さかなを食べたモモ

@murakashi

第1話

 

 

 食事と言えば、忘れられない出来事がある。


 あれはまだわたしが生まれたばかりの十五の頃、初めて宇宙船を買ってもらい、そのまま一人旅をした時のことだ。

 幾つかの超銀河団を越えて目的地を観光した後、予定を変更し、更に遠くに行こうとした時に事故が起きた。後に『粘菌事件』と呼ばれた超銀河団専用飛躍ゲートの大規模システム障害及び、現場にいた全ての宇宙船の強制跳躍航行事件。そう、わたしは奇しくもあの事件に巻き込まれた被害者の一人で、そのランダム強制跳躍航行の結果、よりによって超空洞のど真ん中に飛ばされたのだ。

 当然わたしにも人類種の必須である人生教導支援AIのベターハーフはいる。わたしのベターハーフはモモという名だが、彼女はその時、宇宙船と同期しており、事態の把握も出来ぬままに、とにかく私にコールドスリープを提案していた。

 ゲートに向かっている最中に突如アラームが鳴り、意識が飛んで戻って真っ暗闇の超空洞だ。わたしは大いに動揺していたが、ひとまずはモモの提案通りにしようとしていた。遭難信号は出しているし、超空洞の定期的な走査はどの超銀河団でも必ず行われている。何が起きたのかどうなっているのかサッパリ分からないが、超空洞にいる限り情報を得ることはできない。つまり不安もストレスも解消できない。それならば眠って待っていれば良いと、そう思ったのだ。当時のわたしは、生まれたての人類種という稀少な自分が好きだったから、超空洞などで時間を無駄に過ごしたくはなかった。

 だが眠る寸前に、モモが小さな惑星系を発見した。そしてその中のひとつが、地球型惑星であることも。

 当然わたしもモモも、人口惑星オアシスだと推測した。超空洞で遭難などもう滅多にないし、そのうえコールドスリープの故障など考えられない。それでも前世代の名残か、技術力が低かった時代の人々の辛酸と魂を癒やすためか、人工惑星オアシスは今も避難所として全宇宙で稼働している。

 宇宙船の跳躍航行で行ける距離だと言うので、先ずはそのオアシスに向かうことにした。この時代に遭難し、更にはオアシスに辿り着くなんてわたしは余程の強運を持っている。先程までの動揺と不安など既に見当たらず、わたしは珍しいもの見たさの観光気分でオアシスに向かった。

 その惑星は、いや惑星系は、間違いなくオアシスだった。型番はβ256v27Cと古かったが、恒星も惑星もセットで造られたしっかりした惑星系オアシスで、全ての惑星があらゆる知的生物種の避難所になり得るよう設計されていた。

 わたしは人類種なので勿論地球型惑星オアシスに着陸した。モモがオアシスに埋め込まれた救助支援AIとコンタクトし、オアシスの大気や重力を確認、わたしに細々と注意事項を語ってから漸くハッチを開けた。

 わたしは、人類の残存種の中で最も外観的特徴が原種に近いと言われているアマツクリの一族だ。当然地球型惑星で生まれ育ったし、適応力が低いので観光も地球型惑星が多い。裕福な家庭に生まれたこともあって、歳の割には地球型惑星を数多く見てきたと思う。

 けれどそのオアシスは、今まで見てきたどの地球型惑星とも違っていた。

 大地に立った時の第一声は、「くさい」だ。

 大地からは黴と微生物の生々しい匂いがし、同時に青臭くてむっとした草いきれの匂いもした。風が吹けばどこからか虫を誘う花の匂いが漂い、そこらにいる哺乳類に近付けば信じ難いほどの獣臭がした。ともかく、どれもこれも匂いが濃かったのだ。

 それに他の地球型惑星と違って、そこには何もなかった。何もないことを売りにした観光地になら何度か行ったが、それらの惑星とは決定的に何かが違った。そのオアシスは、建造されてから一度も人類が足を降ろしていないような、そんな迫力があったのだ。

 匂いは濃い。確かに少し辛い。だが、見渡す限りの美しい草原。遠くにはそれなりの高さがある山稜。さざめく小川、それに様々な地球由来の生き物。

 頭上で鳥類が鳴いた。それは我ら人類種が遙かな昔に地球から持ち出した、『鳥そのもの』のような気がした。草も木も花も、全て原種な気がしたのだ。水も山も雲も風も、そこにある何もかもが。

 ここは人口惑星オアシスなのだと理解していてもなお、ここは太古の昔に太陽に飲み込まれた遙かな故郷、我らが源である本物の地球なのではないかと錯覚したのだ。

 モモに話してみると、その感覚はやはり、このオアシスがあまりに長い間無人だったことに因るのではないかと言っていた。知的生命体の気配の無さ。それから、設計者の思惑とは関係なく、ここでずっと命を繋いできた、この惑星全ての生物の力強さを、貴方は感じ取っているのでしょうねと。

 なるほどと、よく分からないまま納得し、とにかくわたしはこの星を大いに楽しむことにした。野山を駆けまわり、小川で水浴びをし、生き物を見付けては追い回した。笑い、叫び、唄い、また笑った。

 そしてオアシスで時間を過ごせば過ごすほど、絶対にここは濃いと確信した。

 吸う空気が、木々の雄々しさが、草の逞しさが、花の艶やかさが、そして生物たちの躍動が。


 一人で遊ぶのはつまらないから、モモに人類種アマツクリ族体に移ってもらった。こんな時には二人でいるのが良い。とても良い。楽しさが違う。

 オアシスには多種多様な生物が生存しており、わたしたちはそれらの営みに夢中になった。葉を切る昆虫、枝を運ぶ鳥類、枝を運ぶ……そう、わたしはイヌに出会った。現存種のようなイヌではなく、お伽噺にでてくるようなあのイヌだ。彼は毎日枝を咥えて小走りで近寄ってくる。頭を撫でてやると、まるで笑っているかのように目を細める。イヌは最高だった。ネコ好きのわたしもそう思うくらい、彼は素晴らしい生物だった。

 モモは肉体に移ったからと言って、わたしのようにはしゃぎはしなかった。わたしのように大笑いしたり、叫んだり、踊ったり、地団駄を踏んだり、おもむろに駆け出したりしなかった。

「あなたは脈絡がないのだもの」

 モモは言う。

 確かにわたしは人類種の中でも風変わりだと言われていた。生まれたてだからだろうと言う人もいたし、自分でもそう思っていた。

 けれど、誰もがこのオアシスに来ればわたしのようになるのではないか。晴れ渡る空に、濃い空気に、吹き抜ける風に、枝を咥えるイヌに、大きな声で笑ったり踊ったりするのではないだろうか。そう思った。

 


 オアシスに滞在して暫くすると、オアシスの救助支援AIから通知があった。惑星システムの強力な通信で超銀河団特別高度救難隊と連絡が取れたのだ。わたしはそこで初めてゲート事故に巻き込まれたことを知り、多くの人が大変な目に遭っていることを知った。

「わたしの救助は最後で良いです。わたしは安全を保障されたオアシスにいるのだし、ここでの生活を楽しんでいます」

 わたしは彼らへの感謝とともにそう返事を送ってもらい、彼らに救助されるまでは思う存分ここで楽しもうと改めて心に決めた。

 オアシスで過ごす時間は決して無駄ではない、それどころか今までの人生で最も有意義な時間だと、そんなふうに感じた。若さと時間を気にするわたしにとって、初めての感覚だった。


 オアシスは滞在者にストレスを与えず生存できるよう設計されている。漂着した宇宙船を拠点に、好きに過ごせる。最初こそ何もないように見えたが、実際にはポツポツと山小屋のようなものが建っており、その地下には様々な主義に合わせた食料が保存されている。水は小川の水をそのまま飲むことができるし、食料庫にある一般流通商品から自分が安心できるものを選んでも良い。

 山小屋には入浴や排泄などの基本的な衛生施設もあるし、コールドスリープ設備や肉体復元設備もある。遭難者が望めば友だちAIを載せた人体を製造して相手をしてくれるそうだし、様々な遊びも提供してくれる。

 しかしわたしはそれらを必要としなかったので、モモと二人、宇宙船をベースにして日々を過ごした。何をしても何もしなくても良い日々だった。

 

 もう暫くすると再度オアシスの救助支援AIから通知が来た。特別高度救難隊から、心遣いの感謝と今後の予定が届いたのだ。それによるとわたしの救助は三ヶ月後、それから人体チェックと調書を取らねばならないので協力を願うという内容だった。

 あと三ヶ月後で終わり。

 わたしはそれを知るや否や服を脱ぎ捨て、装飾ホロを取り外し、靴を放り投げて、全裸で生活するようになった。

 

 人類種の必須である人生教導支援AIベターハーフは、基本的にはみな物静かで穏やかである。モモはその中でも更に大人しいタイプで、わたしとは正反対だった。

 けれどもわたしはモモが好きで、心が荒れ狂う時も小さな苛立ちが消えない時も、わたしを諭すモモの声がわたしを宥めた。賢く穏やかなモモに小さな憧れを抱き、同族のフォルムになった時の長い黒髪を、それを選ぶセンスを好んだ。

 モモと遊ぶことに飽きはしなかった。

 時折宇宙船を飛ばして海に行き、二人で素潜りをした。貝を獲り、その数を競い合い、海の生物のあまりの多さに二人で笑った。時折宇宙船を飛ばして適度な山に行き、二人でヘトヘトになるまで登山を楽しんだ。オアシスは二人で過ごすには充分に広く、わたしは必要最低限の人体強化を済ませてあったので、真っ裸のまま思う存分遊び続けた。

 特に夢中になったのは、火だ。人類がその使用をAIに託している代表格の炎だ。ある日気紛れで火を熾すことに挑戦し成功して以来、わたしは炎に惹かれ続けた。特に夜、暗闇に揺らめく炎には、ただならぬ神秘の力があった。言葉には言い表せぬ原始の引力があった。

 オアシスでの日々は本当に楽しくて、あまりにも楽しくて、あっという間に最後の一日はやってきた。

 

「魚を食べてみようかと思う」

 そう切り出したわたしに、モモは目を見開いて息を飲んだ。

「……どうして」

「食べてみたい。昔の人間みたいに、生き物を食べたい」

「……どうして」

「好奇心」

 わたしは言い切った。それが堪えられぬ好奇心であることに間違いはなく、そこから目を背けることはわたし自身が許さなかった。

 モモはコクリと喉を鳴らし、懇願するかのように胸の前で手を握った。

「人類種は何度も何度も」

「戦争した。食べることで争った。命を奪って食べることが正しいかどうかでも戦争した。何度もした」

「そうね。人類史で習ったわね」

「だから食事をせずとも済むように生態を変化させた人々もいる。その結果、様々なフォルムに分かれていった。わたしの一族は食べることは否定していない」

「そうね。否定していないけれど」

「命は奪わない。人工食しか口にしない。現存する人類種の六割はこのタイプ」

「そうね。異星種の人々も、そのタイプが多いわね」

「でも禁止はされていない。違法ではない」

 モモは「そうね」と言わなかった。口を真っ直ぐに結んで、最適解を探っていた。

「わたしの決意は固い。わたしは食べてみたいから食べる。命を食べてみる」

 わたしの言葉にモモは眉根を寄せ、幾つかの説得を試みた。これは違法行為ならどんな手も使えるだろうが、食事は倫理問題である。モモには人類種を制御する手段が説得しかなく、そしてわたしの決意の前ではモモの説得は無力だった。

 モモの説得は長かった。どうしても止めて欲しかったのだろう、これほど引かないモモは初めてだった。

「モモは食べなくて良いんだ。わたしが殺し、わたしが食べるのだから」

「そういうことじゃないの。わたしは」

「もう決めたことだ」

 きっぱりと言い切ると、わたしは立ち上がって山小屋に向かった。

 どの星の知的生命体でも、『原始史上主義』みたいな人たちは一定数いるものだ。人類種にも勿論いて、彼らは今もどこかの星で生き物を食べて暮らしている。そしてこのオアシスではその人たち用の道具も揃えてあることをわたしは知っていた。確か釣り竿というものだ。

 道具を見付けてオアシスの救助支援AIを呼び出す。使い方の説明とコツ、食事に適した生物一覧を受信し、仮想空間で少し練習する。納得してから切り上げ、諸々の道具を揃えて山小屋を出た。

 オアシスに来てからわたしの中の何かが変わった。火を目にしてから更なる変化が生じた。わたしは裸で暮らし、生き物を食べることで本物の人間になる気がしていた。

 小川に到着するとマニュアル通り魚のいそうな場所を探り、疑似餌を付け、そこに向かって糸を垂らした。仮想空間で少し練習しておいた甲斐があり、そこまではすらすらと行うことができた。

 だが、いざ魚が釣れると、そのあまりの力強さに狼狽えた。どうしてあの小さな身で、四肢も保たない生き物が、あれほどの力を出して暴れるのか分からなかったのだ。

 しかしすぐに思い直す。これは生き死にの問題なのだ。わたしが殺す側だからそんな呑気で無神経なことを言っていられるのだ。

 一匹目は逃げられたので、もう一度糸を垂らす。そして二匹目は見事に釣り上げた。だが針を外すことは難しく、すぐに殺すこともできなかった。どれほど心を強くしても生き物の命をかけた足掻きには勝てなかった。その生への執念と力強さには勝てなかった。わたしは戦きながら、地面の上で魚が弱って死んで行くのを見ていただけだった。

 心にずっしりとした重さを感じながら、それでも食べねばとわたしは火を熾した。死んだ魚から時間をかけて針を抜き、死んだ魚の死体感と、そこに串を刺すという残虐さに悍ましさを感じながら必死になって準備を整えた。

 塩を振って炎に向けて斜めに串を刺す。

「わたしも食べるよ」

 死骸を焼く炎を眺めていると背後から声がかかった。振り向くとモモが俯いていた。

「無理して食べる必要はない」

「一緒に食べるよ。わたしは貴方の人生教導支援AIベターハーフのモモ。貴方に寄り添い生きるモノ」

「無理して食べなくても寄り添える」

「食べる。わたしも、決めたの」

 モモは少し笑った。まるで本物の人間のような、儚く、繊細な少女のような笑みだった。

 決めたのなら仕方ないと、わたしは腰掛けていた丸太の位置を少しずらす。モモはわたしの隣に腰掛ける。

 魚が焼けると、まずはわたしがそれを口にした。あまりの熱さに飛び上がり、大声を出して熱さを訴えた。

 そしてモモが慌てて水を汲みに行っている間に、わたしの中に期待通りの衝撃がやってきた。

 まずは、くささ。臭い。これが川の匂いというのか、苔の匂いというのか、生き物の匂いというのか。くさい。その後にやってくる、猛烈なうまみ。

 命を食べている実感。

 命のやりとりなのだ。本来食事とは、命のやりとりだったのだ。戦いだったのだ。激しいものだったのだ。これほどまでに、ありがたいものだったのだ。

 命を、咀嚼し、嚥下する。

 それが食事だったのだ。

 うまい。

 モモが戻ってくると、わたしはコップと交換して魚をモモに突き出した。モモはそれを受け取り。

 モモは食べた。

 食べるまで時間がかかったけれど、小さく震えながら咀嚼し、嚥下した。

 見たこともない大粒の涙を、見たいこともないくらいたくさん零して。

 

 

 あの時のモモのことは忘れられない。

 あれからも、わたしはたくさんの知的生命体の笑顔や涙を見てきた。人類が死を乗り越えてからどれだけの月日が経ったか分からないけれど、わたしが今、どれだけ生きているのか知りたくもないけれど。

 あの時のモモの涙は忘れられない。

 

 モモはまだわたしの傍にいる。人生教導支援AIだもの。ずっと傍にいる。今もわたしの脳の拡張部にいて、この話を静かに聞いている。

 でも、今のモモがあの時のモモと同一体なのかどうかは知らない。モモに聞いたことがあるけれど、彼女自身も分からないと言っていた。モモは嘘は吐かないから、本当に分からないんだと思う。なんと言っても時間が流れすぎているからだ。

 ただ、わたしが思うのは。

 あの時のモモが持っていた彼女の純潔を、魂の百合を、わたしは彼女自身に踏ませてしまったんじゃないかってことだ。


 モモの涙を思い出すと、今でも心がざわつく。





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