決意
《ここまでの話》
黒猫レヴナントが喫茶Paradisoから姿を消した。
偶然出会った黒人の、声帯の無いろう者のおばあさん、「ミセス・ウィークエンド」の占いに従って、「私」たちは猫を探し始める。
魚釣り、ペットボトル・ロケットの打ち上げ、ニトリでのバグ技じみた行為――色々あった末、占いが示す「すべき事」はこれで完遂した。
黒猫は見つかるのか。そして端々で見え隠れする、ミセス・ウィークエンドの本当の姿とは。
主な登場人物
・ツムギ(私)
Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。
・ケイ(長良 景子)
Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。
・サキ
Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「コンプレックスなんだよね。前、言ったけどさ」
“発作”が収まったケイは、打って変わって落ち着き払ってそうこぼした。
「自分のマジの笑い声」
いつにも増して平坦な物言いだった。私はちょっと考えてから言った。
「……前にも言ったけど、そんな“うろん”な言い方されると、本気で気にしてるか分かんないよ」
「本気だったら?」
ケイがニヤけた。私はその意図にすぐに気がついて、さも心配そうな素振りをする。
「大人のマナー講座~公共の場での笑い方編~に連れてってあげるよ」
「ホント?」
「不安なら私も一緒に参加するからさ」
「講師は?」
「今月はサキちゃん」
「わたしに出来るかな」
「大丈夫。それに今のうちに矯正しておいた方が良いよ。笑い方ってすごく大事なんだって、お父さんが言ってたよ? 社会人になると、上長さんや部下からの評価に一番影響するのって、笑い方なんだってさ」
「ほう」
「下品過ぎるとヒンシュク買っちゃってダメだし、かと言って上品過ぎても今度はキョリ感が強調されちゃってダメなんだって。だから社会的成功の為に、最も基本的なポイントになる“笑い”を今のうちに改善しておこうよ」
「ビッグになれる?」
「そうすれば、ものすごく高いグラボも簡単に買える」
「レイトレーシング全開でフィールドを駆け巡れる?」
「しかも120FPS固定」
「勝ったな」
――しょうもなかった。その上、そうやっていたら昼休みも終わった。結局、月宮さんは昼休みの最後の最後まで帰ってこなかった。
放課後がやってきた。午後の授業があっという間に過ぎ去り、とらえ所のない不完全燃焼感に私が浸っていると、ケイが話しかけてきた。
「ごめん。今日、居残り。選択授業の書道で作品が完成してないんだ」
私は「分かった」と頷く。彼女は半日じゅう、眠たそうにしきりに目を擦っていた。目の下のクマは昼休みの時に比べてより濃く、半開きの目はいよいよ数秒後には完全に閉じられそうな所を、何とか耐えているようだった。
「大丈夫? ここ数日ずっと眠そうだけど」
そう私が心配すると、ケイはサムズアップで応じた。
「無理しないでね。というより、夜、ちゃんと寝なきゃ……ゲーム?」
私のその質問に、少し間を開けてから彼女が答えた。
「オーバーウォッチ2」
「……ほどほどにね」
そうして私たちは教室で別れ、私は一人で昇降口まで向かった。
恐らく彼女は嘘をついていた。でもそれは大した事では無かった。
大した事じゃない。私は自分に向かって、その言葉を何度か繰り返す。
タイシタ コト ジャ ナイ。
下校途中、迷子猫捜索のビラがまだ少し余っていたので、私はK街の駅前でそれを配って回った。
数枚渡した所で、身なりの良いおばさんに声をかけられる。
「まだ見つかってないの? 先週も配ってなかったかしら? 心配でしょう?」
――言葉を掛けられたのは初めてではない。私が微笑と会釈で返すと、彼女は「気を落とさないようにね」と言葉を投げかけた。その人が、駅の改札へ向かう歩道橋の方へと向かうのを目で追っていると、今まで投げかけられた言葉が頭を巡った。
「頑張ってね」――30代前半くらいの、栗色のストレートヘアが眩しい女の人。
「見かけたらすぐに連絡するよ」――商店街の中心にある焼き鳥屋の店主さんらしき人。
「何を探しているって? あぁ、黒猫ね」――海岸でゴルフクラブを素振りしていたおじいさん。
うんざりだった。こんな気分になるのは生まれて初めてだった。私はビラを配るのを止め、自分の心に聞いてみた。
何にそんなうんざりしているの?
――自分が声を掛けられる度に少しずつ気が立っていく様に。そしてそれに私が、さも気が付いていないような振る舞いを続ける事に。
……どうやら原因はそこにあるようだった。気分が落ち込む前に、私は場所を移すことにした。
アテもなくぼんやり歩いていると、公園が見えた。海沿いの広い公園。一週間前、ミセス・ウィークエンドと初めて会った場所。どうやら気がつかないうちに随分、駅から離れてしまっていたらしい。
私はあの時と同じベンチに腰掛けて辺りを観察した。
公園の隅の方から、遊具に集まってはしゃぐ小さな子どもたちの、楽しそうな声が聞こえた。
私はそれを聞きながら目を閉じて、ゆっくりと二度、深呼吸をした。目を開けると、広場の中心にある大きな石碑が目に映った。目を閉じる前より小さく見える気がした。
私の近くを、小さな犬を連れて歩く二人のおばあさんが、何かを話しながら通り過ぎた。ほとんど何を話しているか分からなかったが、何やらお金の話題で盛り上がっているようだった。あんまりにも大きな声で喋るものだから、ほとんど内容は筒抜けだった。
少しすると私と同じ高校の男子生徒数人がやってきて、互いに罵倒の言葉を愉快そうに浴びせ合いながら広場を横切った。数分後に一人のおじいさんが広場を横切って、遠くのベンチに座って本を読み出した。
それからしばらくすると、小さな女の子が遊具のある方から広場にやってきて、私を少し離れた位置からじっと見ていた。私が笑って手を振ると、彼女は小さくはにかみながら手を振り返した。しばらくそうしていると、母親らしき女性がやってきて私に会釈する。彼女は優しく女の子の手を取り、まだ遊びたそうにグズる彼女を柔らかくあやしながら、やがて国道方面の出口へ歩いていき、そのまま姿を消した。
Tシャツ一枚の、寒そうな格好をした黒人のお兄さんが姿を現して、端の方でスケート・ボードの練習を始めた。彼は静止した状態から飛び上がり、空中で鮮やかにボードを回転させていた。30分ばかりそれを続けた彼は、着地に失敗してずっこけたのを皮切りに、この広場を去っていった。ベンチに座ったおじいさんはいつの間にかいなくなっていた。
私はスマホを取り出して、時計を確認する。16時42分。空に目をやると、冬の短い夕方もそろそろ終わりそうな色合いだった。私はAirPodsを付けて、ランダム再生をオンにした。ボブ・ディランの『雨のバケツ』が流れ、終りかけの一日を労うようにギターを鳴らした。
イヤホン越しだと、子どもたちの笑い声はずいぶん遠くの方から響いてくるようだった。
私がしばらくそうやって過ごしていると、頭の中にイメージが湧き出てきた。それは何か大きな物に纏わる想像だった。
とてつもなく巨大で、際限なく深い“何か”。それに、自分が含まれているイメ―ジ。
その“何か”が私をすっぽり覆い隠す。私の痕跡など、見つけようもない。子供じみた途方もない空想と、鼻で笑われそうなほど滑稽な想像。何かの例え話のようだった。
この感覚を上手く言葉にできない自分がもどかしかった。そうしていると、私はかつて、同じような空想に耽った事があるのを思い出した。あの交霊術の時――それがその始まり。
あの時と同じだ、と思った。私はこのまま自分が何処に辿り着こうとしているのか、想像もつかなかった。
ミセス・ウィークエンドに全てを任せきりな事も、そもそもあの話をどこまで信じているのかという事も――私には何も分からなかった。
混乱と驚嘆の中で呑み込まれないように
だが、あの時とは違う。私がナナミを呼び出した、あの学校での降霊とは――
今度は、
霊、バグ技、“誤ったつながり”、“つながり”を失った世界――
繰り返し、繰り返し――
私は自分がどうするべきか、ようやく決めることが出来た。
耳元で流れる曲は何度も変わり、代わる代わる景色に異なる色合いを投げかけた。もう何曲目か分からなくなった時点、エルトン・ジョンの『ロケット・マン』のサビの途中で、私はイヤホンを外した。
もう子どもたちの声も聞こえなかった。夜の暗闇が広がり、それを照らす街頭の明かりが広場にまばらに散らばっていた。
公園はすっかり静まり返っていた。乾いた冬の匂いが、12月の無愛想な風に乗って漂う。ここはもはや単なる大きな広場に過ぎない。そしてここにはもう、私一人しかいなかった。
長い時間じっとしていたせいで、身体が強張っていた。私は大きく伸びをしてから立ち上がり、駅前を目指した。その途中、私は母親に電話を入れ、帰りが明日になることを伝えた。
もちろん嘘だった。サキちゃんの家でいわゆる「お泊り会」を緊急開催するという嘘。一旦家に帰り、それからサキちゃんの家に向かう、と。
駅前の大きな交差点で信号待ちをしている最中、本当に喫茶Paradisoに寄ろうかとも思ったが、余計な心配の種が増えそうだったので、止めることにした。
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