第四章 向こう側

言わなくてはいけないこと

《ここまでの話》

喫茶Paradisoから姿を消した黒猫レヴナントを探していると、今度は飼い主のサキがいなくなった。

黒人の、声帯が無い、ろう者の霊能力者のおばあさん「ミセス・ウィークエンド」は、サキは生霊に憑かれていて、「向こうの世界」に連れて行かれたという。

“つながり”で出来たこの世界の裏側には、もうひとつの世界がある。

“つながり”を失ったものがたどり着く世界。

ツムギはケイと共にサキを追って、その世界を目指す。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。絶賛、行方不明中。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 改札を通って駅前の大型歩道橋へ。私はケイと共に歩いていった。駅のホームからここに至るまで、私たちは一言も喋らなかった。

 歩道橋上の広場に着いた時、ケイが立ち止まって私に言った。

「"向こう”に行くバグ技、これから使うんだけどさ。条件のひとつに時間が指定されてるんだ。今から待機」


 そういう事だったので、私たちは中央にある大きな円形の植え込みの前で時間を潰すことにした。

 ケイはほとんど何も喋らなかった。何かのきっかけを待っているように見えた。私は待つことにした――昨日の教室でのやり取りと同じように。


 歩道橋の下にある広場から歌声が聞こえた。気になって手すりの方まで歩いていって覗き込むと、ストリートミュージシャンが弾き語りをしていた。

 ショートヘアの緑髪の女性がYUIの「ラフ・アウェイ」を歌っていた。やることも無かったので、私は手すりに肘をついて、それを眺めた。


 いつの間にかケイが隣にいた。

「悪かったと思ってる」

 彼女は歌がサビに差し掛かる手前で、独り言のように言った。いつも通りのダウナーな声。彼女は私と反対の方、さっきまで彼女がいた植え込みの方に体を向けながら、手すりにもたれていた。

「サキが“バグって”るのは気づいてたんだ」

「いつから?」と、私はストリート・ミュージシャンを見ながら言った。ケイの返事はすぐだった。

「12月に入ってすぐ」

 私は一週間前の出来事を思い出した。「ああ」と、私は納得の声を上げる。

「サキちゃんへの誕生プレゼント、肩たたき券って言ってたっけ? もしかして霊が憑いてたから?」

「そ」

「割とブラック寄りの冗談だったんだね……」

 私は苦笑いするしかなかった。ケイが足元を見ながら言った。

「ホントはどこかのタイミングで言うつもりだった。わたしのアルバイトの事も、サキの事も。でも言えなかった。結局――」

「気にしてないよ」

 何か余計なことを言いそうだったので、私はケイの言葉を遮った。視線はアコギをかき鳴らす女の人に向けたままだった。


 しばらくしてケイが「嘘じゃんね」とぼやいたので、私は「当たり前だよ」と笑った。

「でも来てくれたでしょ? それで良しとしましょう」

 ケイは黙ってしまう。私から聞いたほうが早そうだった。

「それで、あの時サキちゃんの事をミセス・ウィークエンドに報告してくれたんだね」

「その事だけどさ、わたしは報告、してないんだ。

 あっちから連絡、来たんだ。ちょうどそうしようと思ったのと同じタイミングで。

“危険なバグり方してる女の子を喫茶店で見かけた”ってね。んで、“これからしばらくこの子を見守ります。力を貸して下さい”って。サキの事だってすぐ分かった」

「そこから裏で色々やってくれてたんだね」

「そゆこと。でも順番がいつもと違った」

「順番?」

「うん。いつもはわたしが街なかで見かけたバグを報告するんだ。んで、“誤ったつながり”って奴を調査して、必要ならミセス・ウィークエンドがそれを断つ。

 バグのほとんどは自然消滅するんだ。悪い事も良い事も、ほぼ起こらずね。だからそこまで発展したのは見たこと無かった。

 けど無視出来なくなる時もある。

 ま、それも大抵のバアイは、バグの元凶とあの人が“つながって”話して、「あっちの世界」に帰ってもらうだけだけどさ。なんか……「除霊」っていうか「説得」って感じ。


 少なくともあの人から来る最終報告には、いつもそう書いてあった。わたしは見えるだけでバグに直接干渉できないから、さ。

 自分の仕事が終わった後、それがどうなったかっていうのは、あのばあさんからの連絡でしか分かんないんだ。

 だからいつもと違ってあの人、最初からサキに会いにきたじゃん? 意外だったよ。まあ確かにアレは危険そうだったけどさ」

「そうだったの?」

 私は遠くで音を響かせるアコギに向かってそう聞いた。ケイが「色で分かるんだよね」と言った。

「"誤ってつながってしまった”人や物にはブロックノイズがちらつくんだ。ゲームのドット欠けとか、テクスチャの欠損とか――ま、そんな感じの見え方。

 サキのバグは赤かった。赤いドットノイズみたいなのが身体のあちこちにチラついてた。フツーのバグには色がない。白黒とか灰色とか。

 まあその状態から危険なバグになる事もあるみたいだけど――最初から赤いのはガチ危険」

「全然知らなかった。教えてくれても良かったのに」

「ごめん」

 私はまた大きな声で笑いそうになったので、ツボに入る前に話を進めることにした。


「じゃああの占いもミセス・ウィークエンドとケイの計画だったんだね」

「いや、あれはあの人の独断」

「あ、そうなんだ」

「それなんだけどさ。あの時、実はお互い気づいてなかったんだよね。わたしがアルバイトで、あの人がミセス・ウィークエンドだって」

「え、じゃあ二人が揃ったのって偶然?」

「わりと」

「マジかよ」

「マジだよ。向こうは今でさえ気づいてないっぽいし。

 サキが手話で会話した時、あの人が週末婦人って呼んでほしい、って言ったじゃん? それでピンときた。

 それまでは何か随分怪しいばあさんだなあ、としか思ってなかった」

 私は、ミセス・ウィークエンドの言っていたことを思い出す。アルバイトさんとは、ウェブチャットでしか会話をしていないと言っていた。風貌も知らないみたいだった。


「え、でもバイトなんだから履歴書とか送らなかったの? それにLINEだって――」

「送った。PDFで。でも写真無しだった。

 それにほら、サキが言ったじゃん。LINEの名前、偽名にしようって。そもそもサキとツムギがこっち呼んでも、“ケイ”ってあだ名だし。

 わたしもあの人のこと、ほぼ知らないんだ。チャット上でも仕事以外の話、ほぼしないから。

 耳聞こえないとか喋れないとか、実は外国人とか、ゲームが好きとか、あの時、初めて知った」

 井之頭五郎――ここしばらくのケイのLINEの表示名が頭をよぎった。合点がいった。

「途中であの人に言わなかったんだ……え、なんで?」

 言ったらいいじゃん。素直にそう思った。ケイは少し間を置いてから、呟くように話した。

「なんか、自分でも上手く言えないんだけど――怖かった」

「怖かった?」

 私が同じ単語を繰り返すと、ケイははにかむように「うへへ」と声を出した。ちょっと気持ち悪かった。

「なんかさぁ、そうだなぁ……外科医ってさ、身内の手術しないって言うじゃん?」

「うん」

「そんな感じ」

……そういう事だった。何を言っているかは分からなかった。けど何を言いたいかは何となく分かった。

 私は「ようするに――」と言った。

「――上手く行くものも上手く行かなくなるかも、って思った?」

「そゆこと」

 そゆことだった。


「ホントはさ」と、しばらくしてケイが言った。

「もっと早く二人には言うつもりだったんだ。今言っても説得力無いけどさ」

「アルバイトのこと?」

「うん」

「いつからやってるの?」

「高校入ってすぐ。4月にはもうやってた。言えないまま今日こんにちに至ってしまったよ」

 彼女はため息をついた。

「別にどんなバイトしてるかなんて言わなくてもいっか、って思ってた。でも今回の事が起きて、こりゃ言わなあかんなって思ったんだ。

 でも正直に言うとさ、いざそうしようとすると、どんどん怖くなったんだよね。ツムギのあのばあさんを見る目、険しくなってくしさ。まあ言い訳さね」

「そんな目、してた?」

「ケッコーね。それで、話したらなんだか後戻り出来なくなりそう、ってさ。なんかこう、致命的な部分が変わっちゃうんじゃないかって、そんな感じ。

 でもそうしてる間にもサキのバグもどんどん酷くなってく。何だか良く分からんくなってった」

 私は何も言わなかった。

「だから毎日、ばあさんの指示以上に動いた。細かい事はあんま言わないけど」

「言いたくない?」

「言ったらズルい気がするから、やだ」

「もう充分ズルいよ」と私は追求した。

「言いなさい」

 私がそう言うと、ケイはくつくつ笑った。

「夜更けになると"仕事”が専用チャットに来るんだ。夜の方が痕跡を辿りやすい。何でかは知らないけど。

 ここ二週間くらいは痕跡を辿る仕事。サキのやつの。何回かおんなじような事やってたけど、フツーの時は夜の10時くらいから始めて、午前0時くらいまで調査する。

 今回はお金欲しいから残業するってあの人に言って、しばらく午前4時くらいまでやってた」

 彼女は一旦言葉を区切った。それから呆れたような口ぶりで「そりゃ目のクマも取れないですわな」と付け足した。私は「そりゃそうでしょうよ」と言った。

「きみはじつにバカだなあ」

 私が有名な猫型ロボットのように言うと、隣から「怪鳥の鳴き声」が一瞬だけ聞こえる――何とかそれをこらえつつ、ケイが言った。

「9月の時も似たような気分になったよ」

「……もしかしてあのバグ技って」

「そ。あれ、わたしがいくつか知ってる「向こうの世界」と“つながる”方法のひとつ」

「幸田さん達が考えたやつじゃ?」

「……と、やつ」

「あ、思い出した」

 そうだった。私があのバグ技を喫茶Paradisoで知ったのは、ケイがそう言っていたからだった。

 あの時、近くのテーブル席にいた幸田さんと、彼女の部活仲間がふざけて考えた七不思議――それを盗み聞きしたというケイが、面白半分で私に伝えてきた。そういう体になっていただけだったようだ。

 今度は私がため息をついた。続けてケイが言った。

「セフィロスのアミーボはわたしの家にあったやつ。ツムギと別れた後にガッコに置いた。ギリ侵入にならなかった。運が良い」

「でもシャーペンは?」

 私は疑問を口にした。あのバグ技に必要なものはふたつあった。学校の指定箇所に置いたセフィロスのアミーボと、シャープペンシル。ケイはためらうように言った。

「あのシャーペンは……、これ言ったらフクザツな気分になるだろうけどさ。あれはツムギが自分で持ってきたヤツ」

「そんな記憶無いんだけど……」

「"誤ったつながり”っていうのは、そういう事も引き起こすんだってさ。ばあさんが前、言ってた。自分の意思と違う事やったり、行動した記憶が無かったり」

「という事は……」と、私が思ったことを口にしようとすると、ケイがそれを代弁した。

「そゆこと。ツムギはあの時バグってた」

「マジかよ」

「マジだよ。コレ、二回目じゃんね。ま、いいや。あの時はバグり方が害の無いやつだったんだ。緑色だったからさ」

「緑色?」

「緑は良い“誤ったつながり”を示す――何かめっちゃムジュンしてるけどさ。ようは害が無いってこと。ケッコー珍しいらしいよ。だから手、貸した。ミセス・ウィークエンドに無断で」

「無断だったんだ」

「もうあの人も知ってるみたいだけど、ついこないだまで知らなかったはずだよ。誰が用意したのかはまだ知らないっぽいし。ツムギのバグも自然消滅したって事になってる」

「何でバグ技、教えてくれたの?」

「……なんでだろ」


 ケイはしばらく考えているようだった。アスリート・ミュージシャンを見続ける私のその視界の端で、腕を組んでゆっくりと左右に頭を振る彼女の姿がチラチラした。やがてケイはゆっくり言った。

「何となくさ。ツムギがそうしたいんだろうな、って思ったんだ」

……そゆことらしい。

 私はストリート・ミュージシャンが歌うのを、飽きもせず眺めた。彼女はYUIの『ドライビング・ハッピー・ライフ』を歌っていた。

 私はある時、無意識に「ケイ」と呼んでいた。「ん?」と彼女が言った――なので私は続けることにした。

「ありがと」

 彼女の顔は見なかった。返答はなかった。それで良いと思ったし、それが良いと思った。

 それから二人ともしばらく何も言わなかった。やがて時間が来た事をケイが告げたので、私たちは場所を移動した。

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