム作ってるの。明日の朝ごはん、楽しみにしててね」


「たのしみっ!ひなね、いちごジャムがいちばんすき!」


嬉しそうに飛び跳ねる娘を見ながら、結月は思う。


(……この本があって、本当によかった)



夕方。

陽菜がピアノの練習をしている間、結月はふと思い出したように声をかけた。


「そういえば、来月って、発表会あったよね?」


「うんっ。はじめてのソロ、ドキドキする……でも、たのしみ!」


「衣装って、どうするの? お教室から借りる?」


「えっとね、“好きなの着ていいよ”って言われてて……でも、どうしよう……」


結月はちょっとだけ迷って、それから心の中で決めた。


(衣服製作場……あのページを、使ってみよう)


次に開くのは、「衣服製作場」のページ。

娘のために、世界にひとつだけの、舞台衣装を――。


それはまだ、家族にも誰にも話していない、

ほんの少しだけ、特別な内緒のはじまりだった。



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