不穏の気配

 私はテープで貼り付けられたセフィロスのアミーボを戸棚の天板から引っ剥がした。それからしばらく手のひらの中で、クールに佇む彼をまじまじと見つめた。

 逆さ吊りの片翼の天使。およそ二ヶ月前の九月下旬、私が学校で敢行した“バグ技”の副産物。

 私はその時、クラスメイトが遊びで作り出した七不思議のひとつを実行に移したのだ。いくつかの手順を踏むと、想い人に会える――そういう触れ込みの

 この悲しき英雄のアミーボはキーアイテムのひとつ。天井に逆さにして固定するのも手順の一つだった。


……今思い返してみても、なぜあんな事を実行に移したのかはよく分からなかった。魔が差した、としか言いようがない。

 あの時、私は混乱のただ中にあった。足元に突如として生まれた巨大な渦の中から、顔を出して息継ぎをしたかった。その為にだけに過ぎない。

 そしてそれは、どうやら上手くいっていた――今のところは。


 そう、その“バグ技”は成功したのだ――なんか良く分からないけど。

 その結果、火災事故で死んだ友達と話が出来た。何を言っているのか理解されないだろうけど、とにかく、そういう事になった。あるいは本当に起きたことなのか、私の妄想なのかは未だに分からないでいる。

 いずれにせよ、それは私を次の舞台へ連れて行った。好むと好まざるとに関わらず。

 死んだ友達との再会――そう、私は未だにそれが何をもたらしたかを、明確に説明出来ないでいる。


……実際、なんて言えばいいのだろう? その友達は、私が幼稚園の頃から中学三年生まで常に一緒にいた仲だった。それが突然ある日、目の前から消え失せた。あいさつも無しに。

 そんな人間が再び私に会いに来た。その時の事を私はなんと言い表せば良い?

 彼女の死をようやく認められた?

 前に進める?

 彼女のいない世界を受け入れられた?

 あるいは偶然がもたらした不幸に、ようやく折り合いがつけられた?

 はたまた、運命の残酷さを呪わないようになった?

 もしくは――


 どれも正しい気がした。けど、同時にどれも違う気がした。

 実際、運命を呪ったりなんかも、私はしてなかった。ただ、上手く説明できないけど、そんな“ちゃんとした”言葉じゃない気がする。

 この世界の姿がちょっとだけ変わった……そう。きっと、そういう事だと思う。そしてその“ちょっとだけ”変わった世界は、私が何をしようとも、何もせずとも、変わらずに先に進み続ける。

 ……どこへ? 世界は正しい場所に辿り着きそう?


 そんな事は誰にも分からないし、きっと大した問題じゃない。多分、そういう事なんだろう。


 アミーボを握る手に力が入った。これは誰にも言っていない、ごく個人的な出来事。だから私がこの“リユニオンの中心点”に、思い入れがある事は誰も知らないはずだった。

 どうしてミセス・ウィークエンドが私を指名したのかは良く分かった。だけど何故、彼女がこの事を知っていたのか。


 私は気分が悪くなった。ミセス・ウィークエンドと名乗る、素性不明の人物。元有名ホテル勤務の料理人で、耳が聞こえなくて、声を失った、最近のマイブームがマインクラフトでレッドストーン回路に凝る事の、趣味で占いをやっている、ソラールの紋章を刺繍した原色バリバリのカラフルセーターを愛用する黒人のおばあさん――属性過多。

 彼女は、私の心中に、ノックもしないで土足で踏み入った。そんな気分だった。


 私は着ていたダウンジャケットの右ポケットにセフィロスのアミーボを突っ込んで、LINEを開いた。ミセス・ウィークエンドにメッセージを送る。完了報告ではなかった。

「あなたは何者ですか」

 すぐに既読が付いた。返事が来る事は無かった。



 私が一階に戻ると、ケイが缶の入れ物を持って私を待っていた。

「で、終わったの?」と彼女は言った。

「サキはトイレ行ってる。これサキから預かってきた。あそこにいる店長さんに渡してくれって。またミセス・ウィークエンドのおつかいだってさ。わたしコミュ障だし、代わりにやってよ」

 私はこの箱を受け取るべきか迷った。

 ためらいがちに両手を伸ばして箱を受け取る瞬間、ケイが私の目を見た。私は不思議に思って見つめ返す。すると彼女はわずか数ミリメートルだけ目を細め、「多分、大丈夫」と言って私を指差した。

「前も上手くやったじゃん? 今回も何とかなるよ」

 私はぽかんとして、「……ドユコト?」と訊いた。彼女はニヤリと笑った。

「そゆこと」


 ケイはそのまま足のない幽霊のような歩き方で、浮遊するように私の前から去っていった。


 箱を店長さんに渡すと、彼女は微笑んで会釈をした。

 長いブロンドのまき髪の白人だった。深い紺色のポロシャツに黒のズボン。背が高くて、スラッとしている。喫茶Paradisoの制服と似ていたので、何となく私は仕事中のサキちゃんを思い起こす。

 どちらもかっこよかった。二人と私とで、一体何が違うのか。立ち去る店長さんの後ろ姿を見ながら、私は頭の中にノートを広げてリストアップしてみる。

 30個くらい思いついたところでページ不足になったので、もうやめた。


 サキちゃんが帰って来た。私が「終わったよ」と伝えると、サキちゃんがグループラインでミセス・ウィークエンドに報告を入れた。すぐに彼女からの返信がきた。


【お疲れ様でした。やるべき事はこれで全てです。少し時間を下さい。こちらからまた連絡を入れます】


 このようにして私たちの長い週末は終わった。

 ニトリから駅前に戻った私たちは、夕方まで迷子猫のビラを配ったり、ウェブサイトに何か情報が入ってきていないかチェックしたりした。相変わらず何も情報は入ってこなかった。進展無し。

 私たちは次第に口数が少なくなっていった。やがて時間と共にサキちゃんの顔色がどんどん悪くなったので、今日はもう解散する事にした。

 ここ数日の疲れと心労が、一区切りと共に表面に溢れてきたのだろう。


 あるいはこれで良かったのかもしれない、と私は思った。ミセス・ウィークエンドの占いは私たちに必要な導きだったのだ。

 超常的な力に解決策を委ねる、という表面的な話ではなく。私たちが――特にサキちゃんが――突然降って湧いた、理不尽な偶然に耐える為の避難先として。

 仮に私たちがアテもなく情報を求めて街じゅうをさまよい続け、路地という路地、暗所という暗所をしらみ潰しに探し続け、この街の路上に置かれたありとあらゆる設置物をひっくり返し続けたとしても、恐らく黒猫レヴナントは見つからないだろう。猫とはそういう生き物だ。


 そのような虚しさに、私たちが耐えられるとは思えなかった。だからこそあの占いに身を任せたのだ。私たちはどこかのタイミングで、悲観と楽観を切り替えるスイッチを見つける必要があった。それがたまたま「占い」という、非常にで、実態の掴めない形をしていただけに過ぎない。


 しかしそれも今や消え失せた。この先はあまりに不透明だったし、あまりに残酷と思われた。

 肝心なのは、“恐らくこれで終わり”だという事。多分、ミセス・ウィークエンドから次の指示は来ない。正確には「次の次」。「次」のメッセージは来るだろう。


【やれることはやりました。後は信じて待ちましょう】

……こんな所だろうか。

 そしてそれは三人とも口にせずとも分かっていた。サキちゃんはその事実に耐えられなかったのだろう。猫は見つからない、という事実に。


 私は電車内で窓の外に映る街を見ながら、そんな事を考えていた。電車から降りて、家に向かう細い道を歩いている時も、同じようなことを繰り返し考えていた。夕食に出てきたブリの照焼きとコールスローの中にも、同じような憂いが混じっていた。

 シャワーノズルからも似たような物が降り注いだし、お風呂上がりに顔に馴染ませた化粧水にも、同様の成分が入っていた。

 気を紛らわすために起動した“エーペックス・レジェンズ”では、5回くらいその敵にダウンさせられたので、もう寝る事にした。

 寝る直前に考えていたのは、明日の学校でサキちゃんと会ったらなんて言うべきだろうという、あまりに答えが分かりきった事だった。

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